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短歌と洋楽和訳メインのブログです

「一首鑑賞」-その28

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

28.産めば歌も変わるよと言いしひとびとをわれはゆるさず陶器のごとく

 (大森静佳)

 

 歌だけ読んでクリックして、大森静佳が詠んでいるのか、と驚いた歌です。砂子屋書房「一首鑑賞」で久我田鶴子が紹介しています。

sunagoya.com

 この「歌も変わるよ」ってどういう意味なんだろう。大森静佳の歌は、第一歌集『てのひらを燃やす』がほとんど相聞歌である、と指摘されていましたが(その後第二歌集『カミーユ』では違うみたいですけど)、例えば年齢を経るごとに相聞、青春から社会詠に、あるいは出産、子供の歌に、という風に歌のテーマが変遷していく、ということはあり得ると思います。まあ「相聞」にも色々あるのですが、架空の恋愛を詠んでいる場合はともかく、作者と実際の恋人の関係性を歌にしている場合は、それが家族なり違うテーマに変わっていく、ということは十分あるかと思います。しかし、それはあくまで歌のテーマの変遷であって、「歌も変わる」という本質的な内容ではない気がします。

 私のものすごく狭い範囲の知見(知見と言えるのかどうかすら不明ですが…)だと、むしろ「産んで歌が変わった」のは男性にしばしばみられる感じがします。ここでは具体名は挙げませんが、子供を持つ前と思われる歌と子供が産まれた後と思われる歌で作風が全然違っていて驚いた歌人が何人かいました。逆に、女性はどうかな。やっぱり、妊娠と出産、子育てが点と点ではなくて線で繋がっているせいか、劇的に変わったと思った歌人の名前を今挙げることができません。

 

 解説には

 

「産めば歌も変わるよ」とは、私が言われたかもしれない言葉だ。結婚も出産も、女にとってはそれまでの人生をひっくり返されるような出来事で、覚悟が要る。殊に、出産に関しては女であるがゆえの悩み方をしてきた。

 

とあります。確かに、結婚で一般的に女性側が姓の変更(による今までの人生との別離)を迫られるし、場合によっては離職など大きな生き方の転向を迫られるでしょう。出産においては身体的な限界や不妊、妊娠や出産に関連した心身の不調などをダイレクトに経験するのは女性側です。川野里子の歌とか読んでいると、「変わらざるを得なかった私」と「変わらない夫」というイメージを受けました。しかし、一方で「結婚」も「出産」でも点ではないと思う自分もいる。実際には、「結婚生活」「妊娠」「子育て」という「生活」が横たわるわけです。ある一点を境に百八十度人生が変わるってことではないような気がする。

 

 それにしても「歌も変わるよ」って漠然としていて言葉の意味がよく分からない上に、その言葉によって彼女をどうしたいのか意図も全く分かりません。そもそも子供を産むって究極にプライベートなことをとやかく言われたくないだろう、と思う反面、言った人の年代によっては全く悪意なく、むしろ善意であったりそれ以前の何気ない話題であったりしたのかもしれない。

 解説では

 

「産めば歌も変わるよ」は、誰がどういう場で言った言葉だったかと想像してみる。作歌の行き詰まりの打開策として、安易に出産を口にしたものか。出産に年齢的な限界があるのを気遣って、歌のことにまで及んだものか。

 

このように考察されています。

 

 うーん、私の勝手な妄想だけど、

 

唇(くち)と唇合わすかなしみ知りてより春ふたつゆきぬ帆影のように

 

みたいな大森静佳の作風に対して、「子供を産んで現実の生活に疲れればあんな歌は詠めなくなる」と言っているようにも感じます。だがしかし、葛原妙子が大病院の院長夫人として子供を産んで育てるという当時求められた女性としての生を全うしながら

 

おほきなる屑籠ありてやはらかきみどり児を容るるに足らむ

 

みたいな歌詠んで幻視の女王と呼ばれていたように、出産を経るという人生経験がダイレクトに作風に影響するかどうかは正直、人によるとしかいいようがない感じがしますけどね…。

 

 それにしても、「陶器のごとく」がきいています。

 

