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現代短歌最前線-吉川宏志 感想2

北溟社 「現代短歌最前線 上・下」 感想の注意書きです。

 

yuifall.hatenablog.com

吉川宏志

 

海を背にしていることも強みとし君はやさしい夏を打ち切る

 

 これはどういうことかな…。夏が終わるんだから、次は秋だよね。「夏を打ち切る」ってことは「次は秋に行きましょう」、つまり、人生で言うと結婚とか子供とかのリアルに向き合っていこう、みたいな感じなんでしょうか。

 なんかすごい身も蓋もない読み方すると、「海を背に」は「背水の陣」みたいな感じで、「海」は女性の生殖のリズムのメタファーみたいにも読めるので、「もう私は後がない年齢なんだから早く結婚してよ」みたいな意味に思えなくもない(笑)。まあ実際は吉川宏志には「二十五歳の父」という歌もあるので、おそらく結婚はもっと前で、奥様の前田康子は年上といえども年齢的にはそれほど背水の陣な感じはないですね。当時はどんな雰囲気だったか知りませんが…。

 というかそもそもそんな即物的な読み方が合っているかどうかも分からないのにその辺突き詰めてもしょうがないな(笑)。もっと素敵な読み方ないかしらって思ったのですが、海の前で微笑んでいる女の子という漠然とした絵柄しか思い浮かばず。。

 しかしこんなしょうもない読み方しかできないのに好きなのは、言葉の使い方が好きだからです。「海を背に」「強みとし」「やさしい夏」「打ち切る」全ての言葉が好きです。どこから来たんだろう、って、知りたいと思うけど多分たどり着けない。

 

炭酸のごとくさわだち梅が散るこの夕ぐれをきみもひとりか

 

 「この夕ぐれをきみもひとりか」かっこいいなー。「ぼくはひとり」なんだよね、「きみもひとりか」ってことは。離れ離れにそれぞれひとりでいて、相手のことを思ってるの。

 この歌って季節的にいつ頃のことなんだろう。情景を思い浮かべようとするのですが「梅が散る」って通常梅の実ではなく花かと思われるので、季節的には初春頃?しかし、「炭酸のごとく」という単語からは夏、「夕ぐれ」という単語からは夏~秋がイメージされ、最初の「炭酸のごとくさわだち梅」までで完全に梅ソーダ脳になったところで「梅が散る」って言われてえっ?春?ってなって戸惑うわ(笑)。

 うーん、だから、厳密に俳句の季語みたいに考えると多分春の始め頃なのかもしれないのですが、全体の(私の勝手な)イメージとしては夏です。だから、「夕ぐれ」の時間が長くて、この長い夕ぐれを、きみもどこか一人で感じてるのか、って思ってるような気がします。だから、自分の勝手な想像だとこの「梅」は自分の心のなかでしゅわしゅわしている何かかなーと。

 だけど、多分こういう読み方ではないんだとは思うんですが、一首の中ですごい長い時間が流れてるって受け取っても面白いのかもしれません。「この夕ぐれ」の間に無限に時間が経っていて、その間ぼくもきみもひとりなの。

 

四十になっても抱くかと問われつつお好み焼きにタレを塗る刷毛

 

 この歌、多分20代前半だよね?「四十」って全然リアルじゃないんだろうな。だから「四十になっても抱くか」って聞かれても分からないんじゃないかな…。だって20代前半の男の子にとって、40の女の人って、「抱く」とかいう対象に見えないのでは?この「お好み焼きにタレを塗る刷毛」ってどういうことを考えながら見ているんだろう。ていうかこの「お好み焼き」はどういうニュアンスで登場しているんだろうか。

 真っ先に連想したのが、すげーー昔に読んだ本?か何かで「焼肉に一緒に行く男女はデキてる、なんでかっていうとそんな匂いのついた食べ物を一緒に食べれる関係性だから」とか書いてあったような(秋元康阿刀田高の本かも)…ってこととか、山田詠美の何かの本(『ラビット病』だったかな)で年上の男と一緒にエスカルゴかなんか食べて「これ食べちゃったら(ニンニク臭いから)もう一緒に食べた人としかキスできない」みたいに言ったシーンがあったような…っていうことだったので(全体的にものすごく曖昧な記載で申し訳ないです)、相手はすでに肉体関係にある女性なんだろうって考えたんですね。まあ前後の歌を読むと、その後に「妻」が登場するので、結婚するかしないかあたりの関係の女性だろうと。

 ですけど、出身地見たら宮崎県で、西日本の人ってなると、もっとカジュアルに異性とお好み焼き食べに行ってる可能性も十分あるし、別に「肉体関係」を彷彿とさせる意図のチョイスではないのかもしれないって思ってきて…。

 でもなー、やっぱり「四十になっても抱くか」は、四十になっても私と一緒にいて、かつ女性として愛してくれるの?っていう意味合いだろうし、そうなると「お好み焼き」が何らかの生々しい関係をイメージさせる意図で登場しているような気もします。少なくとも「タレを塗る刷毛」が登場するんだから祭とかではなくてお好み焼き屋で鉄板を前にしているはず。

 そして今この人は50代ですけど、「四十になっても」抱いたのかなぁ。思うに、この頃遠くイメージしてた「四十」と、現実の「四十」って違うんじゃないかなという気もします。20代前半の男の子が考える40代女性と、実際一緒に年を重ねて40になった自分の目の前にいる40代の妻ではわけが違うでしょう。

 なんかふと考えたのは、やっぱり日本人的な感覚だとどこかセックスって「ハレ」なのかなって。とくべつなことだから、「四十になっても抱くか」ってなるのかなって思いました。海外の小説読んでてカルチャーショックを感じたことがあって、例えば推理小説とかでも、意味なくセックスシーン出てくるんですよね。別にエロシーンってわけじゃなく、食事とかと同様の描写で、「帰って妻と愛し合った」的なノリでさ。日本の小説であんまりそういうの見ないからびっくりします。官能小説とか恋愛小説とかそういうのを除けば、あえてセックスシーンを書くのって、「キャラAとキャラBには肉体関係が存在する」というのを表現したい場合かなって思ってたのですけど、普通に推理小説とかで40代とか50代とかの警察官の男性が家に帰って家族と食事して妻とセックスして、みたいなシーンが淡々と描かれていて、要はそういう日常なんだなって思ったんです。そういう文化からすると、「四十になっても抱くか」は逆にびっくりなんじゃないかな。ええー?むしろしないって選択肢ある?みたいなさ(笑)。

 

 

ポップコーンかしゅかしゅ噛んで 知っててね、灰になってもあなたがほしい (yuifall)

渡りたいのはこれよりも長い橋種だけ赤い実のグロテスク (yuifall)