「一首鑑賞」の注意書きです。
374.貝の剥き身のようなこころはありながら傘さしての行方不明うつくし
(内山晶太)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで棚木恒寿が紹介していました。
「貝の剥き身のようなこころ」は、ものすごい剥き出しな感じがします。貝のあの硬い殻に守られない中身は無防備でやわらかくてしかもなんとなくグロテスクで、目をそむけたくなるような気がする。そんな上の句と下の句がうまくつながりません。「傘さしての行方不明うつくし」は一体どういうことなんだろう。
鑑賞文にはこうあります。
貝の剥き身にはどこか無残な感じがある。(中略)一方で、下の句にはやや明るさが見える。傷ついて、出奔願望に駈られながらも、出て行くときは傘をさしながら出て行くひとり。その背を美しいと思い、主体は自分を重ねて行く。そこには、傷ついて出奔することへの若者らしいあこがれがあるだろう。傘をさすというダンディズムには聡明さもある。上の句から下の句への「ありながら」で接続された展開が巧みで、やや暗いけれども、典型的な青春歌になっていると思う。
典型的な青春歌なのか…。でもそんな風に説明されると何となく分かったような気もします。無防備に無惨に傷つきながらも出奔する美しさは確かに若い時のものかもしれない。「傘さして」はダンディズムなのか。自分を守りたいという意味合いではないんだろうか。こころは貝の剥き身のようだけど、一応恰好はつけようというか、剥き出しではないふり、捨て鉢ではないふりはするという意味でダンディズムなのか?
正直読むのはちょっと難しいのですが、この鑑賞文が面白かったです。他にも内山晶太の歌がいくつか引用されていて、心に残りました。
床に落としし桃のぬめりににんげんの毛髪つきて昼は過ぎたり
やわらかき粘土のような海の色を見つめつづけていれば眩暈す
「桃のぬめりににんげんの毛髪」「やわらかき粘土のような海の色」、どれもちょっと普通には出てこない言葉だなぁと思って圧倒されました。「読んでゆくといくらでも秀歌に出会う。」と棚木恒寿は書いています。秀歌を探す、あるいはどれが秀歌か評価する、みたいな読み方はできないなと思うのですが(というか、私には好き嫌いは分かっても優れたものかそうでないか読んでもよく分からないのでちょっと辛いというか)、でも引用されている歌はどれもはっとするような言葉遣いで、確かに「秀歌」なのかもしれないと思います。
私が自力で歌集読んでもこういう歌をピックアップしてこられる自信がないので、こうやって教えてもらえるのはとてもありがたいです。まぁ、でも分かんなくても自分で読んで好きな歌探してみなきゃ見えてこないものもあるのかもしれませんが。
土砂降りの中で交わした約束にお前は今も剥き出しのまま (yuifall)
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