磁器ではなく、陶器。火をかいくぐり、ざらざらとした肌合いを残した焼き物の強さ。そこに、どっしりとした古代の土偶、いや、火炎土器のような立ち姿が浮かんできた。

 

だそうです。

 

 

殺むれば歌も変わると言いてみよあるいは産んで殺したならば (yuifall)

 

 

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「一首鑑賞」-その27

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

27.童貞に向けられている放送を処女の私はひっそりと聴く

 (川島結佳子)

 

 これ読んでちょっとびっくりしてしまいました。砂子屋書房「一首鑑賞」で久我田鶴子が紹介していた歌です。

sunagoya.com

 「童貞に向けられている放送」ってなんだろう。ラジオかな。鑑賞文には

 

「童貞」も「処女」も、セックス未経験者ということでは同じはずだ。だが、そのことをオープンにして笑いに落とすことは、「童貞」には出来ても「処女」にはまだまだハードルが高いようだ。(中略)

それにしても、「童貞の誰か」に出来ることが、何故「処女の私」には出来ないのか。男女の違いは、こんなところでも意識させられることであった。

だからといって、ここで作者は異議を申し立てているわけではない。自らの置かれている位置を、まさに「ひっそりと」歌にしてみた、といった風情である。そこに何を感じとるかは、読み手に委ねられている。

 

と書かれています。

 

 ところで、若者の恋愛離れ、生涯未婚率の上昇が指摘されている昨今、ポリティカルコレクトネスの機運も高まる中、「童貞」が笑いになるのかどうかよく分かりません。この「男女の違い」というのは、選ぶ-選ばれる、という側面もあり、それではどちらが「選ぶ」側かというと難しいところです。生物学的には、一般論ですけど、生殖に際して圧倒的に優位なのはメスです。でも、人間の場合は生殖後に長期におよぶ妊娠、育児期間があることから、その間の生活を保障してくれる男性側に「選ぶ」側面があることも否定できません。

 思うに、男性の「童貞」がもし笑いになる要素があるとすれば、

①そもそも三次元の女性との間の性交渉を希望していない

②「今は」童貞であるが、お金を稼いでのし上がることでそうでなくなる可能性もあるだろう

③いざとなったらプロにお願いするという手もある

などといった前提条件があげられ、いずれにおいても精神的な要素(愛する女性に選ばれていないからこそ童貞なのであるという)を削ぎ落して考えることができそうですが、一方女性は、と考えると、どうでしょう。圧倒的に腕力で勝る男性と裸で2人きりになるわけです。暴力、STD、妊娠、隠し撮り等の不安を超えて身を委ねるには、やっぱり精神的なつながりを求めてしまうのではないかな。だから、「処女」という状態には(成人であることを前提としてですけど)、どこか「選ばれない女」という影が付き纏うように思われたのではないだろうか。

 

 前にピーター・レフコート『二遊間の恋―大リーグ・ドレフュス事件』という本を日本語訳で読んでいて、ゲイ男性が男性との行為の後、相手に女性との性経験を尋ねられて「俺は処女だよ」って答えるシーンがあるんです。文脈から「処女」って単語にすごい違和感で、おそらく原語では I am a virgin と言っているのではないだろうかと考えました(原語見てないので分かんないけど)。gleeでも何度かそういう台詞ありましたけど、男女関係なく「純潔である」という意味合いでvirginが用いられるんですよね。まあ、この場合には全く純潔ではないので、「女性との経験がない」と訳するのが自然な気がします。この文脈だと「処女」とか「童貞」とかって言葉はあんまり適切でないように感じた。

 この歌読んでこのシーンを連想して、いくつかのことを考えました。まず一つ目は、もし英語だったらこの「童貞」「処女」のニュアンスの違いが正確に伝わるのだろうか、ってことです。これは、virginという単語にどういうニュアンスを読み取るべきなのか体感として分からないので知りようがないのですが…。

 あとは、私は完全に異性愛者女性としての立場から読んでいたのですが、性的マイノリティの立場からするともっとニュアンスが変わってきてしまうよなーと。解説の「読み手に委ねられている」の言葉通り、そういう目線からの読みにも触れてみたいと感じました。

 

 このページでは、最後に3首の歌が添えられています。

 

