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今のところglee感想と短歌のブログです

短歌タイムカプセル-松村由利子 感想

書肆侃侃房 出版 東直子佐藤弓生・千葉聡編著 「短歌タイムカプセル」 感想の注意書きです。

 

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松村由利子

 

チューリップあっけらかんと明るくてごはんを食べるだけの恋ある

 

 これは、最初は若い恋なのかなって思ったのですが、前後の歌からするとお子さんのいる人のようですので、ちょっとお気に入りとか憧れの男の人とごはんを一緒に食べられるだけでうきうき、みたいな罪のない楽しみなのかなーと思いました。だからあっけらかんと明るいのかなって。「一緒にごはん食べれるなんて嬉しい!」ってにこにこして公言してる感じの。じとっとしてなくて好きですね。

 

 この人の歌は働く母って感じです。

 

耐えかねて夜の電車にそっと脱ぐパンプスも吾もきちきちである

 

とかさー、社会人あるあるやん…。足痛いよね…。「保育園にお迎え行く」とか「恐竜の滅亡」みたいな歌もあります。

 でも、既婚者子持ちなんだろうなーって普通に思って読んでたら

 

カルピスのギフトセットが届く夏そんな家族もつくりたかったが

 

こんな歌があって、今の人ってお中元とかしないもんね、って軽く受け流してたんですけど、後になってたまたま知ったのですが、「子供はいるが家庭はない」そうです(http://petalismos.net/tanka/tanka-backnumber/tanka143.html)。

 え、じゃあ、ごはんを食べるだけの恋の相手は本当に恋の相手なのかなぁ。このアンソロジーで読んだイメージと、このHPで紹介されている歌のイメージが違いすぎてびっくりした。アンソロジーってこういうところ、面白いけど、やっぱり抽出された20首じゃ歌人の本質には届かないのかなって気がしないでもないです。

 まあー、でも、歌集or連作で読むか一首で読むか/作者の背景を知って読むかブラインドで読むか、っていうのは常にある問いだと思うし、一首で背景を知らずに読むスタイルもありかなっていうスタンスです。ただその一方できちんとした解説も読みたいなーって思ってる。。一週間くらいゆっくり思索にふけりたいな…。

 

 

恋人にはなれないけれどガーベラの分かりやすさで好きでいさせて (yuifall)

 

短歌タイムカプセル-松村正直 感想

書肆侃侃房 出版 東直子佐藤弓生・千葉聡編著 「短歌タイムカプセル」 感想の注意書きです。

 

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 松村正直

 

忘れ物しても取りには戻らない言い残した言葉も言いに行かない

 

 この人は、プロフィールのところに「石川啄木の歌集を読んで短歌を始める」と書いてあったのですが、この歌は啄木の

 

かの時に言ひそびれたる

大切の言葉は今も

胸に残れど

 

を連想させますね。言い残した言葉は2人とも結局言いに行かなかったんだよな。

 

 この人の歌はなんとなく全体的に寂しい感じがあって、

 

あなたとは遠くの場所を指す言葉ゆうぐれ赤い鳥居を渡る

 

なんかも、どうも人と距離があるような気がします。ただ後半は父になっていて、

 

声だけでいいからパパも遊ぼうと背中にかるく触れて子が言う

 

みたいな、子供や奥さんを詠った歌が優しくてじーんとしました。

 

 この人もですけど、黒瀬珂瀾や光森裕樹など、父になってからの歌がすごくぐっときます。それ以前はかっこよかったり寂しそうだったりっていう感じがする歌が多いのに、父になってからは妻子へのストレートな愛情が詠われていて、嬉しいような切ないような気持ちになる。

 嬉しいのは、特にこの人は前半ずっと人と距離がある感じの歌だったのに、後半家族を得てまっすぐな愛を詠んでいて、素直にああよかったなぁ、みたいな気持ちになるからです。で、切なく感じるのは、本当に人って今までの全てを変えられるんだろうか、って思ってしまって…。

 家庭を持って子供が産まれて今までにない愛情が沸いたからって全部ハッピーエンドなわけない、って気持ちが私にはある。かつてのこの人(松村正直)の寄る辺ない自分はどこにいったんだろう。そういう気持ちから一生逃げられるものなんでしょうか。一生、自分はここにいてもいいんだって思い続けていられるんだろうか。

 

