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「一首鑑賞」-31

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

31.私ではない女の子がふいに来て同じ体の中に居座る

 (鳥居)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で佐藤弓生が紹介していた歌です。

sunagoya.com

新聞記者の岩岡千景さんが著した『セーラー服の歌人 鳥居』(KADOKAWA)の紹介文も借りると、鳥居さんは「目の前での母の自殺、児童養護施設での虐待、ホームレス生活」体験があり、短歌はほぼ独学だそうです。

 

とあります。おそらく、比喩でもなんでもなくて実際に解離の歌なんだと思います。

 こういう歌を詠むと、斉藤斎藤の言う「ふつうの呪縛」、という言葉を思ってしまいます。説明文なく歌だけで読んでいたら、おそらくそういう比喩的な感覚というか、「らしく」ない言動をしてしまうときのわたし、という、ごく一般的な一人の人間の多面性として読むと思うんですが、この解説を読むと解離性人格障害や複雑型PTSDを連想します。暗喩的な意味合いを読み取ろうとする前に、事実として解釈することも大事だなって考えさせられました。

 

大根は切断されて売られおり上78円、下68円

 

 一緒に引用されていたこの歌読んで、何だか言葉では言い表せない気持ちになった(言葉では言い表せないじゃ駄目なんですけど…)。確かに、大根は半分で売られることがよくあり、上下で値段が違います。上の方がやや甘くて、下の方は辛いし、下が細くなる分やや量も少ないように感じるから、そこに10円の差があるのかも。そして合わさると146円じゃなくて128円くらいになる。

 先ほど「暗喩的な意味合いを読み取ろうとする前に事実として」とか書いといてなんですが、事実としては歌そのままなんですけど、やっぱり、暗喩的に読みたくなる自分がいる。。人間の上半身と下半身に値段をつけるとしたら、という。上は「頭脳」、ホワイトカラー労働のメタファーで、下はブルーカラー労働、あるいは性風俗業のメタファーとも読めます。「上」の方が高いんですね。こう解釈することで、じゃあ何を言いたかったのか、と考えると正直よく分かりませんが…。

 

 最後に

 

冒頭の一首は、うまいという感じはありませんが、こうした心の分裂を鮮明にとらえて、いくらか“近い”歌に変化しているのが印象的でした。短歌のことばを通じて分裂の辛さを自覚できたとき、自分が自分に近づくような。

ことばによる気づきと創意が、心の回復に通じるプロセスが見える歌集です。

 

こうありました。

 

 「うまいという感じはありませんが」という一言、これがすごく微妙なところです。私も、この歌は一首としてはどちらかというと平凡な言葉遣いだと思うし、誰にでも「私ではない女の子がふいに来て」と感じることはあって、ある意味それほど特異な感覚ではないと思う。ですが、作者の背景を知ることで、実は自分が体験している「私ではない女の子がふいに来て」と、作者が体験しているそれが全く違うものだ、ということに初めて気が付くんですよね。それが一首の中で分かる構造になっていないのが「うまいという感じがない」理由であると同時に、「私ではない女の子がふいに来て」は作者にとっての紛れもない事実であり、それを比喩的に読むこちらの問題でもあるわけだし…。佐藤弓生の「読み」も、歌の背景あっての「読み」ですし。

 だけど、この歌を「一覧」の中からクリックしたのは私で、何か惹きつけられたのは事実です。「うまさ」と魅力は必ずしも一対一ではないし、もし背景を知らなくても好きになったと思います。

 

 

定型を裂いてわたしが流れ出すさなぎの腹を開けるみたいに (yuifall)