「ねぇセックス、してくれないかな」と私言うお冷の氷からから揺らし

進化だと君は言うのだ尾てい骨さすり階段おりる私に

うん。何も変わっていない私は悩む処女から悩む非処女へ

 

 これ読んですごく悲しかったけど、やっぱりここでも「男女の違い」ってことを考えました。もし作者が男性だったら、「ねぇセックス、してくれないかな」でしてくれる女性はいるのだろうか。もしいたとしたらそもそもそこまで童貞ではいないのではないか。

 そして結局、精神的なつながりとは全く無関係のところで行為のみが行われたわけで、冒頭の歌における「処女」のイメージに付き纏っていた「選ばれない女」という影は全く払拭されていません。だから、「悩む処女から悩む非処女へ」なったのは全く不思議でもなんでもなく当然の帰結であり、だけどそのこと自体も行為がなかったら実感することはなかったのかもしれないと思うとやるせない気持ちになります。

 

 しかし、本当に幸せで全て捧げてもいいって思って初めての経験をする人ってどのくらいいるのかな。川野芽生の

 

強ひられて嫁したるごとし 女(をみな)としてこの世へいたる閾(しきみ)越へにし

 

という歌がありましたが、なんかもうそういうものとして生きていかざるを得ないのかもしれないなってちょっと思いました。だから、この人も、すでに経験済みであるということで何らかの軛から解き放たれ、男性から選ばれるかどうかで自分の価値は決まらないということに気付くことができるのならばそれはそれでよかったのかなって気もします。

 

 

セックスは固定電話とおんなじで特別、普通を経て消えていく (yuifall)

 

「一首鑑賞」-その26

「一首鑑賞」の注意書きです。

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26.下がってく水位があって、だめだな、あなたと朝を迎えるたびに

 (千種創一)

 

 この歌に出会ったのは『短歌タイムカプセル』で、一目惚れしました。正直意味はよく分からなかったのですが、分からなくてもかっこいいからいいや、と思ってそのまま受け取っていたんですよね。

 でも最近になってなぜかどうしても気になって、意味が知りたいと思ってGoogleで検索して考察しているサイトさんがないかなーと思ったのですが、言及しているサイトさんで私が探せたのは2件だけでした。

 

 1件目は、「詩客」短歌時評 の記事です。

blog.goo.ne.jp

 これは同人誌として発行された「中東短歌1」の評論でした。特に千種創一の短歌を引用し、

 

 同人誌のなかで、ひとつの(一人の)作品がこれほど突出してしまうのがよいことなのかどうか、という点は疑問に思う。しかし、この一連が非常に充実した一連であり、これを掲載する場として「中東短歌」1号を選んだというのはこの同人誌にとって幸せなことだったのではないか。

 

という風に書いています。「下がってく~」の歌は引用はしていますが特に個別の解説はなく、

 

 この一連が印象的だったのは、「中東短歌」に所収されていながら、中東(この連作ではヨルダン)の情景に寄りかかりすぎていないことと、そのなかで詠われる「あなた」に対する「寄り添う相聞歌」の美しさだ。

 

連作そのものに対してこのように評しており、「美しい相聞歌」と受け取られていることが分かります。

 

 一方、もう1件は丸田洋渡という方のブログでした(敬称略すみません)。

note.com

 ここでは、この歌はこのように鑑賞されています。

 

 この歌を見た時に、瞬間的に〈セックスをするたび水に沈む町があるんだ君はわからなくても/雪舟えま〉を想起した。その反対というか、終わり際のことを言っているのかなと、勝手にそっちの方で読みを進めた。「だめだな、」の生々しくて素直な感情、「あなたと朝を迎える」という素敵で静かなことが、水を背景に起こる。一首に流れる朝の光る空気を感じて好きだった。無理に性交の読みに繋げなくても読める。この一冊の中にあるがために、「下がってく水位」だけで砂が見えてくるのも、言葉のはたらきを感じた。

 

 この、「終わり際」というのはどういうことだろう。「恋の終わり」?それとも「セックスの終わり」?雪舟えまの歌の「反対というか」と書かれており、これは「セックスをするたび水に沈む」の反対として「あなたと朝を迎えるたびに水位が下がる」と考えたのですが、つまりは雪舟えまの歌は「セックスの最中に水に沈む(水で満たされる)感覚」で、千種創一の歌は「セックスを終えた朝に水位が下がる(もしかしたら、「浮かび上がる」?)感覚」と読めます。ブログを書いているのは男性なので、「終わり際」、というのはつまり、「射精の瞬間」に近い感じ?しかし、勝手な思い込みかもしれませんが、「終わって」しまうとテンションって下がるものって聞きますけどどうなんでしょう?

