「一首鑑賞」の注意書きです。
118.傾けむ国ある人ぞ妬ましく姫帝によ柑子差し上ぐ
(紀野恵)
『短歌パラダイス』でもともと知ってはいたのですが、
砂子屋書房「一首鑑賞」で都築直子が取り上げていてコラムが面白かったので。
当時の私にとって、歌合二十四番勝負の作品中もっとも印象深かった歌である。
と書いてありました。あの本では
家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな (大滝和子)
が圧勝の展開だったので、他の歌が好きでもいいんだ…、ってこのコラム読んでかなりほっとした(笑)。私は
民族よ 寄するおもひは冷えながら並木に生るる花のしづけさ (岡井隆)
急行を待つ行列のうしろでは「オランウータン食べられますか」 (大滝和子)
昔からそこにあるのが夕闇か キリンは四肢を折り畳みつつ (吉川宏志)
が好きでした。
ところでこの鑑賞文を読んでいて、いいなあ、って思ったのがここです。
二つ目の点は、古語の助詞のかっこよさだ。「国ある人ぞ」の「ぞ」と、「姫帝によ」の「よ」。この「ぞ」と「よ」にしびれた。いまの時代に書く作品の中で、こんな古語を堂々と使っていい場があるのなら、私だって使ってみたい。そう思った。(中略)短歌の中ではこころゆくまで使え、しかも誰にも文句をいわれない古語。
すっごく分かる!現代短歌ではないですが、百人一首の
恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか (壬生忠見)
を読んで「こそ~しか」の係り結びにめちゃくちゃ憧れました。確かに、古語を使いこなしている歌を読むとかっこいいなぁって思いますよね。
何の本だったか忘れたのですが、穂村弘が紀野恵や水原紫苑の歌について「はじめからあのように言葉を使いこなせていたとしか思えない」というようなことを書いていて、『短歌パラダイス』でも紀野恵の歌を読んで、この人は練習してこうなったわけじゃなくて最初からこういう優れた言語感覚があったのだろうか、って思ったのを思い出しました。
ちなみにこの歌は『短歌パラダイス』では「ねたまし」の題詠でした。
おれがまだ血塗れなのに今きみのベッドに(ハートに)いる奴はだれ? (yuifall)
Who’s stealin’ your heart, while I’m still bleedin’
I wanna know who’s in your bed, in your head
Who’s In Your Head (Jonas Brothers)
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