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「一首鑑賞」-99

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

99.やむをえず私は春の質問としてみずうみへ素足をひたす

 (笹井宏之)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で生沼義朗が紹介していた歌です。

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 本当はこの前に紹介されていた斉藤斎藤

 

ラブホテルの角を曲がってT井くんにここのカレーを食べさせたかった (斉藤斎藤

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も引用しようかと思っていたのですが、この一首だけでどう解釈すべきか考えがまとまらなかったので(「T井くん」は「筒井くん」のことで、要は笹井宏之への挽歌であることは分かるのですが)、笹井宏之の歌の方だけを取り上げます。

 

 鑑賞文には

 

掲出歌は、湖の波打ち際に素足を浸す行為を「春の質問」と捉えたところにセンスと機知を感じる。「やむをえず」は同行した誰かに促されたので仕方なく、と解釈した。誰と同行したと書いていないし、相手が単数か複数かもこの歌からだけでははっきりしない。それどころか、「やむをえず」がなければ一人で湖に赴いたとさえ読め得るのだが、やはりここは恋人と二人でという場面を想像する。それは「やむをえず」から一首を詠い起こしているからに他ならない。この初句からは人間関係や数種類の感情、テンションの微妙な変化を感じ取れて絶妙である。

 

とあります。私はむしろ、「やむをえず」は心の中の動きと考え、この人は一人でみずうみにいるものだと思ってました。春の質問をしたかったのだけどどうしていいか分からず(「みずうみ」は言葉も通じないし)、「やむをえず」みずうみに素足をひたしたのかな、と。

 そこまでして聞きたかったことって何だったんだろうな、って思います。知りたいけどそれは理詰めで問い詰めることではなくて、ただ、彼がみずうみに素足をひたしている、という美しい光景だけが目に浮かびます。

 

 この回の鑑賞文がとても好きだったので引用します。

 

『えーえんとくちから』を読んであらためて感じたのは、自分にとって笹井の歌は採れる歌とそうでない歌の差が比較的大きいのだが、いわゆる秀歌と感じる歌が決して少なくないことだ。人によって評価する歌は違うかもしれないが、この本に秀歌がまったくないと受け止める読者はいないだろう。誰が読んでもその歌一首を評価するという意味ではなく、誰が読んでも一冊のどこかの歌を高く評価する意味で、笹井の魅力には全方位性がある。そしてそれは紛れもなく表現者の得がたい資質である。

 

見逃してならないのは、笹井の歌には先程述べた空間やひかりとともに、祈りが含まれていることである。これは宗教の影響といった類いのものではなく、もっと根源的な人間への愛や関心に基づくものだ。笹井の作品が今でも多くの人に愛されていることは疑いようがないが、おそらくは祈りが多くの人の反応を呼び起こすのである。

 

 そう、笹井宏之の歌は祈りだな、と思う。

 

空と陸のつっかい棒を蹴飛ばしてあらゆるひとのこころをゆるす

ほんのすこし命をおわけいたします 月夜の底の紙ふうせん

愛します 眼鏡 くつひも ネクターの桃味 死んだあとのくるぶし

 

こんな歌を読んでいると、心がしいんと静かになります。本当に月夜の底にいるみたいに、死んだあとのくるぶしを撫でているみたいに。まだ歌集を読んだ経験に乏しい私ですが、『えーえんとくちから』は大好きな歌集の一つです。

 

 ところで、

 

人によって評価する歌は違うかもしれないが、この本に秀歌がまったくないと受け止める読者はいないだろう。誰が読んでもその歌一首を評価するという意味ではなく、誰が読んでも一冊のどこかの歌を高く評価する意味で、笹井の魅力には全方位性がある。

 

という文章を読んで、秀歌がまったくない歌集なんてあるのだろうか?と思ったのですが、穂村弘の『シンジケート』が多くの人に絶賛された一方、一部の人には全く理解できないと酷評されたことを思い出しました。そういう、全く全方位性のない歌集の魅力というものもあり、それとは対極にあるという意味で理解しました。

 

 

触れたならあなたはきっと凍りつく過冷却水を湛えたひとみ (yuifall)

 

 

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