「一首鑑賞」の注意書きです。
294.みずいろの螺旋階段を降りてくるあなたは冬を燃やす火になる
(田口綾子)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで井上法子が紹介していました。
「螺旋階段を降りてくる」という言葉から性的な営みを連想するのは読みすぎなんだろうか。「螺旋」がどうしても「DNAの二重らせん」をイメージさせるからか、「螺旋階段を降りてくる」あなたは、ついにわたしと肉体的に結ばれた人、という感じを受けます。「冬を燃やす火になる」もそれを示唆している感じがする。まあ、単純に、人と人との関係がミクロ的には近づいたり離れたりしながらマクロ的には確実に近づいている、ということを暗示しているだけなのかもしれませんが。
鑑賞文によれば、
語り手は、連作の冒頭では「すきなひと」、そして「あのひと」を幾たびかはさみ、連作の最後のこのうたで「あなた」へと変化します。
ということだそうです。「すきなひと」だっただけの他人が、「冬を燃やす」「あなた」になる。これはやっぱり、他人だった人と恋愛関係になり、肉体的に結ばれたということなのではないの?この場合、「冬」はわたしということになります。その読み方はちょっと安易すぎるだろうか。
「みずいろ」という言葉も気になります。「みずいろ」で私が真っ先に連想するのは当然荻原裕幸で、
永遠のみづいろとしてひとりくらゐ犀を生きてもいいではないか
ここにゐる、ここを世界の静脈としてみづいろの時間のなかへ
みづいろの楽譜に音符記されずただみづいろのまま五月過ぐ
この八月の街をみづいろ前線がとほる痛みのかけらがぼくだ
など、「みづいろ」の歌が多数あります(「みづいろ前線」という連作もあるそうです)。だから「みずいろの螺旋階段」と言われて、咄嗟に、ああ、この人は荻原裕幸と同じものが見えている人なのでは、と考えた。私には「みづいろ」が読み切れなくて、だからとても使いにくい言葉だなって思っていたからです。どうして「みずいろ」なんだろう。何か私の知らないワールドを皆共有しているのだろうか、という気にさえなってしまう。井上法子もこの「みずいろ」については触れていません。なぜなの?みんな、当然のように分かっているの?それとも、まあこの人の心の中にある「みづいろ」的なものだろう、というふわっとした読み方でいいの??
エッシャーの螺旋を一気に駆け上がりそこから飛び降りるような絶頂 (yuifall)