 

 もともとは、なんというか「逢ひ見ての後の心にくらぶれば」みたいな感じで読んでたんです。朝を一緒に迎えるようになる関係の前もそれなりに好きだったけど、そういう朝を繰り返すたびに「だめだな、」って、自分の心が制御できず「あなた」に向かって行く感じ。でも、「終わり際」という言葉が示されたことによって自分の中で「水位が下がる」の解釈が分裂して分からなくなってしまいました。「水位が下がる」って、恋愛の場面ではいい意味なんだろうか、悪い意味なんだろうか。文脈を無視して「水位が下がる」という一点だけで読めば、「テンションが下がる」とも読めなくもないですよね。満ちていた水が下がっていく感じ。

 でも、「生々しくて素直な感情」「素敵で静かなこと」という書き方からは、やっぱり「逢ひ見ての後の心にくらぶれば」みたいな読みを想定しているんじゃないのかなあ、って気がする。

 

 私は短歌や洋楽の解釈がかなりハピエン厨寄りだなって自分でも感じるところがあって、だからそうでない人から見ると解釈が甘いと思われるかもしれませんが、やっぱりこの歌は愛の歌として読みたいなあと思ってます。「水位が下がる」というのは、自分の中身がさらけ出されていく感覚なのかなあ、と。自分の底を見せないように満たしていた水が、水門が開くように流れ出していって、あなたの前にあらわになっていく、そのとめどない感じ。「だめだな、」と自嘲しながらも止められないんです。なすすべもなくあなたとまた朝を迎えてしまうし、そのたびに自分のやわらかい部分がむき出しになっていく。その底にあるのはもしかしたらやわらかい「砂」なのかもしれません。そしてあなたがその上を裸足で歩くの。

 

 まあとにかく千種創一の歌かっこよすぎて歌集2冊買ってしまいました。この歌すごい好きだし、色んな解釈が読みたいなあと思ってます。

 

 

引き潮にスカートの裾濡らしてさ、ビーチグラスを手に笑うんだ (yuifall)

 

 

短歌タイムカプセル-千種創一 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ

「一首鑑賞」-その25

「一首鑑賞」の注意書きです。

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25.ぬるい息外耳にふれてヴェルヴェット・ヴォイスの渦にしずむ薔薇園

 (錦見映理子)

 

 この歌は現代歌人ファイル 98-錦見映理子 感想 でも取り上げましたが、『橄欖追放』でも目に留まったので再度。

petalismos.net

 Shawn Mendes & Camila CabelloのSeñoritaを聴いていたためか、そのイメージで再生されます。ヴェルヴェット・ヴォイスは文脈からは男性の声な気がするので、Shawn Mendesの方かなー。それにしてもこの曲、

You keep me coming for you

のところ、「あなたにどうしても惹かれてしまう」っていう意味合いで最初受け取っていたのですが、途中の歌詞が

 

You say we’re just friends

But friends don’t know the way you taste, la-la-la (La, la, la)

‘Cause you know it’s been a long time coming

Don’t ya let me fall, oh

Ooh, when your lips undress me, hooked on your tongue

Ooh, love, your kiss is deadly, don’t stop

あなたは「友達だ」って言うけど、友達があなたの味を知ってるの?