 ただ、書肆侃侃房出版の「ねむらない樹 別冊 現代短歌のニューウェーブとは何か?」という本にこの人の2002年に書いた寄稿文が載っていて、一部を引用しますと、

 

 私が感じていることを言えば、作品の中にやはり「私」が欲しいということだ。以前の私は、ニューウェーブの影響を受けて「私」を欠落させた歌を作っていたが、それが自分自身の心に少しも響かないことに次第に空しさを感じるようになった。「私」の存在が薄い歌を作り続けるうちに、自分が消えていくような不安を覚えたと言い換えてもいい。今ではむしろ、作品の中の確かな手触りや実感を通じて、自分の輪郭を取り戻したいと思うようになってきている。たとえ無様でもいいから、おしゃれな歌でなくてもいいから、何よりもまず自分の心に響く歌が作りたい。短歌と自分の人生とが相互に影響し合うような関係でありたいと、今は思う。

 

と書いてあるので、もしかするとこの人の本質は「寄る辺ない自分」ではなく、妻子に向けたストレートな愛情の方が自分らしい、ということなのかな、と思いました。

 

 前に岡井隆の感想の時に引用したのですが、「短歌のピーナツ」というサイトの記事で(http://karonyomu.hatenablog.com/entry/2017/05/05/035220) 以下引用

 

 だいたい作歌の演習期というのは、先行する歌人の模倣にはじまり、しかも何人もの歌人を〈はしご〉していく。そのなかからなにものかを奪取し、自分自身のものを創るにいたったとき、はじめて一人前といわれる。この演習期の作品は技法として冴えることがしばしばある。本人の才能もあるが、先行する歌人の苦労して築きあげたのを、無傷のまま借用するからだ。 (佐藤通雅『岡井隆ノート』p.47)

 

 そうなんですよね。人はまず模倣から入るから、先達が作った技法をまんまパクることができ、結果、すぐにうまくなる。投稿とか、結社への出詠でも、まず初めはけっこう褒められます。しかし、そこからだんだんと自分の言いたいことや自分の文体を見つけてくると、技法をいちから作らなければいけませんから、一旦「へた」になり、ひとからは批判され、自分でも上手くいかない感触が出てくる。その期間を通り抜け、自分の文体と馴染んできて、ようやく一人前の歌人になるのです。

 

 また、一般的に「言いたいこと」があると、歌は「へた」になります。「言いたいこと」がない方が、技法に集中できるからです。

 

とあったことを思い出して、松村正直の言う「無様でもいいから自分の心に響く歌を」というのはこういうことなのかな、と思いました。「声だけでいいからパパも遊ぼう」の歌なんて、まあある意味そのままというか子供が言ったりやったりしたことを書いてるだけなのですが、それがこの人の心に響く歌なんだろうなって。

 

 こういう歌読むと、「いい歌」って何だろうって分からなくなります。穂村弘は「短歌という爆弾」という本の中で、「愛の希求の絶対性」について書いていて、端的に言えば「現実には成就することのない愛」ってことだと思ったのですが、じゃあこういった現実の自分の子供に向けた愛情、そこに現実にある愛情をナマにぶつけた歌には「愛の希求の絶対性」はないんだろうか?それとも、子供への愛は成就することはないわけだから(自分が相手を愛するように相手が自分を愛することは永遠にないわけだから)、それは「愛の希求の絶対性」なんだろうか?しかし子供を詠った歌が全て傑作というわけでもないし。というか子供への愛は「成就しない愛」というより「予め成就した愛」なのかもしれないし。

 「声だけで」の歌、私は好きだしいい歌だなって思ったから紹介したのですが、もしかしたら松村正直本人にとっては「無様」な歌なのかもしれないんですよね。まあ、私は誰の作品であってもわりと素直な感じの歌が好きなので、単純に好みの問題って言えばそうですね(笑)。

 

 個人的なことなのですが(前田透の感想の時も書いたけど)、これを読んで自分と短歌のかかわり方、というのをまた考えました。「短歌論」みたいなのを読んでると、時々「なぜ短歌の形式(五・七・五・七・七という詩型)でなくてはならないのか」「なぜ現代詩や小説ではなく短歌なのか」という命題を見るのですが、私にとってこれは最初からはっきりしていて、短歌という形式が一番自分の生な感情と距離を置きやすいからです。短歌は定型に載せる過程で自分自身と距離を取りやすいから、小説とか詩とか散文よりも形式として選びやすいし、個人的にはよりフィクション性が高い文学形式だと思ってます。なので、私は多分一生「自分の文体」を見つけて「自分の輪郭」を詠うことはないんじゃないかと思います。それも自分の短歌に将来性を見いだせない理由の一つかな…。

