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「一首鑑賞」-28

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

28.産めば歌も変わるよと言いしひとびとをわれはゆるさず陶器のごとく

 (大森静佳)

 

 歌だけ読んでクリックして、大森静佳が詠んでいるのか、と驚いた歌です。砂子屋書房「一首鑑賞」で久我田鶴子が紹介しています。

sunagoya.com

 この「歌も変わるよ」ってどういう意味なんだろう。大森静佳の歌は、第一歌集『てのひらを燃やす』がほとんど相聞歌である、と指摘されていましたが(その後第二歌集『カミーユ』では違うみたいですけど)、例えば年齢を経るごとに相聞、青春から社会詠に、あるいは出産、子供の歌に、という風に歌のテーマが変遷していく、ということはあり得ると思います。まあ「相聞」にも色々あるのですが、架空の恋愛を詠んでいる場合はともかく、作者と実際の恋人の関係性を歌にしている場合は、それが家族なり違うテーマに変わっていく、ということは十分あるかと思います。しかし、それはあくまで歌のテーマの変遷であって、「歌も変わる」という本質的な内容ではない気がします。

 私のものすごく狭い範囲の知見(知見と言えるのかどうかすら不明ですが…)だと、むしろ「産んで歌が変わった」のは男性にしばしばみられる感じがします。ここでは具体名は挙げませんが、子供を持つ前と思われる歌と子供が産まれた後と思われる歌で作風が全然違っていて驚いた歌人が何人かいました。逆に、女性はどうかな。やっぱり、妊娠と出産、子育てが点と点ではなくて線で繋がっているせいか、劇的に変わったと思った歌人の名前を今挙げることができません。

 

 解説には

 

「産めば歌も変わるよ」とは、私が言われたかもしれない言葉だ。結婚も出産も、女にとってはそれまでの人生をひっくり返されるような出来事で、覚悟が要る。殊に、出産に関しては女であるがゆえの悩み方をしてきた。

 

とあります。確かに、結婚で一般的に女性側が姓の変更(による今までの人生との別離)を迫られるし、場合によっては離職など大きな生き方の転向を迫られるでしょう。出産においては身体的な限界や不妊、妊娠や出産に関連した心身の不調などをダイレクトに経験するのは女性側です。川野里子の歌とか読んでいると、「変わらざるを得なかった私」と「変わらない夫」というイメージを受けました。しかし、一方で「結婚」も「出産」でも点ではないと思う自分もいる。実際には、「結婚生活」「妊娠」「子育て」という「生活」が横たわるわけです。ある一点を境に百八十度人生が変わるってことではないような気がする。

 

 それにしても「歌も変わるよ」って漠然としていて言葉の意味がよく分からない上に、その言葉によって彼女をどうしたいのか意図も全く分かりません。そもそも子供を産むって究極にプライベートなことをとやかく言われたくないだろう、と思う反面、言った人の年代によっては全く悪意なく、むしろ善意であったりそれ以前の何気ない話題であったりしたのかもしれない。

 解説では

 

「産めば歌も変わるよ」は、誰がどういう場で言った言葉だったかと想像してみる。作歌の行き詰まりの打開策として、安易に出産を口にしたものか。出産に年齢的な限界があるのを気遣って、歌のことにまで及んだものか。

 

このように考察されています。

 

 うーん、私の勝手な妄想だけど、

 

唇(くち)と唇合わすかなしみ知りてより春ふたつゆきぬ帆影のように

 

みたいな大森静佳の作風に対して、「子供を産んで現実の生活に疲れればあんな歌は詠めなくなる」と言っているようにも感じます。だがしかし、葛原妙子が大病院の院長夫人として子供を産んで育てるという当時求められた女性としての生を全うしながら

 

おほきなる屑籠ありてやはらかきみどり児を容るるに足らむ

 

みたいな歌詠んで幻視の女王と呼ばれていたように、出産を経るという人生経験がダイレクトに作風に影響するかどうかは正直、人によるとしかいいようがない感じがしますけどね…。

 

 それにしても、「陶器のごとく」がきいています。

 

磁器ではなく、陶器。火をかいくぐり、ざらざらとした肌合いを残した焼き物の強さ。そこに、どっしりとした古代の土偶、いや、火炎土器のような立ち姿が浮かんできた。

 

だそうです。

 

 

殺むれば歌も変わると言いてみよあるいは産んで殺したならば (yuifall)

 

 

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