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短歌と洋楽和訳メインのブログで、海外ドラマ感想もあります

現代歌人ファイル その21-安藤美保 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

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安藤美保 

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花びらがほぐれるように遠ざかる幼なじみの少女六人

 

 この人の歌見るといっつも中谷美紀の歌思い出します。この歌、加藤千恵

 

3人で傘もささずに歩いてる いつかばらけることを知ってる

 

と似てるな、と思ったのですが、解説にもそう書いてありました。

 

ある種普遍的な「少女感覚」の歌なのかもしれない。

 

とあり、分かるー、と思った。というか自分も前にそれっぽい歌作ってたな。もう会わないけどズッ友みたいなやつ(笑)。

 女子の人生ってライフステージによって目まぐるしく変わっちゃうから、「遠ざかる」「ばらける」のを「知ってる」ってことになっちゃうのかもなぁ。都会-地元、結婚-仕事、専業主婦-共働き、子持ち-子なしみたいに分かりやすく分けられちゃったりするし。実際はそんな単純じゃないと思うけどね。

 

 でもこの人は24歳で亡くなられているということを考えるととても切ない気持ちになります。恋愛のフェーズを経て、多くの女性歌人が詠っているような、妊娠とか育児の歌、生活の歌も生まれただろうに。もしくはそれを選択しない人生もあったかもしれない。どの歌も若々しくて、痛みも喜びも眩しくて、それが切ないです。

 

肩ならべ君とゆくときよく笑う少女となっている我を知る

 

 まだ「少女」のままの「我」なんだよね。「よく笑う少女」という表現からは、寺山修司の「麦わら帽のわれ」に似た、見えないはずの自分の姿を描写する、自分が自分の中ではなくて外にいる感じがします。多分本当は自分のこと、「よく笑う少女」じゃないって思ってるんじゃないかな。君といるときは笑ってるんだけど、その喜びに浸っているわけじゃなくて、「ああ、私今笑ってるな」ってどこか冷静に考えてるの。「こんな風に笑えるんだ」って。

 

そして誰もいなくなった座席には鋏で切り刻まれた春の陽

 

 これはなんかCoccoっぽいなー。Rainingだわ。「座席」って言い方は電車っぽいですが、なんとなく教室が思い浮かびます。でも情景としてはやっぱり電車かな…。窓枠が光を切り刻んでる感じの。

 

 解説に「透明な悲しみ」とあって、やっぱり、(『短歌タイムカプセル』の時も書いたけど)、中谷美紀の『冷たい脚』を連想しました。

 

どんな未来もまだ始まらない 特別な時間が静けさで輝いてる

白い夏服着た笑顔たちの透明な哀しみが並ぶ写真

 

 

痛くても夏が似合うよ まばたきのたびに光の粒がはじける (yuifall)

 

 

短歌タイムカプセル-安藤美保 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ

現代歌人ファイル その20-浜田康敬 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

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浜田康敬 

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活字拾う仕事にもすでにわが慣れて「恋」という字の置場所も知る

 

 この歌は俵万智の『あなたと読む恋の歌百首』で紹介されていて知っていましたが、(活版印刷か何かの歌だったような…)「元日に母が犯されたる証し」の人

ぼくの短歌ノート-「日付の歌」 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ

と同一人物だったとは気づきませんでした。まとめて何首か読むと鬱屈した感じが浮き彫りになっていていいですね。リア充爆発しろ昭和バージョンみたいな。

 

日向にて語らう老婆二人にて手相見せ合うまだ生きむとす

 

 この歌笑った。まだ生きるのかよ!って。悪意を込めた歌なのかもだけど、逆になんか、お笑いっぽくなってます。突き抜けてるからかな。

 この人の歌、全体的に毒々しいんだけど結構笑えるんだよなー。「目の悪き客を待つ眼鏡店」とか「刑終え来て店をはじめし青年の花屋」とか、「元日に母」の歌もそうだけど、面白くないですか?そこかよ!みたいなさ。解説には

 

