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「一首鑑賞」-154

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

154.今夜どしゃぶりは屋根など突きぬけて俺の背中ではじけるべきだ

 (枡野浩一

 

砂子屋書房「一首鑑賞」で黒瀬珂瀾が取り上げていました。

sunagoya.com

 誰の歌か知らずにリンク先見たら枡野浩一でした。インパクトすごいなー。

 

 それにしても、どしゃぶりに本当に降られたかったら外に出ればいいわけで、そうはせずに屋根の下にいながら「屋根を突き抜けてくるべきだ」って思ってしまうあたりにわびしさというか人間臭さを感じて共感が持てる歌です。これが、「今夜!俺はどしゃぶりに降られる!容赦なく背中に!降ってこい!さあ!」@路上 みたいな感じだったらしらけるもん。心の中はめちゃくちゃどしゃぶりなんだけど、実際は屋根の下にいて、冷房の涼しい部屋で思い悩んでいるわけです。そこがいいんだよね。

 

 多分、今は夜なんだけど、このまま何事もなく明日が来ちゃうの。で、明日になっても苦しいんだ。悩みってそういうもんじゃないですか。実際にどしゃぶりが屋根を突き抜けて俺の背中ではじけてしまったら、何らかのファンタジー的な状況になるか、もしくは「漏水」「肺炎」などによって今の悩みがちっぽけなものになっちゃうでしょ。そういうんじゃないのよ。「俺の背中ではじけるべきだ」=「実際にははじけていない」ということによってむしろ、今夜の心の中のどしゃぶりが朝になっても降りやまないということが暗示されているように読めます。

 

 鑑賞文には

 

この結句は、歌中の叫びが実際には叫ばれていないことを示している。例えどんなことがあろうとも、土砂降りは俺の背中には降り注がない。こうしてこの一首は、単なる直情の発露ではなく、アンビヴァレントな感情の交錯として読者に提示される。

(中略)

しかし同時にこの一首の奥底には、「屋根」の下で人工的な明かりに照らされる「背中」がしらじらと浮かんでいることも忘れてはならない。雨を浴びることもできず、ただ丸めることしかできない、ただ一人の人間の背中が。

 

とあります。

 「雨を浴びることもできず」というよりも、もっと積極的に「雨を浴びたりはしない」のではないかな、と思いました。「雨を浴びる」ことはできるんです。外へ行けば。でも、どしゃぶりの夜に雨を浴びに行く行為は自己憐憫的ですよね。ロックというより、ドラマ感に酔ってるみたいでダサい。だからそうはせず、「屋根を突き抜けてこい」と実際には起こらないことを願うんです。

 どしゃぶりはいつかは小雨になってやんでしまう。この苦しさはきっと明日も続く(でも一生は続かない)というメタ認知があってこそ成立する一首なのではないか、と思いました。

 

 

折り畳み傘を鞄に持ち歩く主役になれない人生のこと (yuifall)

 

 

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