長いことずっと待ってたわ、わたしをがっかりさせないで

あなたの唇に脱がされて、その舌に溺れるの

キスをやめちゃだめ

 

って感じで、あー、このkeep coming for youっていわゆるベッドの中で言う方のcomingなのかなーって思った。そういうときの表現で、come for meとかって言うよね。このfor meのニュアンスがよく分からないのですが…。

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 この歌も、一首で読むと「耳元で話しかけられた」と、クリーンな意味合いにもとれますが、一緒に取り上げられている歌が

 

熱性の病見えざるままに身を冒しつくすをうっとりと待つ

 

口中に金魚の泳ぐ心地してかみ殺したくなるディープ・キス

 

みたいな感じなので、クリーンな意味合いではないだろうなーと。

 この「薔薇園」は何のことだろうか。ヴェルヴェット・ヴォイスの渦に沈むのだから、耳元で囁かれて落とされるのは自分なはずで、女性の何かのメタファーかと思われます。

 単語そのものは必ずしも直接的ではないのに、深い官能をイメージさせる言葉の使い方に心惹かれました。解説に

 

 草いきれを嗅ぐ嗅覚、息が外耳に触れる触覚、ヴェルヴェット・ヴォイスを聴く聴覚、金魚が跳ねる口内感覚など、感覚器官の五感をフル稼働させて、極めて身体感覚的な歌の世界を作り上げている。

 

とあります。生々しい身体感覚が美しい言葉で表現されていて印象的でした。

 

 

うちがわを中指の腹で触れるとききみのこころのやわさがこわい (yuifall)

 

 

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Señorita (Shawn Mendes & Camila Cabello) 和訳

洋楽和訳の注意書きです。

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Señorita (Shawn Mendes & Camila Cabello)

Songwriters; :Ali Tamposi / Andrw Watt / Benny Blanco / Camila Cabello / Charlotte Aitchison / Jack Patterson / Magnus Hoiberg / Shawn Mendes

www.youtube.com

I love it when you call me señorita

I wish I could pretend I didn’t need ya

But every touch is ooh-la-la-la

It’s true, la-la-la

Ooh, I should be runnin’

Ooh, you keep me coming for ya

 

Land in Miami

The air was hot from summer rain

Sweat drippin’ off me

Before I even knew her name, la-la-la

It felt like ooh-la-la-la, yeah, no

Sapphire and moonlight, we danced for hours in the sand

Tequila sunrise, her body fit right in my hands, la-la-la

It felt like ooh-la-la-la, yeah

 

I love it when you call me señorita

I wish I could pretend I didn’t need ya

But every touch is ooh-la-la-la

It’s true, la-la-la

Ooh, I should be runnin’

Ooh, you know I love it when you call me señorita

I wish it wasn’t so damn hard to leave ya

But every touch is ooh-la-la-la

It’s true, la-la-la

Ooh, I should be runnin’

Ooh, you keep me coming for ya

 

Locked in the hotel

There’s just some things that never change

You say we’re just friends

But friends don’t know the way you taste, la-la-la (La, la, la)

‘Cause you know it’s been a long time coming

Don’t ya let me fall, oh

Ooh, when your lips undress me, hooked on your tongue

Ooh, love, your kiss is deadly, don’t stop

 

I love it when you call me señorita

I wish I could pretend I didn’t need ya

But every touch is ooh-la-la-la

It’s true, la-la-la

Ooh, I should be runnin’

Ooh, you know I love it when you call me señorita

I wish it wasn’t so damn hard to leave ya

But every touch is ooh-la-la-la

It’s true, la-la-la

Ooh, I should be runnin’

Ooh, you keep me coming for ya

 

All along I’ve been coming for ya (For you)

And I hope it means something to you (Oh)

Call my name, I’ll be coming for ya (Coming for you)

Coming for ya (Coming for you)

For ya

For ya (Oh, she loves it when I come)

For ya

Ooh, I should be runnin’

Ooh, you keep me coming for ya

 

 

直訳

 

I love it when you call me señorita

あなたが私をお嬢さんと呼ぶときそれが好き

I wish I could pretend I didn’t need ya

あなたが必要ないって振りができたらいいのに

But every touch is ooh-la-la-la

でもあなたに触れるといつも

It’s true, la-la-la

それは真実

Ooh, I should be runnin’          

私は逃げ出しているべき

Ooh, you keep me coming for ya

あなたは私をあなたを迎えに来させ続ける

 

