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東郷雄二 『橄欖追放 [sai] 歌合始末記』 感想 「半島」

橄欖追放 [sai] 歌合始末記 感想

の注意書き(『短歌パラダイス』感想の注意書きとほぼ同様です)およびルールはこちらです。

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橄欖追放 [sai] 歌合始末記

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 第三戦は、「半島」でした。

 

半島に夕暮れどきを 半熟の卵で汚れたスカートに銃を (玲はる名)

ひとづまのごと国を恋ふ少年にしなやかに勃つ半島のあれ 黒瀬珂瀾

 

 

半島に夕暮れどきを 半熟の卵で汚れたスカートに銃を (玲はる名)

 

 玲の歌は、半島―夕暮れどき、スカート―銃という対比になっていて、しかも「スカート」は「半熟の卵」で汚されています。

 私はこれはフェミニズムの歌かなぁと思って読みました。「半島」という言葉からはどうしても「南北分断」みたいな政治的紛争地帯がイメージされるし、そこに「夕暮れどき」というのはやっぱり「落ち目」というか、政権交代みたいな不安定な情勢がイメージされます。さらに付け足せば、「半島」そのものがその形状から「男根」の比喩的な読み方ができるし、そこの「夕暮れ」は男根主義への抵抗とも読めます。それと対比するように提示される、「半熟の卵で汚れたスカート」。この「半熟の卵」は、多分ゆで卵の半熟卵じゃなくてどろっとした温泉卵に近いものなんじゃないだろうか。私が想像するに、これは、精液のメタファーです。だから、性的凌辱が暗喩されているんだと思う。ここで「銃」を持つというのは、これは闘争でもあるし、男根の比喩でもあると思う。スカートの中に隠し持つ銃です。なので、Me too運動っていうか、まあそういう感じのフェミニズムの歌なのかなって。

 ところでこの歌って塚本邦雄

 

突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼 (塚本邦雄

 

が底にあるのだろうか。

 

 

ひとづまのごと国を恋ふ少年にしなやかに勃つ半島のあれ 黒瀬珂瀾

 

 一方で黒瀬の歌は、革命の歌だと思って読みました。まあ、

 

テロリスト太古もやさし若妻を恋いつつ海を映しすぎる空 (新城貞夫)

 

からの連想なんですけど…。

 「ひとづま」への恋というのはおそらく実らない遠い憧れで、そのように国を恋う、というのは、自分の中にある遠い理想を重ねて遠く国を愛する、という、要は「あらかじめ失われた革命」の歌ではないだろうか。そこに「しなやかに勃つ」というのは男根であろうし、だからここでは届かない欲情が行きつく先としての「半島」です。ただの恋情ではなくて、情欲なんですね。

 もしかしたら、この「勃つ」は「勃起」ではなくて「勃発」なんじゃないか、とも感じました。「戦争」あるいは「革命」よそこにあれ、という。「少年」には「ひとづま」(大人、女性、既婚、男性の所有物)と対比する意味での「少年」(子供、男性、未婚、誰のものでもない)に加えて、「戦争へ行く子供」という意味合いもあるのかもしれない、と。まあその場合「しなやか」はなんやねんということになりますけど…。国を思う少年が半島で勃発した戦争(革命)のために兵役に行く、と解釈することも可能なのかなーと思ったのですが離れすぎかなあ。

 

 

 個人的には玲はる名の歌の方が好きだな。どちらも性と闘争というテーマで男女が対比されているけど、玲はる名の歌でははっきり性的と言える言葉を使っていないにも関わらず、濃厚な性と闘争の気配が感じられます。一方で黒瀬珂瀾の歌は、「ひとづま」「恋」「少年」「勃つ」という単語がいずれもちょっとあからさまだし、まあこれは単なる個人的な好みです。

 

 

半島に雪よ降り積め 唯一の道を鋭く純白に引け (yuifall)