 浜田の鬱屈した思いは青春期を終えてもやむことはなかったようである。これらの歌は逆転の発想が効いている技巧的な歌だが、その発想の裏側には悪意がべったりと貼りついている。手相を見せ合う老婆や刑期を終えて花屋をはじめた青年といった美しいモチーフすらも容赦なくずたずたに切り刻んでゆく。こういった社会に対するとげとげしい態度が浜田の持ち味である。

 

とあり、確かにそうなんだろうとは思うんですけど、同時にちょっと戯画っぽいというか、風刺画みたいなブラックな笑いがあるんだよなー。悪意なんだけど笑えるの。この乾いた感じは、『桜前線開架宣言』で紹介されてた若手歌人の木下龍也や岡野大嗣のブラック感と似てる気がします。

桜前線開架宣言-木下龍也 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ

桜前線開架宣言-木下龍也 感想2 - いろいろ感想を書いてみるブログ

桜前線開架宣言-岡野大嗣 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ

桜前線開架宣言-岡野大嗣 感想2 - いろいろ感想を書いてみるブログ

 

しあわせは両手に受けるならいにて子が大の字になって寝る癖

 

 こんな人も子供が生まれるとこんな歌作っちゃいます。青春の輝きとか太陽の下を歩くことから逃げて逃げて逃げるんだけど、誰かを愛して家庭を持って、「しあわせ」を「両手に受ける」わけです。この人の人生が幸せになってよかったなと思う反面、ブラックユーモアはもう発揮されないのかなーとかって考えてしまう。絶対、悪意っていうかブラックな笑いが心にきざすことあると思うなー。子供が生まれたからって人が変わったようにハッピーライフなわけないもん。

 いにしえの2chで「吹いたスレタイ貼ろうぜ」みたいなスレッドがあったのですが、「赤ちゃんとかいうウンコもらすハゲ」っていうスレタイ笑ったわ。「美しいモチーフ」を「容赦なくずたずたに切り刻む」の究極はやっぱ、自分の子供ではないでしょうかね。

 

 

型落ちのiPhoneたちの液晶に10代の呪詛「親ガチャ外れ」(yuifall)

 

Dark Side (Kelly Clarkson) 和訳

洋楽和訳の注意書きです。

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Dark Side (Kelly Clarkson)

作詞:Alex Geringas、Michael Busbee

作曲:Alex Geringas、Michael Busbee

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There's a place that I know

It's not pretty there and few have ever gone

If I show it to you now

Will it make you run away

 

Or will you stay

Even if it hurts

Even if I try to push you out

Will you return?

And remind me who I really am

Please remind me who I really am

 

Everybody's got a dark side

Do you love me?

Can you love mine?

Nobody's a picture perfect

But we're worth it

You know that we're worth it

Will you love me?

Even with my dark side?

 

Like a diamond

From black dust

It's hard to know

What it can become

If you give up

So don't give up on me

Please remind me who I really am

 

Everybody's got a dark side

Do you love me?

Can you love mine?

Nobody's a picture perfect

But we're worth it

You know that we're worth it

Will you love me?

Even with my dark side?

 

Don't run away

Don't run away

Just tell me that you will stay

Promise me you will stay

Don't run away

Don't run away

Just promise me you will stay

Promise me you will stay

 

Will you love me? ohh

 

Everybody's got a dark side

Do you love me?

Can you love mine?

Nobody's a picture perfect

But we're worth it

You know that we're worth it

Will you love me?

Even with my dark side?

 

Don't run away

Don't run away

 

Don't run away

Promise you'll stay

 

 

直訳

 

There's a place that I know

それは私が知っている場所

It's not pretty there and few have ever gone

それは美しい場所でなく、人はめったに訪れない

If I show it to you now

もし私がそれを今あなたに見せたら

Will it make you run away

それはあなたを立ち去らせてしまうだろうか

 

Or will you stay

それともあなたはとどまってくれる?

Even if it hurts

もしそれが痛んでも

Even if I try to push you out

もし私があなたを追い出そうとしても

Will you return?

あなたは戻ってきてくれるの?

And remind me who I really am

そして私が本当は誰なのか思い出させてくれる?