Land in Miami

マイアミに着陸

The air was hot from summer rain

その空気は夏の雨で暑かった

Sweat drippin’ off me

俺から汗がしたたり落ちる

Before I even knew her name, la-la-la

彼女の名前さえ知る前に

It felt like ooh-la-la-la, yeah, no

俺は何かを感じた

Sapphire and moonlight, we danced for hours in the sand

サファイヤと月光、俺たちは砂の上で何時間も踊った

Tequila sunrise, her body fit right in my hands, la-la-la

テキーラサンライズ、彼女の身体が俺の手にぴったりと合わさる

It felt like ooh-la-la-la, yeah

それはまるで

 

I love it when you call me señorita

あなたが私をお嬢さんと呼ぶときそれが好き

I wish I could pretend I didn’t need ya

あなたが必要ないって振りができたらいいのに

But every touch is ooh-la-la-la

でもあなたに触れるといつも

It’s true, la-la-la

それは真実

Ooh, I should be runnin’          

私は逃げ出しているべき

Ooh, you know I love it when you call me señorita

ああ、分かってるでしょ、あなたが私をお嬢さんと呼ぶときそれが好き

I wish it wasn’t so damn hard to leave ya

あなたのもとを去るのがこんなに辛くなければよかったのに

But every touch is ooh-la-la-la

でもあなたに触れるといつも

It’s true, la-la-la

それは真実

Ooh, I should be runnin’

私は逃げ出しているべき

Ooh, you keep me coming for ya

あなたは私をあなたを迎えに来させ続ける

 

Locked in the hotel

ホテルに閉じ込められて

There’s just some things that never change

決して変わらないものもある

You say we’re just friends

あなたは私たちがただの友達だと言う

But friends don’t know the way you taste, la-la-la (La, la, la)

でも友達はあなたの味わい方を知らないわ

‘Cause you know it’s been a long time coming

だってここまで長いことかかったってあなたは知ってる

Don’t ya let me fall, oh

私をがっかりさせないで

Ooh, when your lips undress me, hooked on your tongue

あなたの唇が私を脱がせ、あなたの舌に溺れる

Ooh, love, your kiss is deadly, don’t stop

ああ、愛してる、あなたのキスは致死的だわ、やめないで

 

All along I’ve been coming for ya (For you)

最初からずっとあなたのために来続けていた

And I hope it means something to you (Oh)

そして私はそれがあなたにとって意味があることだって願う

Call my name, I’ll be coming for ya (Coming for you)

名前を呼んで、あなたを迎えに行くわ

Coming for ya (Coming for you)

あなたのために行く

For ya

あなたのために

For ya (Oh, she loves it when I come)

あなたのために(彼女は俺が来るときそれが好き)

For ya

あなたのために

Ooh, I should be runnin’

ああ、私は逃げているべきね

Ooh, you keep me coming for ya

あなたは私をあなたを迎えに行かせ続ける

 

*come to youで「あなたのところへ行く」、come for youで「あなたを迎えに行く」だそうです。でも思うに、このcome for youはベッドの中で使うcomeなんじゃないのかなーって気がしてます。。Come for me, babyとか言うよね(笑)。

 

 

意訳

 

あなたが私をセニョリータと呼ぶとたまらなくなる

あなたなんてなんでもないってふりができたらいいのに

だけどあなたに触れられるといつも、それが真実だと分かるの

私はあなたに溺れるべきじゃない

だけどあなたに惹かれ続けてる

 

マイアミの空港を出ると、空気は夏の雨で噎せ返るよう

汗がしたたり落ちる

彼女の名前すら知らないうちから、俺は何かを感じてた

サファイヤと月明りの砂浜で何時間も踊り続け

テキーラサンライズ、夜明けには彼女の身体が俺の手にしっくり馴染む

それはまるで…

 

あなたが私をセニョリータと呼ぶとたまらなくなる

あなたなんてなんでもないってふりができたらいいのに

だけどあなたに触れられるといつも、それが真実だと分かるの

私はあなたに溺れるべきじゃない

あなたが私をセニョリータと呼ぶとたまらなくなるのよ

別れがこれほど辛くなければいいのに

だけどあなたに触れられるといつも、それが真実だと分かるの

私はあなたに溺れるべきじゃない

だけどあなたに惹かれ続けてる

 

