山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
「巴里は燃えてゐるか」と聞けば「激しく」と答へる君の緋き心音
これは『パリは燃えているか』(映画)がモチーフなのかなって思ったんですが、『パリは燃えているか』では実際は燃えていないわけなので違うかもしれません。「パリは燃えているか」はヒトラーの台詞ですね。「激しく」と答えたのは誰だったのだろう。この歌からparis matchの『RAIN FALLS』を連想する私です。
夜のシネマでパリの灯燃えていた 外は乱れたムチのように激しく雨
男権中心主義(ファロセントリズム)ならねど身にひとつ聳ゆるものをわれは愛しむ
「男根」かと思いきや「男権」でした。黒瀬珂瀾の歌は全体的に耽美ですね。
このブログでは3度目の登場ですが、私は時系列的に一番最近のアンソロジーを一番最初に読んでしまったので、本当はこっちから読んでいくべきだったのかも…と今更思っています(『現代歌人ファイル』の記事が2009年で、『桜前線開架宣言』が2015年、『短歌タイムカプセル』が2018年でした)。ここに紹介されているのはバイセクシャルっぽい耽美な歌が多いのですが、『短歌タイムカプセル』で父親とか住職としての歌を最初に知ってしまったので…。
解説では、師の春日井建について
春日井の歌を語るとき、彼のセクシャリティの問題から逃れることは容易ではない。禁忌と破滅の美学が春日井の世界を支えている。
とあり、はっきりとは書かれていないのですが、春日井建はホモセクシュアルなのかな、って思いました(後から知ったのですが、そういうことみたいです)。黒瀬珂瀾については、
黒瀬の場合禁忌に溺れることへのナルシシズムによりいっそう自覚的である。(中略)(黒瀬の歌の)自己陶酔感は、ときに両性具有的でありときに過度に男性的である。そしてその自己陶酔を客観的に見ている自分自身も存在している。
とあります。
これは、多分ですけど、この人がセクシャリティ的にはストレートだからなんじゃないかなというような気がする。だから「禁忌と破滅」は常に意図的でどこか客観的だし、「身にひとつ聳ゆるものをわれは愛しむ」と詠いながらも、父親になってからは
妻と児を待つ交差点 孕みえぬ男たること申し訳なし
みたいな歌も生まれてくるのかなと。過度に男性的、というのは、
血の循る(めぐる)昼、男らの建つるもの勃つるものみな権力となれ
わが愛の喩としてvibratorがvibrateをする夜の底
みたいな歌かなと思うのですが、他の両性愛あるいは両性具有っぽい歌と併せて読むと、作者自身がこう思っているというより、こういうキャラを主人公にして歌にしている、って感じがします。
(ところで「男らの建つるもの…」の歌、なんか平岡直子の
そりゃ男はえらいよ300メートルも高さがあるし赤くひかって
を思い出すな…)
あとはサブカルモチーフを詠みこんだ短歌も多く紹介されてます。
キラ、君のいる戦場へ翔るとき永遠までに五分たりない
の「キラ」はガンダムSEEDなのかな。あとはエヴァとか、FFとか、アーケードゲームとか、BLとか、色々です。
きみは捥がれるのを待っている林檎突き立てさせてぼくのアニムス (yuifall)
振り向くときみも消えてる この世界ぼくが最後で最後最後だ (yuifall)
(perfume 『エレクトロ・ワールド』)
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