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「一首鑑賞」-29

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

29.現状を打破しなきゃって妹がおれにひきあわせる髭の人

 (虫武一俊)

 

 これは砂子屋書房「一首鑑賞」で佐藤弓生が紹介していた歌です。

sunagoya.com

 状況としては、解説にある通り

 

初句・第2句は妹のせりふで、つまり〈妹〉は〈おれ〉のことを“現状がだめな兄”とみなしており、〈おれ〉は〈妹〉がそうみなしていることを知っており、〈妹〉は〈おれ〉が〈妹〉の見解を知っていることを知っており……。

と、書いてゆくと精神分析家R.D.レインの詩集『結ぼれ』に出てくるような二者の心理の絡まりがこの歌に畳まれているのが見えてきます。袋小路です。

第4句・結句が展開部で、さて袋小路を脱するかどうかというところ、本書の解説で石川美南さんも指摘するとおり〈髭の人〉はなかなか意外なフレーズです。

 

とあり、正直この後に続く文章も含めて全文引用したいくらい付け加えることがありません(笑)。

 それなのになぜこの歌をわざわざここに載せようと思ったのかというと、これは所謂、穂村弘の言うところの、「短歌のくびれ」というやつなのかなと思ったからです。ここで「髭の人」が来ることで引っかかる感じが目をひくし、この人は一体誰で、妹は「現状を打破する」ためにどういう人を連れて来たのか?ってすごく気になります。それが女友達とかだったら、あー、婚活ね、ってなってそれほど引っかからない気がする。

 

 最近東郷雄二の『橄欖追放』の記事、『角川『短歌』9月号歌壇時評 「くびれ」と「ずん胴」』を読みました。

petalismos.net

以下引用です。

 

「くびれ」は穂村弘が『短歌という爆弾』(二〇〇〇、小学館)で提唱した用語である。穂村はまず短歌が人を感動させる要素に共感(シンパシー)と驚異(ワンダー)があるとする。共感とは「そういうことってあるよね」と感じてみんなに共有される想いであり、驚異とは「今まで見たこともない」と目を瞠るような表現をさす。人々に愛唱される歌の多くは、共感の中に驚異が含まれており、それを穂村は「短歌のくびれ」と呼んでいる。

(中略)

 二〇〇〇年代のリアル系の若手歌人の歌には共通してくびれがなく、フラットで高まりがない。どうしてこんな普通のことを歌に詠むのか首を傾げる向きもあろう。

 

なんか知らんが言われるままにキヨスクの冷凍みかんをおごってもらう (宇都宮敦)

なんとなく知らない車見ていたら持ち主にすごく睨まれていた (鈴木ちはね)

おろしてはいけない金をゆうちょからおろす給料日が火曜日で (山川藍)

 

 このような歌を見て感じるのは、時代がワンダーからシンパシーへと大きく舵を切ったということである。穂村はシンパシーの中に含まれる微量のワンダーが秀歌を生むとした。しかし二〇〇〇年代のリアル系若手歌人には、その微量のワンダーが作り物に見えて嘘臭く感じられるのではないだろうか。このような歌はもはや秀歌をめざしていない。彼らはワンダーを生み出す天才に憧れて身悶えするよりも、等身大の日常にシンパシーが静かに漂うほうを好む。「長い歴史の中で培われてきた短歌のインデックス」を参照し、「解釈共同体」を梃子としてワンダーを生み出す必要がないので、それらは歌に要請されることがないのではないだろうか。

 

 しかし、これは歌人の年代の問題なのか、って思うこともあります。穂村弘の『ぼくの短歌ノート』で知った斎藤茂吉の歌にはこんなのもあるし、

 

人間は予感なしに病むことあり癒れば(なほれば)楽しなほらねばこまる (斎藤茂吉

 

円柱の下ゆく僧侶まだ若くこれより先きいろいろの事があるらむ (斎藤茂吉

 

当たり前のことを淡々と詠むことで世界を異化する「ただごと歌」という手法も以前からありました(代表者は奥村晃作)。逆に、「若手歌人」の中には川野芽生のような難解で美麗な言葉を使いこなす歌人もいますし、工藤玲音の歌は「フラットでくびれがない」とは感じません。

 単純に、今まではこういう歌が仮に歌会みたいなところに提出されたとしたら、即座に没にされていただけだったということのような…。「こんな当たり前のことをただ定型に当てはめるだけではダメだ」と言われてきたのではないだろうか。それが、ニューウェーブ、『短歌ヴァーサス』の時代を経て、SNSとかインターネットを通じて直接発信ができるようになり、散々批判されてきたと言われる永井祐などが選者の立場になり、こういう「くびれ」のない歌が市民権を得た、という流れというわけではないのだろうか。それこそ、草場の陰で、「俺だったらこんな歌は認めん!」って言っている昭和の歌人はたくさんおられそうですね。

 

 まー、どうですかね。こういう歌がOKなら自分も歌人になれるかも、って考える人もたくさん出現してすそ野が広がるかもしれないし(笑)、だけどこういうリアル系のスタイルを突き詰めるのは意外と難しい気がするなー。私作れないし、実はかなり人を選ぶスタイルだと思います。わけわからんポエム系の方が汎用性は高いと思うんですよね。私が読んでていいなって思ったの、今のところ永井祐、宇都宮敦、仲田有里くらいだったし、誰でもできるスタイルとは思えないです。まあもしかしたらこれから知っていけばもっと好きな歌人は増えるかもと思いますが。

 

 

 なんとなくそれっぽい歌挑戦してみましたが、正直うまくいったとはとても思えません(笑)。そして最初の一首と全く関係なくなってしまった。

 

 

早く家に帰りたいなと思ってる仕事が楽でもそうでなくても (yuifall)