百人一首現代語訳 感想の注意書きです。
四十三・逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり
拾遺和歌集 巻一二・恋二・七一〇 詞書「題しらず」 権中納言敦忠
逢って契りを結んでから心におこった変化にくらべると、
以前はものを思わなかったのだった。
あなたを知って
本当の恋を知った
あなたを知るまえのわたしは
恋を恋するばかりの
ほんの子どもだったってわけ
(さ・え・ら書房 『口語訳詩で味わう百人一首』 佐佐木幸綱)
実際に やった後から くらべれば
昔はなんにも 知らなかったなー
大きいと思って見てた夏の雲君の大きさ知るまでの雲 (大松達治)
この歌、「逢ひ見て」は当然「契りを交わして」ということだとは頭ではずっと分かってはいたものの、橋本治版の「実際に やった後から」の身も蓋もなさにかなり感じ方が変わりました。やっぱり言葉のチョイスって大事ですね。「逢ひ見る」って言われるのと、「やる」って言われるのではだいぶニュアンスが異なります。
使う言葉によって感じ方が変わるのがとても面白いなーと。この身も蓋もない「やった後から」を読んで初めて、ああ、そういうことか、って感覚的に理解した気がする。「また逢いたい」という思いは、肉体の欲求を伴う切羽詰まったものなのですね。正直女性側からしてみると、一度「逢った」からといって精神的にはともかく肉体的にそんな切羽詰まった状態にはなりませんから、そういう意味で私自身はこの歌の真髄には到達できてなかったし、これからもできないかもしれない。
現代語版は大松達治(男性)なのでその点を汲んだ訳になっているのかもしれず、「君の大きさ」にはそういう性的な暗喩もあるのでしょうか?
いやー、ほんとに、この歌のことずっと知ってたつもりでいたけど、なんにも知らなかったなー(笑)。
憧れが溺れる戀に変わってくあなたの中にゆるされてから (yuifall)