山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
本田一弘
ほたるほたるおまへが好きな甘い水ペットボトルに詰めてやらうか
ケータイの画面突然赤いろに変はりて届け召集令状
衝撃の社会詠です。「召集令状」から、戦前くらいに生まれた人なのかと思ったのですが、1969年生まれだそうです。60年代生まれでこの世界観で歌を詠めるっていうのは、かなり芯の強い人なのかなと感じました。解説には
本田は「反中央」の歌人でもある。東京を憎み、地方都市がミニ東京化してゆくちっぽけなグローバリズムを憎む。その怒りは、押し殺されながら静かにめらめらと燃えている。(中略)自分の住む会津の街が近代化から取り残されて始まった街であることへの強い意識が背景にある。東京への憎悪、首都への憎悪はすなわち、自分たちを否定してはじまりずんずんと進んでいった「近代」への憎悪なのである。
とあります。
こういう感覚って、明治~昭和初期なのかなって勝手に考えていたのですが、69年生まれの歌人であることを考えると、バブル期、という背景もあるのかもしれません。「地方都市がミニ東京化してゆく」っていうのは多分その頃の時代の感覚な気がする。どこの街にもビルが建って、マンションが建って、中心街から少し離れればバイバス沿いのいわゆる「郊外」があって、その向こうに「田舎」があって、っていう現在の類型化された「地方」の姿ができ始めたもともとが、この人の青春の時代だったのかもしれないと思いました。
この流れで故郷会津への愛を詠う、
磐梯の雪解水の身に滲みて田は一斉に笑ひ初めたり
会津野をほどろほどろに降り敷いて水雪(みづゆき)ほんにかなしかりける
月光と綿雪の帽かむりつつ吾妻嶺深く耐へてゐるなり
みたいな歌が数多く引用されています。
一方で、
本田が真に本領を発揮していると思うのはこういったやわらかな相聞歌であると思う。
と解説にあるように、美しい恋の歌もたくさん紹介されています。
逢へばすぐくちづけをせし頃のありつきかげ舐むる嬬の脣
蝦(えび)くらゐよく笑ふ生き物はいない君くらゐよく笑ふ女はゐない
君おもふおもひ言葉にならぬこと告げむとすれば言葉にならぬ
冒頭に引用した歌との落差がすごくて、どちらもひりつくような本心なのかもしれないと感じ、本心を詠むことの強さみたいなものを改めて意識させられました。
すごくすごく愛している人、よく笑う女が妻であるということを、この人の「反東京」の毒々しい短歌の後に読むと、なんだかほっとします。多分どれほど苦しいことがあっても、家に帰れば彼女の笑顔に癒されたんだろうなって思って。これらの美しくもどこか素朴な相聞歌がすごく好きです。
窓際に寝転ぶきみが口ずさむ僕の知らない外国のうた (yuifall)