北溟社 「現代短歌最前線 上・下」 感想の注意書きです。
辰巳泰子③
一枚の木綿のシャツの畳みかたを違へるごとく愛しあひをり
交はらぬ声と声ゆゑ風いたく吹き抜けてゆくときの恍惚
多分恋ってこういうことなのかなと思いながら読みました。相手は自分には合わなくて、シャツの畳み方も違うし声も交わらないんだけど、好きだから一緒にやっていくんだって。シャツの畳み方が一緒で声が交わってるから好きになるわけじゃないんだよね。
ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』という短編集の『セクシー』という小説に、「セクシーってどういうことなの」って聞かれて「知らない人を好きになること」って答えるシーンがあって、すごく心に残ってて。人って知らない人を好きになるんだよな、と思いながら読んでました。
もしかしたら、愛する人と「シャツの畳み方を違へる」「交はらぬ声と声」っていうのは寂しいっていう読み方が正しいのかもしれないんですが…。でも、どっちの歌もあんまり寂しい感じではないし、わたしとあなたは違う人で、重なるところがないって気づくときもあるけど、それを知りながら「愛しあふ」「恍惚」っていうことなのかなぁって思ってます。
舌の足らぬくちづけ終へて水のほかなにも流れぬ河を見てゐつ
この歌、「水のほかなにも流れぬ河」って表現に心惹かれました。その虚しい感じが「舌の足らぬくちづけ」に繋がってくるのかな。なんか、未来がない感じ、愛とか「くちづけ」に纏わる感情が(相手の方に)何もないって感じがします。これは現実の河なのかな、それとも現実ではないんだろうか。
現実的には「水のほかなにも流れぬ河」っていうのは存在しないんですが、こういう表現に出会うと、穂村弘が『ぼくの短歌ノート』の「ハイテンションな歌」の項目で言っていた、「現実を超越するテンションの高さ」っていう言葉をふと思い出します。
ぼくの短歌ノート-「ハイテンションな歌 現代短歌編」 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ
まあ、この歌は全然テンション高い感じはしないんですけど、「水のほかなにも流れぬ河」は多分目の前にある光景であるはずなのに現実を超越してる感じがします。
靴擦れの痛み憎めど新しきミュール購ふ恋の恍惚 (yuifall)
短歌タイムカプセル-辰巳泰子 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ
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