山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
安藤美保
花びらがほぐれるように遠ざかる幼なじみの少女六人
この人の歌見るといっつも中谷美紀の歌思い出します。この歌、加藤千恵の
3人で傘もささずに歩いてる いつかばらけることを知ってる
と似てるな、と思ったのですが、解説にもそう書いてありました。
ある種普遍的な「少女感覚」の歌なのかもしれない。
とあり、分かるー、と思った。というか自分も前にそれっぽい歌作ってたな。もう会わないけどズッ友みたいなやつ(笑)。
女子の人生ってライフステージによって目まぐるしく変わっちゃうから、「遠ざかる」「ばらける」のを「知ってる」ってことになっちゃうのかもなぁ。都会-地元、結婚-仕事、専業主婦-共働き、子持ち-子なしみたいに分かりやすく分けられちゃったりするし。実際はそんな単純じゃないと思うけどね。
でもこの人は24歳で亡くなられているということを考えるととても切ない気持ちになります。恋愛のフェーズを経て、多くの女性歌人が詠っているような、妊娠とか育児の歌、生活の歌も生まれただろうに。もしくはそれを選択しない人生もあったかもしれない。どの歌も若々しくて、痛みも喜びも眩しくて、それが切ないです。
肩ならべ君とゆくときよく笑う少女となっている我を知る
まだ「少女」のままの「我」なんだよね。「よく笑う少女」という表現からは、寺山修司の「麦わら帽のわれ」に似た、見えないはずの自分の姿を描写する、自分が自分の中ではなくて外にいる感じがします。多分本当は自分のこと、「よく笑う少女」じゃないって思ってるんじゃないかな。君といるときは笑ってるんだけど、その喜びに浸っているわけじゃなくて、「ああ、私今笑ってるな」ってどこか冷静に考えてるの。「こんな風に笑えるんだ」って。
そして誰もいなくなった座席には鋏で切り刻まれた春の陽
これはなんかCoccoっぽいなー。Rainingだわ。「座席」って言い方は電車っぽいですが、なんとなく教室が思い浮かびます。でも情景としてはやっぱり電車かな…。窓枠が光を切り刻んでる感じの。
解説に「透明な悲しみ」とあって、やっぱり、(『短歌タイムカプセル』の時も書いたけど)、中谷美紀の『冷たい脚』を連想しました。
どんな未来もまだ始まらない 特別な時間が静けさで輝いてる
白い夏服着た笑顔たちの透明な哀しみが並ぶ写真
痛くても夏が似合うよ まばたきのたびに光の粒がはじける (yuifall)