山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
棚木恒寿
教室は廃車となりしバスなるや生徒とはここを去りし乗客
解説には
棚木の本職は数学教諭である。教師を本業とする歌人は多いが、理系は珍しい。歌の中に理系的なものが強く滲んでいるわけでは別にないが、学校生活のクールな描写が印象的である。
こうあるのですが、引用された歌からはどちらかというとウェットな印象を受けました。まあ、短歌を詠む行為そのものにあまりクールな印象はありませんが…。
これって不思議ですね。自分の勝手なイメージですけど、同じ表現行為であっても、作曲や俳句にはクールなイメージがある一方で、短歌や小説にはあまりクールな印象がありません。
学校の歌の他、性愛の歌と筋肉の歌が目立つとのこと。
もしかしてトマトの糖度に比べつつ受け入れたのか君のからだを
この歌気になって立ち止まって色々考えたのですが、男の人が「受け入れたのか君のからだを」っていう詠み方をするのに引っかかったんだと思いました。性愛において男の人ってあんまり「受け入れる」って感じないのかと勝手に思っていたので新鮮でした。筋肉の歌っていうのは
筋を苛めて悦ぶわかさ今しばしわれに残るや明治を読みぬ
こういう感じです。なかなかないですね。理系で筋トレ好きの歌人か…。
秋逝きぬ光の速さの測定にガリレオが失敗し続けた季節
この歌もぱっと目をひきます。高校生の時の歌だそうです。解説には
「天の腕」は逆年順になっており、後半には高校生から大学生時代の歌が収められている。ガリレオの歌はこの歌集でもとりわけすばらしい歌だが、これが高校生のときの作品だというからその完成度の高さに驚く。その一方で老成気味の気配も感じなくもない。
とあります。確かに、10代の頃にしか書けない若さや稚拙さの勢いっていうのもあるので、早熟であることが必ずしも人生のトータル的にプラスかどうかは分かりませんね…。文学は分かりませんが、恋愛や人生経験に関して言えば、どうせ行きつく場所は同じなんだから早くゴールを目指す必要ないなって大人の目からすると思っちゃうよね(笑)。大人になり切れないもどかしいプロセスを全部すっ飛ばしてしまうのは本当にもったいないなって思います。
一方で、こういう歌や紀野恵が17歳の頃の歌
晩冬の東海道は薄明りして海に添ひをらむ かへらな (紀野恵)
なんて読むと、天才尊いな!って無邪気に崇めたくなりますけど(笑)。
高校時代にこういう歌を詠んじゃう人が教師として高校生を見送り続けるというのはどういう気持ちなんだろうなぁ。目に映る学生の姿が幼すぎると思いながらもその幼さが愛おしかったりするのかもしれません。
我のみが喋り続ける講堂の誰の未来も興味などない (yuifall)