いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌と洋楽和訳メインのブログで、海外ドラマ感想もあります

現代歌人ファイル その41-谺佳久 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

谺佳久 

bokutachi.hatenadiary.jp

助手席の女(ひと)を抱き寄せ突っ走る死なばもろともの片手ハンドル

 

リクライニング・シートもろとも押し倒し君にかぶさりゆける夏雲

 

 自動車&女!古き良きヤンキーじゃないけど、これは藤原伊織系統じゃなくて北方謙三系統のハードボイルドですね…。でも、ハードボイルドにありがちなホモソーシャルな空気はまるでなく、とにかく自動車、女、パワー、みたいな。愛する女性は「黒髪」「ルージュ」の糠味噌臭くない美人です。こういう歌、もうこの時代に真剣に詠める人いないんじゃないかなぁ。セックス&バイオレンスというモチーフだけではなくて、解説ではその「社会性」について触れられています。

 

(谺の歌は)恋愛を社会化しようとする政治性に対してはっきりと抵抗をしているのである。「シンジケート」穂村弘や「サラダ記念日」俵万智のように政治性をほとんど無視するようなかたちはとらず、社会が持っている「父性」の強さを認めたうえであえて抵抗しようとしている。暴力性への傾倒も、「父」というある種の暴力装置から自由になれない自分をどこか自覚しているからかもしれない。

 

 特に

 

父の眼を偸みてわれに逢いに来し汝れをブラウスの上より愛撫す

 

という歌に触れて、これは恋人が厳格な父のもとを離れて自分と性愛にふけっている、という意味合いを超え、「政治的存在」である「父性」の眼をかすめて恋愛をすることの象徴と見なしています。

 

 それにしても現代はこのような厳格な政治的社会的paternalismは失われているように思われますが、思うに、こういう「強い父親」的な政治性というのはいわば軍国主義であって、戦中にしか成り立たないのではないだろうか。この人は1949年生まれですから、父親は明治~大正生まれでしょう。60年代生まれ、ニューウェーブ世代の短歌に政治性の影が消えたのは、「戦争を知らない子供たち」世代となったことと全くの無関係ではないのかもしれません。解説にも

 

このような「亡き父と息子の物語」はそのまま戦後日本の姿にも当てはめることができるのかもしれない。「父性」とはきわめて近代的なモチーフなのだ。

 

とあります。要は「大日本帝国」的なモチーフですよね。

 

 そんな「父性」への抵抗を示しながら、実際の父の死に際して

 

俺を一生親不孝者とせぬためにいま一度目をあけてくれ目を

 

お父さん! おとうさんてば……もう何も言わぬくちびる綿で湿すも

 

みたいな歌を詠んでます。親が老いていく哀しさみたいな感じなのかなぁ。父親がいないと反発できるものもないみたいな、ちょっと少年っぽい思いをいつまでも抱き続けていたのかな。「おとうさんてば…」は、自分自身の感情というよりもお母さんの呼びかけという気がしますけど、それにしても解説にもあるように「弱々しい思慕」に思えます。

 

 この人に関しては『現代歌人ファイル』でしか作品に触れたことがないので本当に雑感ですが、親になる前となった後で作品の傾向が変わる(幅が広がる?)タイプの歌人っているなーって気がしてて、この人はここで紹介されている中には自分自身が父親の立場というものはないのですが、もしあったとしたら、どういう作品になるのかなって思いました。セックス&バイオレンスを脱して普通のパパになっちゃうのかな。それともやっぱり世代的に昭和の父って感じなのかしら。自分が今度は子供たちの支柱にならねば、というような。

 

 

Heartより今Hard on欲しいだろジャガーみたいにとばしてやるよ (yuifall)