ホテルに閉じ込められて、決して変わらない気持ちを確かめる

あなたは「俺たちはただの友達だ」って言うけど

友達があなたの味わい方を知るはずがないわ

ここに辿り着くまでどれだけかかったかしら

私をがっかりさせないで

あなたのくちびるに脱がされて、その舌に溺れるの

愛してる、そのキスに狂わされる

お願いやめないで

 

あなたが私をセニョリータと呼ぶとたまらなくなる

あなたなんてなんでもないってふりができたらいいのに

だけどあなたに触れられるといつも、それが真実だと分かるの

私はあなたに溺れるべきじゃない

あなたが私をセニョリータと呼ぶとたまらなくなるのよ

別れがこれほど辛くなければいいのに

だけどあなたに触れられるといつも、それが真実だと分かるの

私はあなたに溺れるべきじゃない

だけどあなたがほしくてたまらない

 

初めから出会う運命だった

あなたも分かっていると信じるわ

名前を呼んで、あなたのもとへ行くから

あなたのために、あなたのもとへ

(おいで、俺が欲しいだろ)

ああ、だめ、あなたに溺れたくない

なのにだめなの、あなたがほしくてたまらない

 

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東郷雄二 『橄欖追放 [sai] 歌合始末記』 感想 「パパイヤ」

橄欖追放 [sai] 歌合始末記 感想

の注意書き(『短歌パラダイス』感想の注意書きとほぼ同様です)およびルールはこちらです。

yuifall.hatenablog.com

橄欖追放 [sai] 歌合始末記

petalismos.net

 第一戦は「パパイヤ」です。

 

タイ内陸部、チェンマイ

パパイヤを提げて見てをり瞑想のまへに僧侶がはづす眼鏡を (光森裕樹)

うるはしきルーティンワーク犇めけるパパイヤのたね身に飼ひながら (石川美南)

 

 歌合参加者の発言などの詳細については[sai]に載っているそうで、サイト上だけでは詳しく見られないのが残念なのですが、分かる範囲で歌の「読み」も味わいながら考えてみました。

 

 

タイ内陸部、チェンマイ

パパイヤを提げて見てをり瞑想のまへに僧侶がはづす眼鏡を (光森裕樹)

 

 光森の歌は、「タイ内陸部、チェンマイ」と詞書があり、タイが舞台であることが分かります。そこから、「僧侶」が敬虔な仏教の僧侶であることが想像されます。自分はパパイヤを買って寺院を見学に来た観光客で、僧侶が瞑想の前に外した眼鏡を見ている、という情景でしょう。

 これに関しては自分ではこれ以上読み切ることができず、解説を見ながら考えました。高島裕の発言が引用されています。

 

私には高島裕の示した解釈が印象深かった。眼鏡は近視の人がこの世の事物を見るために必要なものであり、この世を暫時離脱する瞑想に入る僧侶には必要のないものである。眼鏡を外す行為は、見える世界から見えない世界への移行の喩であり、この歌にはそのような仏教的世界観が表現されているというのである。

 

 確かにそうだ、と思い、瞑想の前に「眼鏡をはずす」ことで僧侶の精神性や世界観が表現されていることに納得しました。そこから更に考えたのですが、「わたし」が見ているのは「僧侶」ではなくて「眼鏡」なんですよね。つまり、「俗世を見るための」ツールです。自分は「パパイヤ」を提げていて、僧侶は「眼鏡」を外す、という行為が描写されている以上、「パパイヤを提げる」ことと「眼鏡をはずす」(=俗世からの離脱)ことは多分繋がっているんだと思う。じゃあこの場合、「パパイヤ」は何のメタファーなんだろうか。東郷雄二は

 

パパイヤの形状と、黄色い果肉の中に黒い種がぎっしり詰まっている内部構造が重要ではないかということだ。パパイヤの外見はやや括れた卵形をしているが、卵はしばしば宇宙や再生のシンボルとされる。また内部に詰まった種はビッグバンのごとき爆発的な生産力を暗示する。するとパパイヤ自体を転成を繰り返す宇宙の暗喩とみなせるのではないか。ならば僧侶が眼鏡を外す行為が象徴するこの世からの離脱と、パパイヤが体現する宇宙的次元はよくマッチするのである。

 

