「一首鑑賞」の注意書きです。
30.満席を告げつつ椅子がないことがあなたの夜の深さだろうか
(平岡直子)
解説で「二人称は日本語では日常的にはあまり使われない」と書かれており、確かに、と思いました。誰かに「あなたは」とか「きみは」とかあんまり呼びかけないなー。昔の夫婦で「お前」「あなた」とかはあるのかもだけど…。
やっぱり完全な「言文一致」って難しくない?って思うのは、確かにここで短歌で「あなた」とか「きみ」とかじゃなくて具体的な人名を入れるという試みはありだと思うのですが、続くと字面がしつこいんですよね。小説でも、例えば「あ、佐藤さん、ちょっといい?」「佐藤さんはその点どう思う?」「じゃあ佐藤さんの意見も併せて練り直してから部長のとこ持ってくわ」みたいな感じって口に出してみるとごく自然ですが、字面にするとウザいです。
この「二人称的表現」については、
短歌は一人称つまり「私」の文芸と言われますが、短歌を好きになるかならないかは、形式面より、一人称と二人称の心理的距離が近いことを是とするか非とするかによるのかもしれません。
と考察されています。この「心理的距離が近い」というのは、「わたし」が「あなた」の心情を描いている、ということ?ちょっとうまく具体的に理解できません。
でも、この歌は「一人称」の「わたし」にも、「二人称」の「あなた」にも感情移入できて面白い作品だなと思いました。つまり、読者としては「椅子がないあなた」の「夜の深さ」について思いを馳せる「わたし」になってもいいわけだし、一方で「椅子がないあなた」がわたしであって、誰かに「夜の深さ」を思われている、と考えてもいいのかな、と。みんなが自分の「夜の深さ」を持っていてそこに沈み込んでいる中、だれかが「あなたの夜の深さだろうか」と思いやってくれる、という、全然そういう意図の歌ではないのかもしれないけど、なんかカウンセリングを受けているような気分になってしまいました(笑)。
ところで、何度か読んでいて「満席を告げる」のは「わたし」で、「あなた」に「椅子がない」ことを告げながら「あなたの夜の深さ」を思う、という構造だと気づいたのですが、最初、「満席を告げる」のも「椅子がない」のも「あなた」だと思ってた。「満席を告げつつ椅子がない」を連続した一連の言葉としてとらえていて、コンサート会場とかの受付で切符を切っている人が「満席なんです」って立ったまま話す状況を想像してました。つまり、完全に「わたし」はそこにはいないわけです。なんでそう思ったのだろうか。
ちなみに同じページには、同じ文学ムック『文学ムック たべるのがおそい』vol.1(書肆侃侃房)に掲載されている他の作者の作品もいくつか引用されています。
胃のなかのことは想像したくない桃カルピスにゆれる砂肝 (木下龍也)
などです。
この木下龍也の歌を含めて3首紹介されていますが、佐藤弓生は
全体に「詩」をがんばりすぎかなあ、とも思いつつ。
と感想を添えています。前回の話の続きで言うと、「くびれ」「ワンダー」に焦点を当てすぎ、ということかな。やりすぎるとわざとらしくなっちゃうし、難しいですよね。
これは焼き鳥屋で桃カルピス飲んじゃうあざとかわいい僕っていう「ワンダー」?よく考えたら「僕」じゃなくて一緒にいる誰かの「胃の中」なのかもしれないな。一緒に食事してる女の子が砂肝食べながら桃カルピス飲んでて、一見そのアンバランスさがあざと可愛い感じするけど胃の中やばいなーみたいな。笹井宏之の
胃のなかでくだもの死んでしまったら、人ってときに墓なんですね
を思い出しました。
満席をものともせずに押し込んだあなたはいつも予感がこわい (yuifall)