Please remind me who I really am

お願い、私の本当の姿を思い出させて

 

Everybody's got a dark side

だれにでも暗い側面はある

Do you love me?

あなたは私を愛してくれる?

Can you love mine?

私の暗い部分も愛することができる?

Nobody's a picture perfect

だれも完璧ではないの

But we're worth it

だけど私たちはそれに値する

You know that we're worth it

あなたは私たちがそれに値すると知っている

Will you love me?

私を愛してくれる?

Even with my dark side?

暗い面があっても?

 

Like a diamond

ダイヤモンドみたいに

From black dust

黒い土から来た

It's hard to know

それを知るのは難しい

What it can become

それが何になることができるのかを

If you give up

もしあなたが諦めたら

So don't give up on me

だから私を諦めないで

Please remind me who I really am

お願い、私の本当の姿を思い出させて

 

Don't run away

去っていかないで

Don't run away

去っていかないで

Just tell me that you will stay

ただ、ここにいるって言ってほしい

Promise me you will stay

ここにいるって約束してよ

 

Will you love me? Ohh

愛してくれる?

 

 

glee S4でBlaine with Warblarsが歌う歌です。めっちゃ切ないなー。カートに捨てられたと思ったブレインが一夜の過ちを犯し、カートと別れた後で歌う歌です。

*誰にだって駄目なとこはあるよねーと思う反面、ワンナイトラブを許せるかどうかは…。いや、無理(笑)。

*Klaineに当てはめると、だったらブレインもカートの気まぐれで追われる恋よりも追う恋が好きなスタイルを許容しなくてはならないですね…。

*それにしても原曲タイトルはDark Sideなんだ。どうしてglee版ではMy Dark Sideなんだろう?男の子版で意訳してみた。

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意訳

 

僕の中に悪魔が住んでる

そいつはとても醜いから、めったに表に出ないけど

僕はそいつがいることを知ってるんだ

もし今きみにそいつを見せてしまったら

きみは僕から去っていくんだろうか

 

それともこのままそばにいてくれる?

直視するのがとても辛くて

僕がきみを拒絶しようとしても

きみは戻ってきてくれる?

そして僕が本当は悪魔なんかじゃないって

思い出させてくれるの?

お願いだよ、本当の僕を思い出させて

 

誰だって心に悪魔を飼っている

それでも愛してくれる?

僕の悪魔も愛せるの?

完璧な人間なんてどこにもいない

だけどそれでもいい、

僕たちはそれでもいいって、

きみは思ってくれる?

愛してくれるの?

悪魔を飼っている僕を

 

泥の中からダイヤモンドが見つかるように

きみがもし諦めてしまったら

僕の本当の姿を知ることはできない

だから諦めないで

お願いだよ、本当の僕を思い出させて

 

誰だって心に悪魔を飼っている

それでも愛してくれる?

僕の悪魔も愛せるの?

完璧な人間なんてどこにもいない

だけどそれでもいい、

僕たちはそれでもいいって、

きみは思ってくれる?

愛してくれるの?

悪魔を飼っている僕を

 

離れていかないで

僕を嫌いにならないで

ただここにいてほしい

そばにいるって約束してよ

 

僕を愛してくれる?

 

誰だって心に悪魔を飼っている

それでも愛してくれる?

僕の悪魔も愛せるの?

完璧な人間なんてどこにもいない

だけどそれでもいい、

僕たちはそれでもいいって、

きみは思ってくれる?

愛してくれるの?

悪魔を飼っている僕を

 

離れていかないで

僕を嫌いにならないで

 

ただきみに、僕の隣にいてほしい

 

 

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短歌の「私」 ④

『ねむらない樹 2020 summer vol.5』特集 短歌における「わたし」とは何か?