 

 

白線の上で生きてた世界には内側があることも知らずに (yuifall)

 

短歌タイムカプセル-松平盟子 感想

書肆侃侃房 出版 東直子佐藤弓生・千葉聡編著 「短歌タイムカプセル」 感想の注意書きです。

 

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 松平盟子

 

真鍮のバーに凭れてきくジャズの「煙が目にしみる」そう、しみるわ

 

 「煙が目にしみる」知らなかったのでググりました。「Smoke gets in your eyes」で、燃え尽きた恋の煙が目にしみるわ、っていう意味なんですね。この人の歌は全体的に大人のおしゃれ感が漂ってます。この空気感は私には出せそうにないですね…。憧れ!

 

三十代日々熟れてあれこの夜のロゼワインわれを小花詰めにす

 

足長のものならグラスも馬も好き階段のぼる恋人はなお

 

とかさぁ。三十代で美人で夜を満喫してて、足の長い恋人と一緒にバーでロゼワイン飲んでるんですよ。それで恋のあとは煙が目にしみるんですよ。ロマンス小説やんかい。

 

 

インフィニティ・プール、打ち上げ花火、ねえ、言葉で確かめ合わなかったわ (yuifall)

思い違う余地などなくて寝ることもないひとと目を見交わす今宵 (yuifall)

 

短歌タイムカプセル-枡野浩一 感想

書肆侃侃房 出版 東直子佐藤弓生・千葉聡編著 「短歌タイムカプセル」 感想の注意書きです。

 

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枡野浩一

 

絶倫のバイセクシャルに変身し全人類と愛し合いたい

 

 glee好きだし、同性愛やそれに伴う葛藤などを描いた作品に心を動かされる一方、この作品のあっけらかんとした感じに圧倒されました。あー、だよねー、別にいいよね!愛し合おうぜ!みたいなさ。レディ・ガガっぽい感じ?

 全然関係ないのですがgleeで、字幕では「(俺は)男に興味ない」ってなってた台詞、実際のscript見たら"I'm not even remotely bi-curious. "(俺はバイセクシャルですらない)みたいに言ってて、bi-curiousなんて英単語あるんだ…ってちょっと感動すら覚えた(笑)。「私がバイっぽいから?」みたいな発言の時もこの単語使われてたなー。

 

だれだって欲しいよ だけど本当はないものなんだ 「どこでもドア」は

 

 このアンソロジーに選ばれてる20首、どれも紹介したいくらいに共感できるし面白いですね。こんなに口語的で共感できて一般人に世界観を合わせて来てくれているにも関わらず唯一無二な感じ、とてもポップスっぽいです。

 

色恋の成就しなさにくらべれば 仕事は終わる やりさえすれば

 

 って笑いました。でもなー、研究職の場合、色恋並みに成就しない仕事はたくさんありますけどね(笑)。全てが徒労に終わる感じの(笑)。

 

 この人は歌人の中では一般的にも有名な方のようですが、私は逆にTVとか芸能人に疎いのでその辺よく分からん。以前に「ショートソング」読んだことあったので歌人としてはもちろん知っていましたが。単なるチャラいだけの話かなって思いながら読んだらとてもよかった記憶はあるけど読んだのが昔すぎてどんな歌が載ってたか思い出せないな…。もったいないな。読み返そう。

 こういうさらっと入ってくる感じの歌は素敵なポップソングみたいで好きです。クラシックとかオペラじゃなくてもいいんだよって感じがさ。

 

 

「らしく」ない時代になるね、スカートも家事もシェアして生きていこうね。 (yuifall)

ミニカーの他にも楽しいことあるよ ダイヤは男の子とも仲良し♡ (yuifall)

 

短歌タイムカプセル-正岡豊 感想

書肆侃侃房 出版 東直子佐藤弓生・千葉聡編著 「短歌タイムカプセル」 感想の注意書きです。

 

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 正岡豊

 

クリスマスはなんて遠いの……スリーブレスTシャツで川岸を歩けば

 

