「一首鑑賞」の注意書きです。
289.ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし
(岡本真帆)
前回出てきたので考えてみました。
この歌はもともと当時のTwitterで流行っていたのを人から聞いて知っていて、私は基本的にTwitterで情報を得ることはない情弱ですが、それでも人から聞いて知っているほどの有名歌でした。ちなみにこれを私に教えてくれた人は短歌を全くと言っていいほど知らない人で、いわゆる「ネット大喜利」として知っていたようです。「ずぼらだし 〇〇だし」という感じで、〇〇に当てはまる内容を13文字で考え、短歌の形式に当てはめる、という。
なので最初に知った時は、「傘もこんなにたくさんある」って表現すごく秀逸だなぁ、と思った反面、「ネット大喜利」以上の印象をあまり受けませんでした。そういう流行り歌なのかぁ、と。
しかし前回この歌と久しぶりに遭遇して、一首の短歌としてとらえ直した時、とても悩みました。いい歌なのかよく分からなかったからです。前回も書いた通り、「傘もこんなにたくさんある」という部分は手放しにいいと思う。でも、その直前の「ずぼらだし」は「傘もこんなにたくさんあるし」と内容的にかぶっています。通常「私はAだしBだし…」というとき、AとBに全く同じ内容のことを挙げるだろうか?また、前回も書いたように、「ほんとうにあたしでいいの?」という表現も、無条件に好きとは感じませんでした。「いいよ」以外に返答があり得るのか?と思って。
特に「ずぼら」と「傘もこんなにたくさんある」の内容が被っている件について、そこをちゃんと解説した上で評価している批評はあるのだろうか、と思い、色々調べてみました。
まず、歌でググると、この歌が拡散した時の状況についてご本人がnoteに記載しています。
ここには谷川電話の評が載っていて、上記のサイトから全文読めますが、一部を抜粋するとこうあります。
作中主体が「ずぼら」な人間であることは、三句目の時点で明らかにされている。それをさらに具体的に説明するために、この人は「傘もこんなにたくさんあるし」と律儀に述べる、「ずぼら」なはずなのに! おもしろいなあ。こんな素敵な人なんだから、「ほんとうにあたしでいいの?」への答えは、もちろん、「もちろん!」だよね、きっと。
この視点はとても興味深かったです。「ずぼら」から「傘もこんなにたくさんある」と具体化されていて、ずぼらなはずの「あたし」が具体的に説明し始めるところが律儀でかわいらしいと。だからこそ、「いいの?」に対し「もちろん!」になるのだと。とても素敵な読み方です。ここではAとBの内容がかぶっているところをこそ評価しているし、それが「ほんとうにあたしでいいの?」という表現への引っ掛かりも解消される形になっていて、受け止めやすい読み方だと感じました。
しかしながらそれだけでは納得はいかず…。確かに歌を順接で読めば、「傘もこんなにたくさんある」は「ずぼら」を具体的に説明していると見なせます。ですが、歌の構造的に「傘もこんなにたくさんあるし」の部分に重心があるのは疑いようがなく、そういう風に考えるとせっかくの「傘もこんなにたくさんある」を「ずぼら」という言葉で単純化してしまっていると受け止めることもできます。
というわけで更に調べてみました。引っかかるほとんどのサイトは批評・考察というより「好き」「分かる」あるいは「大喜利」的な感じでこの歌を受け止めていて、「共感」というのがキーワードなのかな、と感じた。
愛読している短歌評論サイト、『橄欖追放』にはこのように記載されています。
岡本の短歌の特徴は「リーダビリティの高さ」と「あるある感」だろう。「リーダビリティの高さ」とは、一読して意味を理解できる表現の透明度で、「あるある感」は、「そう、そんなことってあるよね」という共感指数の高さである。それに加えて、誰もがうすうす気づいていたかもしれないことを指摘する「ハッと感」もある。「リーダビリティの高さ」と「あるある感」と「ハッと感」をほど良いバランスで兼ね備えているのはそうそうあることではない。岡本の短歌の人気の秘密はそのあたりにありそうだ。
(中略)
かつて穂村弘は現代短歌の方向性として、「驚異」(ワンダー)と「共感」(シンパシー)のふたつを挙げた。穂村自身は塚本邦雄の短歌に衝撃を受けて短歌の世界に誘われたのだから本来は「驚異」派である。しかし評論においては「棒立ちのポエジー」「短歌の武装解除」「一周回った修辞のリアリティ」といった用語を用いて「共感」派の短歌に応援を送り続けた。そのためもあってか、非結社系・ネット系を含む現在の広い短歌シーンでは「共感」派が圧倒的に優勢である。岡本の短歌もその主成分は「共感」であり、そこに多くの読者が引かれるのだろう。
たしかに、「ずぼら」だけではそこまでの共感にはつながりにくいところを、「傘もこんなにたくさんある」と言われることで一気に「分かるー!!」になるというのはとても伝わるし、私もそこはとてもポイント高いと初読で感じました。「リーダビリティの高さ」に関しても、作者のサイトやインタビューで、「人に伝わるか」というところをとても重視しているのが伝わってきたので、それが歌にもきちんとあらわれているんだなと感じます。ある意味俵万智の再来のような感じなのかな。
