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「一首鑑賞」-119

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

119.マシーンの赤きが光引きてゆく地上を愛すこの一瞬を

 (藤井常世

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で都築直子が取り上げていました。

sunagoya.com

 歌そのものは、F1をテーマにした連作の一首だそうです。F1一度見たことがあるのですが、レースそのもののことはよく覚えていなくて(うるさくて速かった)、一緒に行った人たちとの空気感とか、そういうことばっかり思い出してしまう。あまりいい鑑賞者ではなかったです。

 だけど、シンプルに「速い」とか「強い」っていうものに心惹かれる気持ちをこのようにシンプルにかっこよく詠い上げる歌を読むと、もっと目の前のものをきちんと見て味わった方が楽しい人生だな、って気になります。

 

 面白かったのは、鑑賞文です。

 

さて、『藤井常世歌集』の「解説」には、六篇の藤井論が、結社誌「人」「笛」から再録されている。注目すべきは、第一歌集『紫苑幻野』について、詩人の清水昶(1940-2011)が「人」(1976年7月)へ寄稿した一文だ。

 

その内容は、

 

かなしみの果てに逢うべし北の海意外に明るき灰色をして

 

緋衿の襞ひとつひとつ翳りなしやすやすとをとめ蛇体となれり

 

春の埃身にあびて立つ街の角かけぬけゆきし青春も見ゆ

 

の三首を引用して解説が書かれるのですが、いずれも評は否定的です。「完璧すぎる」「素直すぎる」「通俗化」などと書かれています。

 

四ページに渡る文章の中で、清水は親身かつ率直に、歌集を全否定する。引用は上の三首のみだ。「ただし、こういう歌はいい」というリップサービス的な引用はしない。(中略)このような評者にめぐり会い得たのは、表現者としての幸福だった。それを誰より認識する藤井常世だからこそ、歌集に再録したのである。

 

本人も、

 

踊りのやうなしなありとわが歌を評せし人をいまだも蔑す

 

と詠んでおり、的外れに褒められるよりは的確に貶されたほうがよい、と思っていたのかもしれません。

 

 これを読んで、やっぱり短歌の「読み」について考えました。私はあんまり人の歌を否定的に読むことはしないようにしています。それは、やっぱり、自分が「分かっていない」というコンプレックス?あるいは事実、が前提としてあるからです。だから、こういう読み方できるのは、「分かっている」人だけなんじゃ、みたいな気持ちもある。実際、清水昶は詩人として著名な人だし。

 でも、斎藤茂吉の歌について「たくさんの駄作の中に素晴らしい歌が混じっている」みたいな評を見聞きしたことが何度かあり、駄作たくさんあるんだ…、って思ったりして。そういうのって見て分かるものなんでしょうか。普段アンソロジーとかで良作しか読まないのでそれがよくないのかなぁ。

 

 この「一首鑑賞」、コラムを読むのも楽しいし、自分の「一首を読む」トレーニングにもなるのでしばらく続けようと思っているのですが、そのうち歌集読んだりとかもっと負荷をかけた方がいいのかなって気になってきた。歌集には多分良作だけじゃなくて微妙な作品も混じっているのだろうし…。まあ歌集はちょっとハードル高いので、先に「歌論」みたいな方が読みやすいんだろうか。

 ただ、究極的には作者に「いまだも蔑す」って思われたとしても、私は私の感じたことを信じるしかない、とも思うのですが。

 

 

唇が耳朶に触れそうだったこと、光と音を指さしたこと (yuifall)