「一首鑑賞」の注意書きです。
129.本当のことを伝へて憎まれてあげるくらゐの愛はなくつて
(枡野浩一)
砂子屋書房「一首鑑賞」で都築直子が取り上げていました。
枡野浩一の短歌に旧かなが使われているのは珍しい気がします。どうして旧かなを選んだのだろう。言っていることはシンプルで、「枡野節」です。鑑賞文に
仮に歌が<本当のことを伝へて恨まれるほどの愛などわたしにはない>だったら、面白くも何ともなくなってしまう。ことばの呼吸を知っている作者だ。
とあって、そうだなぁ、と感心しました。確かに自分に同じ発想があったらそんな風に書きがちかもしれない。
これは本当に色々な場面で思いますよね。嫌だなって思うこととか直してほしいって思うことも、別に本人には指摘したりせずそっと離れていけばいいんだもん。そういうのは親にでも教えてもらってよ、って感じする。もちろん、自分もそう思われていることってたくさんあるんだろうなとも思います。
だけど、人間関係って、そこまでの愛なんてない方がいいんだと思う。鑑賞文では
歌の場面はいろいろ考えられる。たとえば、「このヘアスタイルどう?」と聞かれた場合。
愛がある相手には「前髪が長すぎる、毛先に動きがない、もっとボリューム感を」など微に入り細にわたる文句をつけるところだが、どうでもいい相手なので「いいね、似合うね」で済ます。歌が伝えるのは、あなたをけなす人は実はあなたのことを思っている人である、という人生の真実だ。愛とは憎まれてあげること、といってもいい。
とありますが、髪型なんて相手が誰であっても「いいね、似合うね」が一番だし、仮に私が「前髪が長すぎる、毛先に動きがない、もっとボリューム感を」って思っていたとしてもそれが世間の大多数の評価だとは限らないし、その人が欲しい言葉じゃなくても本当のことを言ってあげるのが愛、ってのもね。確かに家族だったらちょっとは言うかもしれないけど、友達レベルだったらどんなに好きな人でも言わないな。
あとは仕事を誰かに指導してる場合、とか考えましたが、正直自分で痛い目見ないと身に付かないことってたくさんあるので、ある程度基本を教えたら後はやってみなー(だめだったら痛い目見なー)としか言いようがない気もしました。。
でも、鑑賞文では、
短歌について感想をいったり書いたりするたびに、私はこの歌を思い出す。いいと思う作品にはあれこれ注文をつけたくなるし、そうでない場合は「いい歌ですね」で済ませたくなる。この一年間、もしもこのページに私が文句をつける作品が登場するとしたら、それは作品に対する愛のなせる技だと思っていただきたい。
と短歌について書かれています。確かに、短歌に限らず、勉強とか芸術とかスポーツとかそういうものを高めようとしている段階だったら、本当のことを伝えるのが愛なのかもしれない。仕事では色々指摘してくれればくれるほどありがたいなって思うし、本当だったら短歌だって、誰かに直してほしいなぁって思うこともあります。
でも、正直、指導者側からしたら面倒なんだろうなと思う。だって特に芸術分野って、超一流を目指すとかじゃなければみんな褒められたくてやってるようなものかもしれないし…。よっぽど熱量が高い指導者でなければ、「まあ、いいんじゃない」って放流したくなりますよね、多分。
桝野浩一は『かんたん短歌の作り方』でこう書いているそうです。
作歌の心得として、<「しらふで口にできる言葉」だけをつかいましょう。><短歌以外の形式で表現したほうが面白くなる内容のものは、短歌にしては駄目です。><自分の顔に似合わない短歌は、つくらないようにしましょう>など鋭い指南が並ぶ。
てことは、わざわざ憎まれるようなことを言葉に出して指摘せずとも、「これどうですか?」って見せられた短歌に対して黙って本を差し出せば答えになるのかなって思ったり。
それにしても、短歌以外の形式で表現したほうが面白くなる内容のものってなんだろうな。この辺が、どうもピンと来てないです。なぜかというと、自分には短歌以外の一次創作がほぼできないので、どんなネタなら短歌以外で面白くなるのかよく分からないからです。いや、ある意味私の作ってる短歌は全て二次創作なのかもしれず、単に自分に創造性がないだけかもしれませんが…。
この本面白そうだから読んでみようかな。(*後日読みました)
借り物の言葉とかって言ってろよ借りパクすっから忘れちゃってな (yuifall)
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