 確かに…。クリスマスは遠そうですね…。スリーブレスTシャツの季節にどうしてクリスマスのことなんて考えたんだろう…。むしろ、ハロウィンが終わった11月1日からクリスマス感出されることにうんざりしています。11月1日にクリスマスはなんて遠いの…うっとうしいなこの2か月弱…って思ってます。リアル時間ではもう12月になってしまったのでそろそろ精神的には妥協してきてますけど(笑)。

 

みずいろのつばさのうらをみせていたむしりとられるとはおもわずに

 

 これは、毟り取った方なのかな、毟り取られた方なのかな。どっちにせよ主人公は子供ですね。捕まえた虫の羽を何の気なしに毟ったのか、無防備に心を預けていたら手ひどく傷つけられたのか。最初は恋の歌かな、って思ってたんですけど、恋にしては無防備すぎますよね。「むしりとられるとはおもわず」に恋なんてできるものだろうか。

 何度もしつこく(これからも)書きますが、海外ドラマgleeが好きで、好きなシーンの一つに、「恋の相手に心を預けて、大丈夫だって自分に言い聞かせる。でもいつ手ひどく裏切られるかなんて絶対に分からないんだ。それでも信頼は選択だ。僕は何があってもきみを信じて愛していくって決めたよ」っていう場面があって、恋ってそうだよな、って思ったんです。「むしりとられるかもしれない」と思いながら「つばさのうらをみせる」のが恋だって。

 

 この人の歌、これもですけど、

 

きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある

 

なんかも、すごくすごく言葉が美しいしすごく好きだなって思う反面、好きだって思う自分に浸りきれない感じがして、なんでだろうってずっと考えていて。それで気づいたのは、多分この人のこういう歌ってジュブナイルなんだと思うんですよね。もちろん良質なジュブナイルは大人の心にも響くけど、やっぱり対象年齢が違うなって。青春時代を過ぎた自分が浸ってていい歌じゃないなって感じました。

 なんというか、愛情の一般的な段階として①毟り取られるとは思わずに翼の裏を見せる(子供)→②毟り取られるのが怖くて翼の裏を見せられない(青春)→③毟り取られるかもしれないと思いながら翼の裏を見せられる人を愛する(大人)→④毟り取られるとは思わずに翼の裏を見せてくる人を守る(親)、みたいに進行していくとして、この人のこういう剥き出しの心が詠われた歌は②期の人向けだなって思うんです。だから今②期にいる人に出会ってほしい歌だなって思います。

 

 

革命はなんて遠いの……それなりの信念なしに暴徒と化せば (yuifall)

刺すよりは消えちゃう方が楽でしょう、これ以上何を思えばいいんだ (yuifall)

 

短歌タイムカプセル-前田透 感想

書肆侃侃房 出版 東直子佐藤弓生・千葉聡編著 「短歌タイムカプセル」 感想の注意書きです。

 

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 前田透

 

分去の名はかなしくて吾を責む才なき者文学を捨てよ

 

 真剣に文学に向き合うと、そう感じる瞬間はあるだろうなと思います。というか、何でもですけど…。学問なり仕事なりに真剣に向き合うと、このまま自分は何者でもなく終わるのか、と捨ててしまいたくなる時がありますよね。文学の場合、たった一言、たった一文字の言葉の美しさやその選び方に打ちのめされることはあるだろうなと想像します。

 

盲目の犬はフェンスにつき当たりしばし虚空を見据えていたり

 

 これも想像すると寂しいな…。私の空想では、晴れた日で、ちょっと埃っぽい場所で、フェンスの向こうにあるのは廃墟になった工場です。

 

 ちなみにこの人は歌人前田夕暮の息子なんですね。前田夕暮

おごそかに隔つるもののあるをおぼゆ愛すといへど恋ひすといへど

好きです。

 

 

文学を弄びをり才なくば悲しき私的玩具となして (yuifall)

 

 

 以下、個人的なことをだらだら書き連ねている駄文です↓

 人生の節目で何度か短歌にはまりながらも結社に入ったりどこかに投稿したり賞に応募したり短歌を通して誰かと交流したり、そういう批評を受ける場に自分の短歌を出さない理由は何だろう、って時々考えることがあって、まあ現実的には実生活とそういったことの両立をするキャパシティが自分にはないし、性格的に飽きっぽいのでいつも短歌ブームが短期間で終わってしまうっていうのもあるのですが、この人の歌読んでもっと精神的なところで理解した気がします。私は「才なき者」だからだ、って思いました。「文学を捨てよ」って誰かに言われたくなくて、だからいつまでも「悲しき玩具」として手元に置いておきたいんだ、って思った。

