「一首鑑賞」の注意書きです。
32.さびしさに死ぬことなくて春の夜のぶらんこを漕ぐおとなの軀
(内山晶太)
砂子屋書房「一首鑑賞」で光森裕樹が紹介していた歌です。
確かにさびしさでは死なないなって気持ちと、いや、もしかしたらさびしさで死ぬかもしれない、という気持ちでこの歌を読みました。解説に
うさぎはさびしいと死ぬ、ということを耳にしたことがあるが、広く言われていることなのだろうか。仮に、今ここに死んだうさぎがいたとしても、さびしかったからかどうかなんて、分かりようがなさそうだ。
(中略)
死ぬほどさびしい、けれども、さびしさに死ぬことはない、けれども、やっぱり死ぬほどさびしい――そういう行き場のない思いが、春の夜のぶらんこに合わせて往還するようだ。
とあります。「うさぎは寂しいと死ぬ」というのは何かのドラマのセリフであって事実ではないのではないか、と思ってググってみたところ、
というサイトがあり、
うさぎは寂しいと死ぬというのは嘘
そのドラマは『ひとつ屋根の下』
と書いてありました。へえー。
本題から逸れましたが、この「おとな」は何歳くらいなんだろう。ぶらんこに相応しくない「おとな」がぶらんこを漕ぎながらさびしいと思う気持ち。30代~40代くらいを想像したのですが、もし70代とかだったらさびしさで死ぬこともあるんじゃないかなぁってちょっと思った。多分、ぶらんこを漕いでいた子供の頃に想像していたよりは、「おとな」の自分は強くも大きくもない、ような気がします。
さびしさはきっと僕には贅沢でふたごの星に目を凝らしてる (yuifall)
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