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「一首鑑賞」-219

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

219.蒸し焼きの豆腐を「おにく」と頰張れる吾児よ気づくな父の歌業に

 (黒瀬珂瀾

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで梶原さい子が紹介していました。

sunagoya.com

 前半は、いわゆる「代替肉」というか、様々な理由で肉を食べない人が選んだ蛋白源としての「豆腐」を子供が疑わず「おにく」と思っているシーンかな、と思うのですが、後半の「父の歌業に」に驚きます。つまり、「父」にとって「歌業」は「豆腐」的なものなのだ、と。

 この「豆腐」は何の象徴なんでしょうね。食べているのが「吾子」、つまり子供であることから、積極的に選び取ったものではなく、誰かに与えられたものであるように思えます。また、「おにく」と認識していることから、その正体を知って食べているのではないことも分かります。一方で、本物の肉を知らないからそれを「おにく」だと思っているのか、知った上でこれも「おにく」の一種だと思っているのか、それは分かりません。

 それをそのまま当てはめると、「父」にとって「歌業」は積極的に選び取ったものではなく、気づかないうちにいつの間にか与えられていた「偽物」であるという認識になります。「悲しき玩具」的な感じだろうか。

 

 とまあここまで考えて、あ、違うな、って思った。「歌業」は「父」にとって代替品なんかじゃなく、「自分そのもの」なんだと。「豆腐」なのは「自分そのもの」なんだと思った。どんな親であっても、子供にとっては「おにく」です。その親しか知らない子供にとっては、自分の親こそが本物だから。でも親は、自分にも欠点があることを知っている。完全無欠の人間じゃないし、この子にとって唯一無二であることが怖いと感じることもある。子供にとって親は積極的に選び取ったものではなく、一方的に与えられるものです。全ての人間の中から適切な親を選び取ったわけじゃない。

 多分、この主人公は自分自身を「豆腐」的なものとして認識しているんだと思う。自分は本当は「豆腐」なのに、子供にとっては唯一無二の「おにく」だと思われている。しかし、いずれ子も気付く時が来ます。親は完璧ではないと。それを「父の歌業」と書いているのは、主人公にとって歌が自分そのものだからだと思います。私の歌を知れば、私が「豆腐」であったことを知るだろう。だから「気づくな」と。

 でも、本当に気づいてほしくないわけじゃないんだろうな。一生「おにく」を知らず、「豆腐」を「おにく」だと思って生きて行ってほしいと思う親はいないと思う。だからいずれ気づくことを分かっていて、子供にとって自分が「おにく」であるこの瞬間をできるだけ長引かせたい、という、祈りにも似た歌なのかなと私は感じました。

 

 鑑賞文の最後の一行がとても好きでした。

 

 案外、そののちに子は、お肉より「おにく」を好んでいくのかもしれないけれど。

 

 もしかしたらそんなものかもしれません。

 

 

アクリルでできたパライバトルマリンいつまできみの宝石だろう (yuifall)

 

 

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