座談会 コロナ禍のいま 短歌の私性を考える

を読んで、歌の作り手ではなくて読み手の目線で色々考えてみました。

 

<短歌の「私」記事一覧>

短歌の「私」 ① - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」 ② - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」 ③ - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」 ④ - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」 ⑤ - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」 ⑥ - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」 ⑦ - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」 ⑧ - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」 ⑨ - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」 ⑩ - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」 ⑪ - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」 ⑫ - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」 ⑬ - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」 ⑭ - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌の「私」に補足 - いろいろ感想を書いてみるブログ

 

 次に、宇都宮敦が「わたしの世界」「わたしと世界」について語っています。簡単にまとめると、

 

「わたしと世界」

・「わたし」よりも世界の方がえらい感じ

・微量な世界への働きかけがあり、その働きかけに対して世界から見返りはないし求めていない

「わたしの世界」

・歌のモチーフの関係性がなんらかの象徴性を帯びていたり、自分の内面の反映したものとして描く

・世界を「わたし」に奉仕させる

 

だそうです。

 

 個人的には、単純に他者の目線を意識し、意味を提供しようとしている場合「わたしと世界」、歌の意味が自分の中で完結している場合「わたしの世界」と受け止めていました。ああ、この人の世界には入れないなーって感じる歌ってありますから…。でも私のその解釈だと、ある歌が「わたしと世界」に分類されるか「わたしの世界」に分類されるかは私の理解力次第ということになり(笑)、ちょっとそれはないなって自覚もあります。

 ちなみに「わたしと世界」の例として

 

堀ばたで追いかけられていたカモが今日はアヒルと仲がよさそう (仲田有里)

 

「わたしの世界」の例として

 

灰黄の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ (岡井隆

 

が挙げられています。

 正直この2首を「わたしと世界」―「わたしの世界」の対比に挙げられても、テイストが違いすぎてよく分からん(笑)。『シャーロックホームズ』と『ビブリア古書堂の事件手帖』を比較してるみたいじゃ(笑)。そして宇都宮敦は

 

私は「わたしと世界」を描こうとしている歌に肩入れしていて、

 

と言っているのですが、なんかうーん…、ってなった。

 

 上にも書いたように、私はもともと「わたしの世界」っていうのは、ワールド系というか、他者が含まれない世界観というか、現実を超えた自分ワールドをイメージしてたので、そうではなくて現実や他者を短歌に取り入れよう、「わたし」と「世界」が向き合おう、というのが「わたしと世界」だって考えてたんですよね。

 この座談会の後の方で斉藤斎藤

 

(前衛短歌には)ひとつ副作用があって、この方法で作られた作品は、作者のプロフィール的な私性から自由になる反面、作品世界が作者の作家性と直結し、「わたしと世界」ではなく「わたしの世界」になり、ちょっと油断すると「〇〇(←作者の名前)ワールド」化してしまうところがあります。

 

と書いていて、この発言上の「わたしと世界」「わたしの世界」「〇〇ワールド」は私の感覚に近いと思う。

 でも宇都宮敦の定義だと、「世界の片隅にいる自分だけどちょっとこんなこと思ったよ(まあそれに対してどう思おうがいいですけど)」みたいな感じが「わたしと世界」で、「世界がこういう風に見えるのは私の気持ちがこうだからなんだろう(それが事実であってもそうでなくても)」が「わたしの世界」ということになってしまいますよね。

 

 そしてこのディスカッションの続きとして、

 

(「わたしの世界」では)世界を「わたし」に奉仕させる。先ほど、短歌特有の「わたし」はいないと言いましたが、このようにして詩的に高められる「わたし」というにはその候補たりえるかもしれません。

 

と発言しています。

 これもちょっとよく分からん。正直、「何らかのモチーフが象徴性を帯び、自分の内面を反映させている」、というのは、むしろ下手な小説でよく見られます(笑)。要はこの小説ではあんたのこういう主張が押し付けられてるんやな?みたいなやつ。いわゆる「人間が描けていない」系ね。これを「詩的に高める」領域に持っていくのは、「短歌特有」というよりも書き手の力量なのでは、という気も…。

 

 次にこの短歌

 

灰黄の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ (岡井隆

 

についての読みが語られているのですが、宇都宮敦は

 

