「一首鑑賞」の注意書きです。
113.まさか俺、一生ここで菓子パンを齧ってるんじゃないだろうなと
(穂村弘)
砂子屋書房「一首鑑賞」で都築直子が取り上げていました。
この歌の面白さは多分穂村弘の『世界音痴』とかそういうエッセイ集で描かれる本人(かどうかは分からない人物)像込みな感じがするなー。
ちなみにこの歌から私が連想するのはいつも藤原伊織の『ひまわりの祝祭』です。美人妻を亡くして菓子パン食って生きてる中年男が亡き妻に生き写しの美女と共に事件に巻き込まれるハードボイルドなのですが、藤原伊織の小説は男性版ハーレクインと界隈ではディスられているにも関わらず好きです。まー、「ダメ男が美女に愛される」ってあらすじだけ聞くとなろう系小説みたいですけどね…。ちなみにその小説では菓子パンが伏線になってて面白いです。
この回は、歌そのものの「読み」にはそれほど触れられていなくて、都築直子と短歌の出会いが書かれています。
人はどうやって短歌と出会うのだろう。
この一首に出会って短歌をはじめた、という一首が私にはない。書籍雑誌でいろいろな歌を目にするうち自然と興味をもった、というのでもない。私が短歌に興味をもったのは、ある日新聞のコラムで吸引力抜群の文章に出会い、それを書いた人の肩書が「歌人」だったからだ。「ある日」が2002年の今日3月26日であったことを、ついさきほど私は思いだした、というより新聞の切り抜きを整理していて発見した。
と、つまりは穂村弘がきっかけで短歌にハマったということです。
穂村弘、すごいなぁ。『桜前線開架宣言』世代、after 1970世代の歌人の多くはもしかしたらそうなのかもしれません。私も昔穂村弘の本よく読んでましたが、当時そこまでハマれなかったことをとても残念に思います。『桜前線開架宣言』読んでいて、私も『短歌ヴァーサス』の時代を知っていたのに全然リアルタイムで追いかけなかったなーって悔しくなったんですよね。
なんていうか、穂村弘は当時の短歌界ではカウンターカルチャーだったのかもしれないんですけど、カウンターカルチャー界では王道だったのでサブカル女子としては逆にハマりにくかったのかも、とか当時の自分を分析してみる。。要は逆張りっていうかヒネてたんですよね。痛い若さですね。
この回読んでいて、何をきっかけに短歌にハマったんだろう、と自分でも改めて振り返ってみました。いつも、何か辛い出来事があった後にすごくのめり込む時期があるんですが、本当の最初についてこれといったきっかけは思い出せません。ただ、すごい痛々しかった青春のそばに短歌があったことだけは覚えてて、今やってるこの感想文はどうなんだろうな。いつかまた「やっちまったな」って思うんかな。
ちなみに歌の「読み」に関しては、穂村弘のコラムに対する評、
それがこの人のコラムは、初日から四日目まで完勝なのだ。読み物としての面白さがテンション高く持続する。五百字少々の中で、いかに自分がダメ男かをゆるゆる語るのだが、語り口に芸がある。計算され構築されつくしたゆるゆる加減であり、ダメさ加減なのだ。
これがほとんど全てかなって感じする。「ずっと菓子パン齧って生きている」んだけど「まさかそんなわけないだろう」という絶妙なダメさ加減。歌の初出が
『穂村弘「時をかける靴下」朝日新聞2002年3月26日夕刊コラム』
となっており、「時をかける靴下」の抜群のセンスのよさにまた笑いました。穂村弘のエッセイ、また読み返してみたくなります。
あんぱんを食べてていいよ、守るから 残酷な世界からあなたを (yuifall)
(『ひまわりの祝祭』藤原伊織)
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