一番面白かったのは枡野浩一のインタビューでした。
私より下の世代の岡本真帆さんという歌人は、ツイッターで短歌がバズったことによりデビューした珍しい方です。きっかけになったのが「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」という短歌。普通、短歌では「ずぼらだし」ときたら次は“ずぼら”とは別の次元のことを言うんですが、この場合、「傘もたくさんあるし」と “ずぼら”を説明するつくりになっているんですね。「ずぼらだし」と言ったあとにズボラの例を言えばいいわけで、後半の部分を「凍ったいくら風呂で解かすし」にしたり、ツイッターで大喜利みたいになっていろんなバリエーションが生まれていったんです。
最初にこの短歌を見たときは後半が説明になっていることがちょっともったいないなと思って、自分が短歌教室を開いていてこの短歌を見たら、「おもしろいけどちょっと変えてみたら?」とか添削しちゃったかもしれないですけど、いまは考え方が変わって、これだからこそ、みんなが真似したくなったんだと思っています。同時に「ここまで言わないとピンとこないのかもしれない」とも思ったんですよね。この短歌を含む岡本さんの『水上バス浅草行き』(ナナロク社)という歌集を読むと、自分の若い頃とは違う距離感でいまの人は生きているんだなということがたくさん出てきます。
この言葉にとても共感しました。「AだしBだし」の構造なら、BがAの具体例になるんじゃなく、AとBに全く違う言葉を持ってくる方がいいのでは、というのは自分も感じていたことだったし、その部分の受け止め方を一番しっかり批評していたのがこの枡野浩一のインタビューだと思いました。今思えば「BがAの具体例になる」は「共感」で、「AとBは全く違うもの」は「驚異」に相当します。ただ、私は逆に、「傘もこんなにたくさんあるし」はとてもいいと思ったので、「ずぼらだし」を変えたらいいんじゃないかなぁと最初思いました。一方で、枡野浩一が「いまは考え方が変わって」と言うように、こうやって様々な人の「読み」を読むことでこの歌のよさが理解できた気がしてなんだかほっとしました。
そして、もし「AとBは全く違うもの」に変えるとしたら「A」に相当する部分に何を入れればいいんだろう、って考えてみました。三文字で、性格を表す、ややネガティブな印象を受ける言葉。最初に思い浮かんだのは「オタク」でしたが、「オタクだし傘もこんなにたくさんあるし」だと、傘オタクみたいな感じになっちゃいます。「がさつ」だったら「ずぼら」のままの方がずっといいし、「短気」「頑固」だと「あたしでいいの?」に対して「いいよ」って答えづらい。一方「おバカ」だとあざとすぎます。「陰キャ」が一番マシかなと思ったのですが、「陰キャだし傘もこんなにたくさんあるし」にすると、「傘もこんなにたくさんある」の意味が伝わるかなあ。枡野浩一が「ここまで言わないとピンとこないのかもしれない」と言っていましたが、やはり「リーダビリティ」という点で下がります。「驚異」を取るか「共感」を取るかにはなりますが、このレベルの「驚異」なら「共感」を取った方が絶対いいなと。具体例で考えると納得度がさらに上がります。
ただ、全く作風は変わってしまいますが、穂村弘とかフラワーしげるレベルの「驚異」を持ってこられるなら違うのかもしれません。セラニポージの『さよならいちごちゃん』って曲ありましたけど、例えば「いちご」にしちゃうとかね。「ほんとうにあたしでいいの?いちごだし、傘もこんなにたくさんあるし」。全然意味分かんなくなるし、絶対にTwitterでバズる歌ではないですが…(でも、個人的には好きかもしれない)。
あと、前半の「ほんとうにあたしでいいの?」に対する引っ掛かりももう少し突き詰めてみました。この表現、
たった今全部すててもいいけれどあたしぽっちの女でも好き? (渡辺志保)
を思い出すんですよね。で、この歌に比べて「ほんとうにあたしでいいの?」という表現が引っかかった理由が最初分からなかったのですが、色々考えてみて、「全部すてても」は「プラスがゼロになっても好き?」だけど、「ほんとうにあたしでいいの?」は「マイナスのままでもいいの?」というところで違うからだな、と思った。この、「マイナスのままの自分もありのまま受け止めてほしい」という感覚も現代風の「共感」に相当するのかもしれません。
みんなが「とてもいい」「大好き」と絶賛している歌のよさが分からなくて悩んだのは『短歌パラダイス』の
家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな (大滝和子)
以来でしたが、たくさん考えて最後納得できてすっきりしました。
いいんだよ 電話は鳴りっぱなしだし他の誰かのため出てっても (yuifall)