『ねむらない樹 2020 summer vol.5』特集 短歌における「わたし」とは何か?
座談会 コロナ禍のいま 短歌の私性を考える
を読んで、歌の作り手ではなくて読み手の目線で色々考えてみました。
<短歌の「私」記事一覧>
この話題の次に、話者が花山周子に移るんですけど、この辺の議論もちょっと難しかったです。最初の大口玲子の歌については前に書いたのでそれはいいとして、その次、斉藤斎藤の歌についての話になります。『渡辺のわたし』について、
・「わたし」を「立場」に還元した
・「わたし」の内省的な問題ではなく、公の「わたし」として相対化する
・「立場」というかたちで自己を置くことで、加害者にも、被害者にもなる「わたし」というものがそれまでの短歌のテイストとは違うかたちで書き起こされていて、「わたし」の扱いがメタレベルで上がった
と言っているのですが、ここの理解がまず難しくて。『渡辺のわたし』を読んだことがないから分からないのかと思って買って読んだのですが、それでも分かるような分からないような、というか、私がまだ『渡辺のわたし』の「わたし」を言語化して論じられるところまで咀嚼しきれていないので、花山周子の言う「わたし」と、自分の思っている「わたし」が同じことなのかどうかよく分からないというか…(『渡辺のわたし』は面白かったです)。
これはもしかすると読むタイミングの問題なのかなぁ。穂村弘と同じで、斉藤斎藤以前/斉藤斎藤以降、というパラダイムシフトに立ち会わなければ感覚として理解しづらいのかも。しかしながら同じ雑誌内で𠮷田恭大が書いている「斉藤斎藤論」を読むと、単に私の感性もしくは理解が追いついていないだけという感も否めません。もしくは、(私のように短歌の「読み」における「わたし」問題に悩んでいるだけではなくて)短歌を実作したうえで「わたし」問題で悩んだ人じゃないとたどり着けない境地なのかもしれないとも思いました。
次に
撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬかと思ってほんとうに死ぬ
という、斉藤斎藤の歌集『人の道、死ぬと町』から引かれた歌が紹介されています。これについての議論が分かるような分からないような微妙な気持ちでずっといて、ある時急に腑に落ちたので、まずはよく分からなかった時に書いた文章から載せます(笑)。
私はもともとこの歌を『短歌タイムカプセル』、つまり歌集ではなくアンソロジーから知っていて、自分以外の人を主人公に据えた歌としてあまり違和感なく読んでたんです。要は小説の読み方ですよね。全然緊張感のない記述になりますけど、
彼は少し離れた場所から津波の映像を撮っていた。波がうねりながら押し寄せる。それはあっという間だった。このままでは死ぬ、そう思った彼は必死に駆け出したが、安全と思われたその場所は一瞬にして飲み込まれ、彼もまた高波の中に攫われていった。
というような感じで読んでたんです。
でも、花山周子は、
当時、成り代わりみたいなことも言われていたんですけど、人が生きていて他人を理解しようとするときには、自分だったらどうだったかという考え方をせざるをえない。そういう場所から他者の立場を見ていこうとするときに、こういう思考はあるだろうと思うんですね。そして、そのようにして他者を思考することの限界がこの歌には出ている。「撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬかと思って」までは自身の体験として報告されていくんだけど、その流れからは「ほんとうに死ぬ」はどうしても不自然な叙述で、「わたし」が主体ではない言葉になってしまう。そこで本当に手が届かない「死ぬ」ということが、生者の側から掴まれていると思いました。
と言っています。
他者を詠う、とすると、他者に「成り代わる」(他者=「わたし」とする)か、他者を「描写する」(作者=「わたし」とする)のいずれかだと思います。私は、この歌は、ドキュメンタリーの手法というか、作者(「わたし」)は地の文に存在していて、詠まれているのは客体であるところの他者だ、という認識だったんです。ですが、花山周子は、これは他者=「わたし」という成り代わりの歌だという。だとすると、「わたし」が「ほんとうに死ぬ」ということを詠うのはやっぱり不自然で、「限界」ということになります。
どうして「成り代わり」前提で議論が進むんだろう、ということを、ずっと分からなくて悩んでて、でその後で新装版『渡辺のわたし』を読んだわけですが、その解説にこう書いてありました(解説は阿波野巧也)。
斉藤の歌は<わたし>の視点を起点として成立しているものが多い。斉藤が短歌の一人称性を明確に意識していることが伺える。詳しくは触れないが、本歌集以降の作品でも、明らかに一人称視点を利用した作品が存在する。(たとえば、「証言、わたし」という連作の<撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬと思ってほんとうに死ぬ>など。)
そうか。これは、「明らかに一人称視点を利用した作品」でしたか。というか連作のタイトルが「証言、わたし」なんだから、やっぱり「わたしの体験」として読むべき歌なのかも。さらに、同じ「短歌における「わたし」とは何か?」という特集内で𠮷田恭大が斉藤斎藤について書いていて、その中で
*9 それにしても『人の道、死ぬと町』の連作群は作品を引用しがたい。作品は一首単位で切り取られるのを拒んでいる、と読みつつ思う。
とありました。
これらを読んでいて感じたのは、
① 斉藤斎藤を語るうえで「わたし」というテーマは切り離せない
② 斉藤斎藤が「一人称」の「わたし」を意識していることは共通認識
③ 『人の道、死ぬと町』は一首を引用しがたく、連作でしか意味が取りにくい→つまり、理解するには全ての歌を読んでいる必要がある
④ 連作のタイトルは「証言、わたし」である
このすべてを知ったうえで読まないと、
撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬと思ってほんとうに死ぬ
という作品は読めないということなのかと。
今、『人の道、死ぬと町』もAmazonで注文していて届くのを待っているのですが(笑)、これを読んでしまった後ではもう読み始める前の気持ちで感想書けなくなると思うので今のうちに好き勝手書いておきますけど、じゃあ、この作品を、
③一首だけ切り離された状態で
④連作のタイトルも知らずに
読んだ私の「読み」、この作品を三人称として読む、という読み方は間違いなのか?
