「一首鑑賞」の注意書きです。
134.いつか僕も文字だけになる その文字のなかに川あり草濡らす川
(吉川宏志)
砂子屋書房「一首鑑賞」で魚村晋太郎が取り上げていました。
歌集のなかでは、墓石を詠んだ歌の隣に並んでいる歌だそうです。「いつか僕も文字だけになる」は普遍的な感覚ですが、「その文字のなかに川あり」で、ああ、自分のことを詠んでいるのか、となんだか不思議な気持ちになりました。鑑賞文には
名前だけ、といわず、文字だけ、と言っているところには、書かれたもの、つまり作品は残るのだ、というニュアンスもある。
虎は死して皮を留め、という諺もあるように、一首には、作者の歌人としての矜持の表れをみることもできるだろう。
しかし、草濡らす川、という結句にたたえられた、このやさしさはどうだ。
とあり、確かに歌人であれば、名前以外の「文字」も残るんだよな、と思いました。ですが、ここでは「川」とはっきり言及されていることから、「文字」=「名前」と読むのが一番自然かなと思います。僕が死んだ後も名だけは残るだろうと。
こんなところでこんな読み方をするのはクソフェミ的なのかもしれませんが、苗字から“川”という字を引いているところにやや引っかかりを感じたのも否めません。結局死後に残るのが唯一「文字」=「名前」であるとすれば、それは一般的にはたった一つの、死ぬときに持っている名前ということになります。そして、結婚した女性の多くはそれは生まれた時の名前とは違っていると思う。死後も残っているたった一つのアイデンティティに、自分のルーツは反映されないわけです。
後日
名を呼ばれ息子が立ちぬその名もていつか死ぬのか弥生のひかり (川野里子)
が梶原さい子によって引用されているのを読みましたが、
これはもし「息子」でなくて「娘」であったとしても同じ歌は生まれただろうか、息子が今の名前を死ぬまで持ち続けるとどうして無邪気に信じられるのだろうか、と、思ってしまった。
まあ吉川宏志の「吉川」姓がもともとの自分の姓なのか、ペンネームなのか、本名はどちら側の苗字なのか、私は実際のところを知らないわけなので、これはこの人個人に対する思いというよりも夫婦別姓論に対する私のスタンスにすぎません。しかし墓石の前で「吉川」という苗字を思う、というのはやっぱり「吉川」家のルーツに思いを馳せる行為だろうし、それは面々と繋がれてきた男系の血なのではないかという読み方をしてしまうのでした。こういう読みもあるということで…。
ちなみに魚村晋太郎の読み方は全然違ってますし、むしろそちらが一般的だと思いますので、コラムの方をご覧ください。一つの歌って全然違う読まれ方をしてしまうことがあるんだなと。ただ、こういう風に読まれうるということを分かって詠んだ歌なのかそうでないのかというのはやや気に掛かりました。
だって、墓石の前で自分の苗字について考えることが悪いことであるはずがないし、それを「草濡らす川」と美しい言葉で短歌にすることも、こうして歌(「文字」)が残っていくことも悪いことであるはずがないと思うんです。やはり美しい歌だと感じます。ただ、こういう風に詠うとき、こういう風に読まれる覚悟はあってほしいなと思っただけで。
ところで北欧ミステリーよく読むのですが、アーナルデュル・インドリダソンの『エーレンデュル捜査官シリーズ』を読んでいて初めて知ったんですけど、アイスランドでは基本的に名字がないそうです。名前+父称(あるいは母称)で呼ぶんだとか。アーナルデュル・インドリダソンだったら、アーナルデュルが名前で、インドリダソンは「インドリデイの息子」という意味だそうです。そして相手の名前を呼ぶときは基本的にファーストネームのみらしい。小説の中でも、どんな関係性の相手であってもファーストネームしか名乗らないしファーストネームで呼び合っていました。だから結婚しても名前は変わらないし、家族の中で色んなラストネームが混在しているのだとか。
Wikipediaからの引用ですが、
それぞれの人物が父称を使用している結果として、家族内には通常様々なラストネームが存在する。父親がJón Einarsson、母親がBryndís Atladóttirである場合、子供は父称を用いればÓlafur JónssonとSigríður Jónsdóttirとなる。母称を用いるのならば、Ólafur BryndísarsonとSigríður Bryndísardóttirとなる。
だって。
名前なんてこのくらいの感じでいいのにって個人的には思うんですが、海外旅行とか行くと親と子の名字が違うのでトラブったりするらしいです。でも、面白いなって思いました。世界には色んな常識がありますよね。
『エーレンデュル捜査官シリーズ』の邦訳第一作『湿地』は、それこそルーツに関するミステリーでした。名前からルーツを辿れるか否かに関わらず、生物学的なルーツが逃れようもなく人を縛ることについて考えさせられます。
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