百人一首現代語訳 感想の注意書きです。
五十七・めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月影
新古今和歌集 巻一六・雑上・一四九九 詞書「はやくより童友達に侍りける人の、年ごろ経てゆきあひたる、ほのかにて、七月十日のころ、月にきほひて帰り侍りければ」 紫式部
めぐりあって、見たかどうか確認できないほどあっという間、
またたくまに隠れてしまった夜の月。
久々に
偶然逢って……
雲間の月が、一瞬……
見えて、隠れた、夢のような……
一瞬の出遇いと別れ
月よ、あれは夢?
(さ・え・ら書房 『口語訳詩で味わう百人一首』 佐佐木幸綱)
めぐり逢い 逢ったと思えば そのままに
雲に隠れた 夜半の月だわ
たくさんの月がスマホに盗まれたまぶしい夜の女ともだち (米川千壽子)
これは恋の歌ではなくて、相手が友達っていうのが面白いなと思いました。しかし、佐佐木幸綱版も橋本治版も相手が「誰」ということにはそれほど踏み込んでおらず、米川千嘉子だけがはっきり「女ともだち」としています。
確かに元の歌でも詞書にあるだけで歌の中で「誰」とは書いてないんですよねー。やっぱり短いから、ここに「同性の友達である」という情報を入れ込むのはちょっと大変かもしれません。。敢えて「女ともだち」と入れた米川千壽子は、
私が現代版でうたったのは、一瞬で雲に隠れる月をみんながスマホで写して画面で光らせている情景。極小の無数の月が地上で輝いている夜、今なら別れた女友達とまたスマホで話すことも可能だ。
と書いており、「スマホ」を肯定的な意味で使っているというのが意外でした。また、紫式部について、『源氏物語』にさまざまな女性を描いた、と指摘していて、確かにあれは、光源氏はいわば狂言回しであって、女の物語なんですよね。男との恋を描いてはいるけど、常にフォーカスが当たっているのは女の業で。それにしても『源氏物語』はよくあれほど多くのタイプの女性を描写できたものです。
社会人になっちゃうと、しかも年齢が上がって生活のステージが変わっていくと、友達と会うのが難しくなります…。しかもコロナ禍というのもあり、もう長いこと親しい友人にも会えていません。確かにスマホでも会えるのかもですが、そういうの苦手なのは多分世代というよりも性格だと思われる。。一度オンラインお茶会やってみたけど微妙だった…。やっぱり会いたいな、って思います。短い間でも。
*百人一首感想の記事書いたの2020年秋頃だったので、だいぶ状況が変わってきていますね。
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月照らすあなたはディープフェイクだしずっとこのままchatしましょう (yuifall)