いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌と洋楽和訳メインのブログで、海外ドラマ感想もあります

現代歌人ファイル その97-宮田長洋 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

宮田長洋 

bokutachi.hatenadiary.jp

われ五歳迷子となりし新宿の泥濘む道に踏み板ありき

 

 冒頭のプロフィールを読んでいて、

 

自分の生まれ育った昭和という時代と武蔵野という土地に徹底的にこだわり、都市歌人というアイデンティティをもって歌作りをしている。

 

とあったので、東京で生まれ育ち、「都市歌人」というイメージからスタイリッシュな歌を想像していたら、いきなり「新宿の泥濘む道に踏み板」でびっくりしました。東京=スタイリッシュ、というイメージそのものがすでに地方出身者だからかもしれません。東京で生まれ育ってたら、そりゃあ東京にもぬかるみくらいあるって知ってるだろうし。

 

主語のなき都市論よりも地続きに都庁ビルあり野宿の家あり

 

純情商店街と名づくる神経のずぶとさもまた高円寺はもつ

 

 こういう歌は、本当に東京にルーツがないと詠めないな、と思う反面、これは「都市詠」というよりも「故郷詠」に近いのではないかな、という気がしないでもない。都市としての東京というよりも、ふるさと、生まれ育った街としての東京の姿がそこにある気がします。

 

苦しげに追い抜かれたる円谷も昭和殉難者のごとき千駄ヶ谷

 

アラーキーに撮られてみれば新宿の場末の婆(ばば)も福福しかりき

 

 固有名詞が頻出し、どれも濃厚な「昭和」の香りを発しているそうです。とはいえ、昭和を生きた世代でない者としては、固有名詞から連想されるイメージがややステレオタイプかなという印象も受けます。「吉永小百合」の等身大看板を自宅へ運ぶ、「円谷」が殉難者、「曜子」はEカップで憧れの人、「つげ義春」は農家の離れに少女、そして「アラーキー」ですからね。アラーキーってモデルと揉めたりしていて今となってはあんまりいいイメージないし…。これは、「昭和」のステレオタイプを切り取るという試みなのだろうか?

 

電灯の消(け)なばたちまちパニックとならん人ゆく地下街のどか

 

携帯を耳にひた当て道をゆく男の口を出づるバイアグラ

 

 解説では、このような歌を

 

 もちろん昭和ばかりではなく現代も詠む。かつてのように発展の陰の殉難者となる人はもういない。発展の予感がないただひたすらだだっ広い未来ばかりを抱えさせられているのが現代人であり、都市の住民たちなのだ。おしゃれさとは程遠い猥雑さを武器に、苦みばしった世界を描く。ユニークな都市詠の詠み手である。

 

と書いています。

 うーん、これらの歌もどちらかというとステレオタイプ的な現代詠に見えます。ここに引用されている歌しか知らないので本当のところは分かりませんが、もしかしたら社会問題と真正面から対峙してやや戯画化しながら時代を切り取るタイプの人なのかなって感じました。(あまり読んだことないのですが)青年漫画的な世界観なのかなーと。おそらく、後から読んだ時にまざまざと「昭和」「平成」の一時代が目に浮かぶような。ただし、成人男性の目線で、ですけど。

 

 短歌って色々なスタイルがありますが、専業主婦っぽい歌とか青年漫画っぽい歌って逆にあまり出会わないので面白いなと思います。

 

 

ストリートビューを歩く両国墨田川 目は段ボールハウス探しつ (yuifall)