と書いています。うーん、これは分かるようで分からない。というのは、私は「パパイヤ」が題であるということを考えた時、じゃあ「マンゴー」に変えてみたらどうなるの、って考えたんです。光森の歌は、なんで「マンゴー」じゃなくて「パパイヤ」じゃなきゃいけないか、っていうのが自分で自分をうまく納得させられなくて。東郷雄二の解釈を読んでも、「卵型である」「内部に種が詰まっている」というこの2点では、マンゴーじゃだめ?をひっくり返せないと思う。確かに「パパイヤ」は「黒い種がぎっしり」で、「マンゴー」は「白くて大きい種が1個」だけど、「ビッグバンのごとき爆発的な生産力」という観点からこの両者を鑑別できるかなぁ。パパイヤの種のぎっしり感は確かに鳥肌ものですが、マンゴーの種のインパクトもすごいですよ。種、でかっ!ってなるよ。爆発的な生命力を感じるよ(笑)。

 

 

うるはしきルーティンワーク犇めけるパパイヤのたね身に飼ひながら (石川美南)

 

 石川の歌は、その点にフォーカスされてます。「パパイヤ」の「たね」が「犇めける」って言っているのだから、これは「パパイヤ」でしょう。「マンゴー」ではないよね。解説では

 

この歌のポイントは「犇めける」という表現で密集する種の様子を描写した点と、パパイヤの種を外在的事物として詠むのではなく、体内の感覚の喩として提示した点にある。その感覚はルーティンワークに象徴される卑小な日常性に対する焦燥だろう。

 

と評されています。

 この歌は題をすごくよく活かしてるなって思う反面、なんかおさまりが悪いようにも感じられます。まず、東郷雄二も指摘しているのですが、二句切れなのか三句切れなのか分かりにくく、読んでいてぶつぶつ切れる印象を受けます。あとは、「ルーチンワーク」と「パパイヤ」って言葉の組み合わせの相性があんまりよくないような気がする。だって、「パパイヤ」はどう考えても非日常ですよ(笑)。あとこの歌では「パパイヤのたね」はあるけど「パパイヤ」はないんですよね。それも気になる。まあ、「パパイヤのたね身に飼ひながら」なんだから、パパイヤは自分なんでしょうが…。そうなると「パパイヤ」=自分、にとって、種はルーチンワークなのかもしれませんが。

 

 どっちを勝ちとするかって考えると難しいです。歌の完成度は光森の方が上だと思うんですが、「パパイヤ」という題詠であると考えると石川の方がうまく生かしているようにも思われます。解説にも

 

題詠では「パパイヤ」という題が十分生かされているか、「パパイヤ」でなくても成立する歌ではないかといった点が、歌の優劣を判定するポイントとして重視される。光森の歌をめぐっても、ひとしきりそのような議論が続いた。

 

とあり、光森の歌の「パパイヤ」がどう解釈されていたのか、なぜ「パパイヤ」でなくてはならなかったのか、議論の詳細を知りたかったなぁと思いました。

 総合的にはやっぱり光森裕樹の勝ちかなぁって思うんですが…。

 

 

アク抜きを知らず苦みを分け合った青パパイヤの夏 戻れない (yuifall)

 

『短歌パラダイス』感想 番外編

『短歌パラダイス』感想の注意書きおよび歌合一日目、二日目のルールはこちらです。

yuifall.hatenablog.com

番外編

橄欖追放 [sai] 歌合始末記

petalismos.net

 2008年の記事ですが、2005年の歌合についてのものです。

 黒瀬珂瀾などが当時主催していた同人誌[sai]で『短歌パラダイス』のルールに則った歌合を行った際、「橄欖追放」の東郷雄二が判者をつとめており、サイト上でその様子が公開されています。詳しくは[sai]第2号に載っているそうなのですが、すでに手に入らないようなので(中古で探せばあるのでしょうか?)、「橄欖追放」を参考に『短歌パラダイス』番外編として感想を書くことにしました。

 

 参加する歌人

東方:生沼義朗、高島裕、光森裕樹、玲はる名

西方:石川美南、今橋愛、黒瀬珂瀾、土岐友浩

の八名で、一騎討ちの四番勝負、氏名公開で戦うという、『短歌パラダイス』でいうと1日目のルールに則った勝負でした。