「一首鑑賞」の注意書きです。
295.冬の朝鎖されて舌からめあふくちづけをやめないで、おとうと
(黒瀬珂瀾)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで山下翔が紹介していました。
最後の「おとうと」にびっくりして思わず取り上げてしまった歌。作者を見たら黒瀬珂瀾だったので、ああ、ってなった。ちなみに「鎖されて」は「とざされて」と読むのだそうです。
これは鑑賞文がとてもよかったです。「鎖されて」いるのは「部屋」であると同時に「口で口がおおわれた」状態であること、「舌からめあふ」と「くちづけ」は意味合い的には同じであるにも関わらず、わざわざ「くちづけ」と断言する意味、「やめ」と「ないで」の間の句またがり、そして最後の「おとうと」という、いわばオチのようなもの。
そうおもって読めば、このさしはさまれた「くちづけをやめないで」という声に、「鎖されて」がいよいよ熱をもつようである。その呼びかけるさきに、ここではじめて「おとうと」という相手があらわれる。イメージがもうひとつぬりかえられる。
まさに、小説で言うと「ラスト5ページで全てが塗り替えられる!」みたいなやつですね。
そういえば、「おとうと」って普段弟に対してあまり呼びかけない言葉です。「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」は言うのに、「おとうと」「いもうと」って呼ばないの何故なんでしょうね。この歌でも、だから「おとうと」の異質さがぐっと際立つ感じがします。「兄さん」とか「姉さん」でも意味合いとしては成り立つんですが、それを超える違和感というか…。それに「兄さん」「姉さん」だと、「兄」「姉」「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」表記との違いでキャラクターに差が出てしまうのでやっぱイマイチな感じがします。
ところで最初は姉とおとうとなのかな、と思って読んでいたのですが、鑑賞文には「たとえば兄とおとうとの、」とあります。作者が男性なので兄なのかもですが、近親相姦だとするとその禁忌度はむしろ男女の方が高いような気もする(子供が産まれうるので)。(きんしんそうかん、で変換したら、なぜか謹慎挿管って出てきてなんのこっちゃってなったわ)この場合どっちなんでしょうね。まあどちらでも好きな方で読んでもいいのかもしれませんが、もしこれ、仮に「いもうと」だとしたら私は9割がた「兄といもうと」だと思って読むと思うのに、「おとうと」だと「兄」と「姉」が半々くらいに思えるの不思議です。
どちらにせよ、勝手に双子のきょうだいだと思って読みました。自分に近い人間を愛してしまうというちょっとナルシスティックな感じが、そのグロテスクさと相まって(文学的には)ぐっときます。
くちびるが近すぎてでも遠すぎるそこへ行くから待っててよ、ミク (yuifall)
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