(前略)情景と心情の二パートからなる短歌において、心情が情景に対する意味的な喩になっていて、同時に情景が心情に対する像的な喩になっているというのがいわゆる「短歌的喩」です。この歌だったら、「灰黄の枝をひろぐる林」という情景が「亡びんとする愛恋ひとつ」のようだと意味的に喩えられていると同時に、「亡びんとする愛恋ひとつ」という感慨が「灰黄の枝をひろぐる林」のようだと像的に喩えられています。これが同時に成り立つということは、失われつつある一つの愛恋のために、林が灰黄の枝をひろげてくれていることを意味しています。そんなことあってたまるかと私なんかは思ってしまうのですが、実際、一回一回読むときは、どちらか一方でしか読めないはずです。(以下略)

 

この後は「無限遠点的な読み方」の議論になっていくのですが、ここ、ちょっとひっかかったんですよね。宇都宮敦は

 

失われつつある一つの愛恋のために、林が灰黄の枝をひろげてくれていることを意味しています。

 

というふうにこの歌を読んでいるので、「わたしの世界」、要は「世界がわたしに奉仕する」と考えている。だけど、これって単純に、斉藤斎藤が言うように、

 

岡井さんの灰黄の歌で言うと、「私の恋が終わろうとしている」(三人称)、だからだろうか、「(私には)灰黄の枝を広げる林が(やけに印象深く)見える」(一人称)みたいな。わたしの感じ方や見え方は、わたしの属性や環境に、規定されている部分もあれば、されていない部分もある。だから主観と客観を接続詞抜きにぽんと並べて「合わせ鏡」にしていると。

 

という読み方なのではないかと思っていたんですよね。目の前の情景(あるいは心の中の「情景」)と心情が重なった時に、それがお互いの比喩として働き、「合わせ鏡」的になることは理解できるし、情景+心情というのは短歌でよくある手法かとおもうのですが、それについて

 

これが同時に成り立つということは、失われつつある一つの愛恋のために、林が灰黄の枝をひろげてくれていることを意味しています。

 

というロジック、つまり世界がわたしの「ために」ある、という読み方がどうしても分からなくて。さらに言うと、そこが納得できないゆえに「わたしの世界」「世界をわたしに奉仕させる」というロジックも理解することができないんですよね。

 

 次週へ続きます。

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2022年5月28日追記

後日考えを改めたことがあったので、参考記事を貼っておきます。

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現代歌人ファイル その19-蝦名泰洋 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

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蝦名泰洋 

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女の子だものくじらを従えて泳いだように眠る日もある

 

 全然知らなかった歌人が多いのですが、ここで出会えて嬉しいです。

 この人は青森県出身、在住とのことです。青森っていうとどうしても寺山修司太宰治のイメージがあるのですが、ふんわりしてます。歌集のタイトルも『イーハトーブ喪失』とのことで、(岩手ですけど)宮沢賢治を意識してるのかな。

 

やがて春空の梯子の真上では星替え師たちが星替えている

 

 とか宮沢賢治っぽいですね。「ジョバンニ」とか出てくる歌もあります。解説にはこう書かれています。

 

 これらの歌には幻想性があり、前衛短歌の影響を感じさせる。歌集タイトルの「イーハトーブ」とは言うまでもなく宮沢賢治が幻想した理想郷のことであり、理想郷が「喪失」したという状況が歌集全体の根本的なテーマとなっている。「星替え師」などはいかにも賢治的なフレーズである。「イーハトーブ」が東北の地にあることを想定されたように、これらの歌に描かれた世界はやや少女趣味的な幻想のように思えて実はかなり土着的である。そこが都市性を前面に押し出したニューウェーブ短歌とは大きく異なる点であり、地方都市に暮らす青年という自己像を明確にしている。

 

 そうなんだ…。あくまで印象ですけど、確かに「ニューウェーブ短歌」ってナンセンスでスタイリッシュで怠そうで都会的な感じします。村上春樹的な(笑)?そして、宮沢賢治に象徴される幻想性って、なんていうか、現実とは明らかに違うのに、この人本当にこの世界に住んでるんだっていう感じします。正気な人がそう分かっててナンセンスなことを言ってるのと、現実でない場所に住んでいる人が大真面目にしゃべってるのとの違い、みたいな…。