 本当はどんなど素人であっても、「ここをこうした方がいい」とか「これはどういう意味なんだ」とか指摘をもらいながら作品の質を上げていった方がいいのは分かり切っているし、自分の思考の及ばない領域から色々アドバイスをもらえたらいいなって思うこともあるのですが、そこまでして自分の短歌のレベル上げる意味って?とか思ってしまってモチベーションが上がらないんですよね…。賞獲ってる作品とか本物の歌人の歌とか読んでると、あーこのレベルにいくのは無理やなってなんか勝手に納得してしまって駄目です。。投稿したってどうせ賞とか獲れんやろって思うし。本業でも「才なき者学問を捨てよ」みたいな気持ち満々なのに、趣味までそんなかかわり方したくないなって…(だから坂井修一とか岡井隆とか永田和宏とか心底すごいなって思う)。

 なんか、荻原裕幸の感想の時に「以前my短歌ブームが来た時はポストニューウェーブにはそれほどはまらなかった」って書いたんですけど、よく考えるとはまらなかったというよりも、読めなかったのかなという気がします。多分自分も若くて自意識が過剰すぎたから、若い人の才能を目の当たりにするのがしんどかったんだと思う。でも今は全然、どの人の歌を読んでも楽しいなって思うし、すごいなとか好きだなってまっすぐ思う。これは多分、歌人になりたかったらダメなんだと思うけど、鑑賞する側としては楽になったし楽しいです。

 あと単に最先端が好きじゃないっていうのはあります。最先端のものって情報量が多すぎるし疲れてしまう(だから鬼滅の刃も読んでないんですよね…。まあ今更gleeにはまってるくらいなのでそういうスタンスです笑)。5年10年以上たってまだ残っているものを鑑賞するスタイルでいいか、って。

 それから、短歌そのものも好きですけど短歌の鑑賞文とか解説文を読むのが好きで、というか単純に誰かの感想とか考察を読むのが好きなので、短歌とのかかわり方として、私はずっとそういう辺縁にいるだけでいいやって気がしてます。こうやって書き散らかしてるだけでわりと楽しいです。

 

短歌タイムカプセル-穂村弘 感想

書肆侃侃房 出版 東直子佐藤弓生・千葉聡編著 「短歌タイムカプセル」 感想の注意書きです。

 

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 穂村弘

 

終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて

 

 この人の短歌めちゃくちゃ有名ですよね。エッセイとか短歌解説本?も昔色々読みました。

 この歌は遊び疲れた恋人同士がバスで家に帰るところ、みたいな可愛い感じもするし、だけど終バスだし、2人とも眠っていたらこのまま異世界まで眠ったまま行ってしまうんじゃないかみたいなどきどき感も感じさせます。言葉の使い方が絶妙ですよね。<降りますランプ>って。

 

体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ

 

 「象のうんこ」「かぶと虫まっぷたつ」みたいな歌もたくさんありますけど、こういうかわいい系好きだなー。天然で可愛い彼女なのかなって気がするやつ。これは多分彼女が風邪ひいてて、体温計咥えるんだから昔ながらの水銀のやつで、窓は結露で曇ってて、指できゅってして熱い額を冷たい窓にくっつけて窓の向こうに雪が降っているのを見て熱で変なテンションになってはしゃいで「ゆひら」って騒ぐんだけど息でまた窓が曇っちゃうんだ。で、彼氏は「雪のことかよ。はしゃいでないで寝てなよ」って言うんだな。うわーかわいい。

 ちなみにこの「体温計」は婦人体温計説があると耳にしたのですが、婦人体温計だったら窓に額つけてはしゃがないと思うなー。絶対熱があるんだよ。熱のテンションです!そして熱で寝てる時に一緒にいる恋人なんだからもうかなり打ち解けた関係で、半同棲的なノリなのかなーって。

 

 ちなみに私は(このアンソロジーには載ってないのですが)

 

猫投げるくらいがなによ本気出して怒りゃハミガキしぼりきるわよ

 

というこの人の歌が好きなのですが、これでググったらハミガキしぼりきった人のブログがヒットして笑いました。

https://washira.jp/ruricurry/posts/86742

 

 

初めての真夏日だからそうしなきゃいけないみたいに吸ってるパピコ (yuifall)

「11時半でも午後は午後でしょう?」「うん、でも中身ウォッカなんだよ」 (yuifall)