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「一首鑑賞」-135

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

135.わが生に歌ありし罪、ぢやというて罪の雫は甘い、意外に

 (岡井隆

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で黒瀬珂瀾が取り上げていました。

sunagoya.com

 「罪の雫」なんていかにもだなぁ、と思ってリンク先に飛んだら岡井隆の歌でした。途端になんか戯画っぽく感じられるのが不思議です。鑑賞文にも

 

それが一気に、三句目で転換する。その罪は、蜜のように滴り落ち、雫は「甘い、意外に」。罪の雫なんて陳腐な歌謡曲調なのだが、だからこそ逆に、罪を呑み込む作者のふてぶてしさが印象深くなる。

 

とあります。

 

 歌は罪、なのかなあ。どんな罪なんだろう。『こころ』(夏目漱石)の、「恋は罪です」みたいな感じなのだろうか。黒瀬珂瀾はこう言っています。

 

確かに、最初は好きで歌を作り始めたはずだった。それがいつしか人生の重荷になっていると感じる時がある。なぜだろう。かといって歌を辞めることも出来ない身体になっている。街で何かを見かけたとき、無意識に歌を考えている自分に驚くことがある。歌を辞めていったかつての歌友たちの顔をふと思う。彼らのことを少し羨みつつ、その裏で「俺はあいつらに勝った」と思っている卑しい自分に気付く。歌は、罪か。

 

 これはやっぱり、歌を「生業」としようと覚悟している人にしか分からない気持ちなのかもしれない。瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器』の佐藤真由美の項目で、加藤千恵が「結社系の方は短歌を趣味としてやっている方が多い」(歌だけで食っているわけではない)という発言をして、歌だけで生計を立てられるはずもない(でも「趣味」であるはずもない)多くの「歌人」が反発したというエピソードが紹介されていましたが、実際、歌だけでお金を稼いで暮らしている人は少ないのだと思います。「加藤千恵本人は、自分が小説や短歌で生計を立てているプロであるというプライドもあったのだろうし、」とここでは書き添えてありました。

 でも、専業じゃなきゃ歌人じゃないのかと言われるとそうではなくて、山田航が『現代歌人ファイル』の「長尾幹也」の項目で

bokutachi.hatenadiary.jp

 短歌におけるプロフェッショナルとアマチュアの違いは何かというのは非常に難しい問題である。収入や職業性といった面ではかることができないからである。そのため乱暴に言ってしまうと、「選歌」という役割を果たすことのできる歌人がプロフェッショナルということになってしまう。プロ歌人の仕事は、いい作品を作ることではなく他人の作品からいいものを選び出すことに尽きてしまう。

 

と書いており、それに対して私は

yuifall.hatenablog.com

個人的には、お金を貰って歌を詠う人がプロだと思うな。歌集を出すとかじゃなくて、誰かに(雑誌とか講演とか、なんでもいいんですが)「お金を出すから歌を詠んでください」と言われる人。

 

と書いたのですが、専業でなくても成り立つ以上、やっぱり「プロ」の定義は難しいなと思います。歌壇に認められて(賞を取るとか)歌集を出したけど「選歌」はしていない歌人はたくさんいるだろうし、枡野浩一みたいに“歌壇”みたいなものに縛られない歌人もいます。また、上記の長尾幹也のように、新聞歌壇に投稿し続けるだけの歌人?もいます。どこまでが趣味でどこからがプロなのか?

 

 何度か書いているのですが、人生の中で苦しいと思う時期に短歌にハマることが多いです(現在はそうでもないけどだらだらとブームが続いている感じ)。だから、そういう時はいつも何らかの切羽詰まった「短歌じゃなきゃ」みたいな感覚はあって、それは私にもわかる。でも、その情熱を「生業」まで突き詰めようと思ったことはなく、要は二次創作みたいな感覚というか…。あるジャンルにハマった時に原作を読み込んで、二次創作を漁って、自分の萌えを創作で吐き出して、そのうち出し尽くしてそのジャンルでは書けなくなる、みたいな感じなんですよ。だから、「罪」が分からない。そこまでたどり着けないと思う。

 

 黒瀬珂瀾の場合は、単に「歌をやめなかった」から今のポジションがあるわけじゃないと思うので、やめてしまったかつての友達に対して「勝った」という感覚を抱いてしまうのはやむを得ないのではないだろうか。きっとその「罪」、業のようなものを抱えているのだろう。その感覚は別に歌人であるための必要十分条件ではないのでは、と考える一方で、やっぱり「短歌じゃなきゃ」って思う時のどこか後ろ暗いような気持ちも分かるし、それが「罪」なのかなあ、って思う時もあります。

 

 

心にもないことばかり言ってたい今夜もエレクトリカルパレード (yuifall)

(『ふったらどしゃぶり』一穂ミチ

 

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