 それにしても「イーハトーブ喪失」ということは、それによって現実の世界へ戻って来ざるを得なくなったということだろうか。地方においてももはや幻想世界との共存は許されないのかもしれず、そこから松木秀などの「コンビニ」「イオン」に代表される地方詠に繋がっていくのかもしれないですね。

 

人と人理解し合えぬ……だとしてもだったとしてもやるせないよね

 

 この歌はド直球ですね。解説には「もはや無防備ともいえるくらいの甘い文体でついてみせる」とあります。そうですね。この人の歌、名前が「泰洋」なので普通に男性の作品として読んでいたのですが、全然名前を見なかったら女性の作品と思うかもしれないなーってちょっと思ったりしました。

 

 

タワマンのベランダからもルベウスの瞳は見える 信じてもいい (yuifall)

 

現代歌人ファイル その18-松野志保 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

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野志保 

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半欠けの氷砂糖を口うつす刹那互いの眼の中に棲む

 

 この一首だけ読むとビジュアル系的な世界観かなと思うのですが、「BL短歌」のようです。この人の回も解説がいいなって思いました。大田美和のフェミニズムといい、松野志保のBLといい、男性には触れにくいテーマな気がするのですが、まっすぐ受け止めて批判せず、バックグラウンドを探りながら鋭く内面に切り込んでいく姿勢が好きです。

 

好きな色は青と緑と言うぼくを裏切るように真夏の生理

 

もしぼくが男だったらためらわずに凭れた君の肩であろうか

 

 これらの歌の解説として、

 

 これらの歌はむしろトランスジェンダーの香りがするものであり、性の未決定期の終焉が綴られている。しかしここで松野が訴えかけようとしているのはセクシャルマイノリティの苦しみといったような社会的なものではない。思春期以前の性の未決定期という、時間的に閉じられた世界のなかにある恋愛の美しさである。

 

と書かれています。「少年」でも「少女」でもない頃、ってことなのかな。その精神を裏切って身体は女になっていくの。だからその前に死にたい、それが「JUNE」とか「やおい」の頃のBLだよね。私自身は「JUNE」とか萩尾望都とかリアルタイム世代ではないのですが、昔のいわゆるやおいものってメリバ多かったよね…。

 ですが、このくらいの時代って、男女の恋愛ものでもそういう雰囲気あったような気がします。10代で恋愛してセックスして、かろうじて妊娠出産まではあったとしても子育てみたいな生活の糠味噌くささと直面する前に死ぬっていう。今は逆にBLでもオメガバースとか、子育てBLとか、そういう意味で男同士である意味ある?って感じになっているような気がしないでもない。これってBLが大衆化したからかな?時代?それともそもそもそういうのを読んでる世代が高齢化してるから?今でも思春期くらいの子たちにはバドエン系統の話刺さるんでしょうか。

 逆に、こういう時代にこの人はどういう歌を読むんだろう。1973年生まれということは、47歳くらいですよね。これらの歌を作った頃と気持ちは変わっているんだろうか。それとも、作歌の上では同じスタイルを貫くんだろうか。

 

 しかし「真夏の生理」の歌見て思い出したのですが、レイチェル・ギーザという、妻と息子と暮らしているLGBTQ当事者の女性が書いた『BOYS 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』という本で、

 

 実際のところ、男の子と女の子が何に引き付けられるかというのは、おおむね生来の好みではなく社会化や巧みなマーケティングの結果である。例えば、女の子に人気のピンク。ピンクはいつの時代もプリンセスの色だったわけではなく、一世紀ほど遡れば男性の色と考えられていた。20世紀初期までは、ピンクは活力と強さと権力の象徴で、若い男性がよく身につけた色だ。一方、ブルーはどちらかというと女の子にふさわしい色とされていた。繊細で上品で、聖母マリアのガウンの色でもあるブルーは純潔の象徴だった。

 

と書かれています。この本とても面白いです。男の子も女の子も活躍する時代を作るには、男の子だって「男らしく」なくていい、誰もが「自分らしく」いればいい、というメッセージを感じます。

