山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
錦見映理子
ぬるい息外耳にふれてヴェルヴェット・ヴォイスの渦にしずむ薔薇園
先日、『ねむらない樹』の「新世代がいま届けたい現代短歌100」特集を読んでいて、若手歌人が対談の中で「ジェンダーの歌」について触れていたのですが、男性歌人(伊舎堂仁、寺井龍哉)と女性歌人(小島なお、大森静佳)で好ましいと思う性愛短歌の傾向が違っていることが面白かったです。吉川宏志の性愛の歌なんてやっぱり女性歌人には人気があったのですが(一首が好きっていうのもあるけど、他の歌のストイックさがあるからより引き立っているという面もあると思う)、私も好きなこの歌
風を浴びきりきり舞いの曼珠沙華 抱きたさはときに逢いたさを越ゆ (吉川宏志)
男性歌人からは「この“抱く”はない」みたいに言われてて面白かった(笑)。小島なおが吉川宏志の歌について
色っぽく、男っぽく歌われるから静謐な他の歌とのギャップもあって余計に惹かれるんですが
と語るのを、伊舎堂仁は「俺こんな恋愛したくねえわ」とバッサリ(笑)。私は女だからか、小島なお寄りな感覚なんですけどねー。逆に伊舎堂仁が挙げていた女性歌人の歌(以下引用)
「発作のごとくあなたは海へ行くとしてその原因のおんなでいたい」(工藤玲音)には、恋愛相手の心がちょっとわかったような嬉しさがあるから今度は点が甘くなりすぎるのかなとは思う。
と言っていてこの感想も興味深かったです。恋愛相手の心が分かったような嬉しさがあるから、歌が好きだって思ってしまうのか。なんかかわいいですね。私はこのような気持ちになったことはないんですけど、でも嫌だとかこんな恋愛したくないとは思わなかったな(笑)。かわいい歌だと思いました。
この対談ではジェンダーが主題ではなかったので、おそらくみなヘテロセクシャルのシスジェンダーの方の対談だと思われますが、その組み合わせだけでも読んでいて面白かったのでもっと色々な語りが見たいなーと思いました。『ねむらない樹』では「短歌とジェンダー」の特集もあったのですが、逆にジェンダーをメインテーマとして語るとトランスジェンダーやフェミニズム、ホモセクシャルやアセクシャルという方向の議論が主体になるので(そういう議論も好きですけど)、単純にもっと「恋の歌」について男性、女性、その他、あるいは恋愛しない人、の立場から好き勝手喋ってるのを見てみたいです(笑)。
ところでなんでこんな話を冒頭にしたのかと言いますと、私が好きな女性歌人の相聞歌として真っ先に挙がるのが大森静佳なのですが、この人(錦見映理子)の歌も好きだなって思いました。で、この特集読んで、大森静佳とか錦見映理子が詠うような相聞歌を男性はどう感じるのかな、って知りたくなりました。
熱性の病見えざるままに身を冒しつくすをうっとりと待つ
蜜みちてゆくガーデニア・ガーデンを等圧線は取り囲み 雨
あまり直接的な言葉でないながらも濃厚な性の気配を感じさせる歌です。外国で植物園に行ったときすごい雨に降られた時のこと思い出しました。そこのカフェでお茶したんだけど、ウエイターに口説かれたりとかして不安だった(笑)。海外に行くと、国によりますが、女性が一人で飲食するのがあまり一般的でないのか、一人で食事しているだけでやたら口説かれたり絡まれたりすることがあります。そういう、なんか、女としての自分が無防備にさらされている感じ、そこを一人で切り抜けていかなくてはいけないっていう肌寒い不安な気持ちみたいなものがばーっと蘇ってきて切なくなりました。
手を上げて腋下をさらす 祝祭の前夜くまなく奪わるるため
みごもるという語あやうく避けながら水底を撃つ遊びをしたり
こういう歌になってくるとより匂わせ度は高まってきますが、それでも必ずしも直接的ではありません。
解説には
歌集題のガーデニアとは白い花であるクチナシの意だという。解説の田中槐が指摘しているように歌集には「白」のイメージがあふれており、それはあまりに白すぎて行き先も自分の居場所も見失った「ホワイトアウト」の状態である。また、井上荒野の解説ではこの歌集の主人公像を「迷い込んできて、捕獲された少女」と捉えている。
とあり、
いま死んでもいいと思える夜ありて異常に白き終電に乗る
うたたねのあなたの足に射すひかり白蛇のようにゆっくりよぎる
というように「白」が詠われます。
読めば読むほど全体像の把握が難しくなるような、自分自身も迷い込んでいくような不思議な感覚におそわれます。いつか歌集読んでみたい人リストに入れておきます(笑)。
透明の薔薇の炎に焙られて、捩れる、肺が、ゆびのかたちに (yuifall)