山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
おもひでは分かち難かりそのことを告ぐる手だての水蜜桃(すいみつ)一顆
今までも『現代短歌最前線』などで知っている人だったし、ずっと好きだったのですが、今回『現代歌人ファイル』で今まで読んだことがなかった歌にも触れられてよかったです。「桃」あるいは「水蜜桃」の歌は色んな人が詠んでいますが、この歌とても好きです。
1987年に「家族の季」という連作で角川短歌賞佳作を取っているそうなのですが、21歳の時の作品だとか…。恐ろしいな。21歳で
明るいところへ出れば傷ばかり安売りのグラスと父といふ男と
なんて歌詠めますかね…。父親を「傷ばかり」と、「安売りのグラス」に見立てることは難しいです。しかもある程度年齢を重ねて親も老いてから、という状況でもなく、21歳の娘(父親もおそらく40代くらいではないか?)ですよ。これは育った家庭環境も関係するのかもしれませんが、歌のテーマに家族を(しかも自分の選んだ夫や産んだ子供ではなく両親を)選ぶというパッションの方向性の違いも大きいと感じました。「女流の無頼」と呼ばれ、切迫感のある相聞歌を詠む歌風の背景にはこういう「ルーツ」のようなものが影響しているのでしょうか。
やいちくんと巡るぢごくのたのしさはこの世のたのしさに似てゐます
後半は子供の歌が引用されています。「やいちくん」は息子だそうで、一緒に恐山に行った時の歌のようです。解説には
母となった辰巳が見る世界は相変わらずのおどろおどろしさをもっているが、「ひとり立つ女性」としての強さから母としての強さへと変わってきたように思う。ぎりぎりの切迫感はやや和らぎ、「ぢごく」たる現世をたのしむ余裕が出てきたようにも感じる。
とあります。
ところでこの人の歌といえばやっぱり
乳ふさをろくでなしにもふふませて桜終はらす雨を見てゐる
を連想しますが、他にも「乳房」の歌が多数引用されています。解説に
「乳房」の歌が多いのも特徴だ。「乳房」というモチーフは、性的なイメージと母性のイメージが二重写しになっている。考えてみれば不可解なモチーフだ。女性としての身体性を強烈に意識する突端として、辰巳は乳房というモチーフを繰り返し描くのである。
とあったのが印象に残りました。確かに「乳房」とか「(女性の)下腹部」には性的なイメージと母性のイメージがだぶるけど、男性の「陰茎」に父性のイメージはありませんね。不思議ですね。「父」のイメージって身体の一部でいうと何だろう。「背中」とかなんかな。
父を今『60歳代男性』として要約す会議(カンファ)の俎上 (yuifall)
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