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「一首鑑賞」-100

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

100.二十三階のバルコニーにて川本くんを待つわたしは大阪ジュリエット

 (橘夏生)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で生沼義朗が紹介していた歌です。

sunagoya.com

 生沼義朗の「一首鑑賞」コーナー、歌のチョイスと解説が抜群に面白いなと思いながらいつも読んでいます。この歌、多分、普段の自分だったらそれほど好きな系統の歌じゃないんです。でも、「一首鑑賞」の目次をずーーっと見ていてすごく気になってリンクを開いて、鑑賞文を読んですごく面白かった。

 

 もともとこの橘夏生という歌人の作風は

 

羅(うすもの)をまとへばつねに身になじむわたくしといふ存在はこれ

 

性愛なぞに誰が惹かれる湯の底にわがくるぶしがうすく光れば

 

このような、要は耽美系だったそうです。それがどうして「川本くん」「大阪ジュリエット」になるのかと。

 

ここで掲出歌の背景に触れておくと、「川本くん」は川本浩美で、橘の長年のパートナーであり「短歌人」の同人でもあったが、2013(平成25)年に亡くなっている。「二十三階のバルコニー」は自宅のベランダだろう。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』でジュリエットが恋人であるロミオをバルコニーから見下ろしながら恋の苦悩を嘆いたシーンをもちろん踏まえているから、夜の場面である。

 

とのこと。これを読むと、「川本くん」の死によって作風が大きく変わったように受け止められます。

 

はっきり言ってしまえば、『天然の美』での橘は興味を持てないものや美意識にそぐわないものは一切詠まない作風だった。それはまったく悪いと思わない。対象をいかに詠むかはもちろん、何を詠むかに歌人アイデンティティーや作家性が如実に出るものだから。

しかし、『大阪ジュリエット』は一人の人間の喪失と再生を描いた歌集であり、否応なく詠まざるを得なかったと感じる。橘が詠みたくもないのに無理に詠んだとはゆめゆめ思っていないが、結果的に今回の内容を詠むことは橘にとっての関門だった。したがって、この歌集を経て橘があらたな作品世界の地平を開いても、『天然の美』の世界に戻ってもそれは構わない。どちらに進んでも橘の魅力的な歌が展開されることは間違いないからだ。そのときに美意識がキーワードになるであろうこともまた間違いがない。標題歌ともなった掲出歌は、はからずも美意識と関門の間に架かる橋の役割も果たしている。

 

と書かれています。ある大きな出来事をきっかけに、自分の中にあるものをもっとたくさん外に出してみたくなったということなのでしょうか。というよりも、出さざるを得ない精神状態になったということなのかな。

 

 それにしても「大阪」はおそらく単純にこの人のルーツなんでしょうが、詩にした時に(歌詞とか短歌とか)、詩になるか歌謡曲になるか絶妙なバランスだよなぁといつも思います。「東京」「横浜」の都会的な感じ、「京都」の異世界感、「福岡」「名古屋」「札幌」「仙台」の土地に根ざした感じともまた違って、「大阪」は関西弁のイメージも相まってすごく絶妙だなーと。「大阪ジュリエット」は、「美意識にそぐわないもの」のギリギリのラインを行っているのかもしれない。

 

 その後に出されている第三歌集『セルロイドの夜』が東郷雄二の橄欖追放で紹介されていました。

petalismos.net

トルソーに不在の首のかがよひをおもふまで碧き海に出でたり

 

薔薇園につゆ降りるころ交配の果てのさびしき一輪ひらく

 

という歌などからはまた「天然の美」の世界に戻ったのかとも思わされますが、この歌集には固有名詞が多数登場するのが特徴的だそうです。

 

イミテーションぢやなきや愛せない まぼろしの東京の歌姫戸川純

 

ゆつくりと闇おしわける白き馬チェザーレ・ボルジアその死の前夜

 

耽美系っちゃ耽美系ですけど、「川本くん」「大阪ジュリエット」の橋はここに繋がっていたのでしょうか。

 

 全然関係ないですが

 

巻末に長いあとがきと経歴が添えられている。それによると、アングラ劇団天上桟敷の女優になるべく上京するもオーディションに落ち、寺山修司に短歌を進められて作歌を始める。塚本邦雄を紹介されて師事することになり、『サンデー毎日』の塚本選に何度も入賞。のちに『小説JUNE』で藤原月彦(龍一郎)が連載していた黄昏詩歌館入門にも俳句を投稿する。

 

とあり、本人の経歴にもだけど、藤原龍一郎が小説JUNEに連載持っていたのもびっくりだよ…。当時のアングラカルチャーすげえな。

 

 

でもロミオ、来世になるまで待てないわ、血なんてどうでもいい貫いて (yuifall)

 

 

 

*「一首鑑賞」の記事はまだまだあるのですが、100までいったのでいったん別の記事を挟もうと思います。とりあえず洋楽和訳が少し溜まっているので2週間ほどそちらを中心にアップし、その後はしばらく「百人一首現代語訳」の鑑賞記事を上げます。