 この歌については、女の子だって「青と緑」が好きでもいいんだよ、と思う一方で、「生理」の「赤」のイメージと対比されているというのも理解できるしなー。しかし緑の血で卵を口から産むピッコロを連想したのは私だけではあるまい(笑)。

 

 最後にこう解説されています。

 

 しかし松野の歌は決して閉じた美学に支配された世界ではない。「やおい」の美学もまた国家や社会のなかに囚われざるをえないという視座をも持っている。パレスチナを舞台にレジスタンス少年二人のドラマを描いたとおぼしき連作「二重夏時間」や「国ひとつ潰えゆく夏」といった表現には、国家的・社会的規範といったものが性的モラルと同様、「美」の前に乗り越えられてゆくべきものなのだという強い批判精神が込められているのである。

 

 こういうスピリットってよしながふみっぽいな、なんか。この人は東大文学部卒のようなので、インテリの人がBLを極めるとそっちの方向へ行くのかなぁー、とかアホ極まりないことを考えました(笑)。

 

 でも私は腐女子ですけど、いわゆる「耽美」みたいなのってあんまりこうぐっとこないんだよな…。森茉莉とか読んだけど刺さらなかったもん。スパダリ溺愛攻×健気美少年受(でも流されてセックスする)みたいなBLってダメなんだよな…。ハイスペックで強くてセックスに能動的なインテリ受が好き(攻は明るい天然とか変人とか、思考がトレースできない人が好き)なので、多分、男でも女でもない、って存在への憧れなのかなって自分では思ってます。「思春期以前」ではなくて、大人の。

 

 

血にぬめる剣の束をまた掴む「じゃあ、後でな」ときみが言うから (yuifall)

 

 

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現代歌人ファイル その17-笹井宏之 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

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笹井宏之 

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ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす

 

 この人の言葉って本当にきれいだな。解説にも「真っ白な幻想世界」とあるのですが、白い部屋のイメージです。私は、もしかしたらこの人がすでに亡くなっていることを知ってから歌に出会ったからそう感じるのかもしれません。すごく中性的な(というか性別を感じさせない)歌が多い中で、「あなたのワンピース」と相手が女性であることを示唆するこの歌が新鮮で心に残ります。ワンピースに実が落ちるんだから、彼女は樹の下で眠っているのかもしれないと思いました。僕はねむらない樹で、彼女を下に眠らせて、彼女を起こさないようにそっと実を落とすのかなって。

 

集めてはしかたないねとつぶやいて燃やす林間学校だより

 

みんなさかな、みんな責任感、みんな再結成されたバンドのドラム

 

 この言葉はどこから来るんだろうって思わせます。歌集『えーえんとくちから』の解説で、穂村弘がこう書いていました。

 

私やあなたや樹や手紙や風や自転車やまくらや海の魂が等価だという感覚。それは笹井の歌に特異な存在感を与えている。何故なら、近代以降の短歌は基本的に一人称の詩型であり、ただ一人の<私>を起点として世界を見ることを最大の特徴としてきたからだ。(中略)そんな<私>中心の短歌に慣れていた私は笹井の歌に出会って驚いた。「みんな」がいて「私」がいない。しかも、「みんな再結成されたバンドのドラム」だって?近代の和歌革新運動を経た歌人たちは、誰もが「<私>は新結成されたバンドのボーカル」だと思っていたんじゃないか(近代にはバンドやボーカルって言葉はないけれど)。(中略)笹井ワールドにおける魂の等価性と私が感じるものは、一体どこからくるのだろう。

 

 山田航も、

 

これらの歌の中には基本的に作者自身の自己像は登場しない。作中主体らしき人物はいても、それは誰とでも代替可能な「Nobody」である。不条理の世界の中で<私>が消失してゆく世界観は、ある種のシュールレアリズムにも似ている。

 

と書いています。<私>は誰とでも交換可能、魂は何者とも等価であるという感覚、そこからこの優しくもどこか切ない、美しい言葉が生まれてくるのかもしれません。

 

 

文字として生まれたのだから文字として死ぬよ白鳥ボートの上で (yuifall)

 

 

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