三人称的に読むとするとやっぱり最も引っかかるのは「死ぬと思って」の部分ですよね。「思う」、というのはやっぱり主観です。で、一人称的に読もうと思うと、花山周子も指摘しているように、「ほんとうに死ぬ」の部分が引っかかる。
とりあえず『人の道、死ぬと町』来たら読んで書き足します(笑)。
さて、今読み終わりました。すっごい色々なことを考えましたが、まず、「証言、わたし」については、全て『短歌タイムカプセル』に収録されていた連作であった、ということにまず驚きました。つまり、私自身の読み方としては、この連作を歌集で読んでいてもそうでなくても結局は同じだっただろうと思います。ですので、やっぱり「明らかに一人称視点を利用した作品」って本当かなぁ、って納得できてない。仮に私がこれを一人称で表現しようと思ったら、
撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬと思って
で止めて、定型であれば最後の七に相当する部分を空白にし、「ほんとうに死ぬ」は描写しません。ですが、この歌の最大のポイントは「ほんとうに死ぬ」の部分であって、「明らかに一人称」として読まれたかったならこのフレーズは入れなかったのではないだろうか。むしろ、上に
三人称的に読むとするとやっぱり最も引っかかるのは「死ぬと思って」の部分ですよね。「思う」、というのはやっぱり主観です。
と書きましたが、「彼はこう思った」みたいな表現は三人称では許容範囲だし、この読みが許されない理由が分からない。むしろ完全に傍観者が書いている文と考えた方が表記の「ゆれ」としては許容範囲な気がします。
というあたりまで書いていて、何か違うなって思ってずっと考えていたのですが、「小説」の読み方してた、っていうのが違うなって思った。「小説」じゃなくて「ドキュメンタリー」の読み方でした。
実は、この歌読んだ時にぱっと思い浮かんだのが『凶悪 -ある死刑囚の告発-』(新潮45編集部編)というノンフィクション本だったんです。内容は死刑囚の犯罪告発なので歌とは全然関係ないのですが、なんでこの本のことが思い浮かんだんだろうってずっと考えていて、ある時不意に気付いたんですが、この本とこの歌を全く同じ読み方していたんです。
以下の「」内の文章は完全な捏造で『凶悪』の内容とは関係ありませんが、一般的にドキュメンタリーでは
・作者(取材している本人)が主人公であるパート
例;「私は刑務所に彼を取材に行った。彼の表情は緊張のためかこわばっており、最初は話しにくそうにしていたが徐々に語り始めた」
みたいな、「私」が知っている部分
と、
・取材対象が語った内容が再構成されて取材対象が主人公になっているパート
例;「彼は車から降りると遺体をトランクから出し、山中に引きずっていった。蒸し暑い夏の夜で彼はたちまち汗だくになった。遺体から立ちのぼる腐敗臭も不快であった」(三人称)
あるいは
「俺は車から降りた。遺体をトランクから引きずり出す。山の上だが気温は思ったよりも高く、たちまち汗だくになった。立ちのぼる臭いも耐えがたく、一刻も早くこの仕事を終わらせてしまいたかった」(一人称)
みたいな、「私」が知りようのない部分
が混じり合った構成になっていると思います。この歌は、
撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬと思って
を再構成(取材対象が主人公)パート、
ほんとうに死ぬ
を斉藤斎藤本人の「一人称」パートとして読んでいた、っていうことに後から気が付きました。どっちも一人称なんですが、一首の中で視点が変わっているという読み方です。だからあんまり「ほんとうに死ぬ」に違和感がなかったんですね。
花山周子は、
「撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬかと思って」までは自身の体験として報告されていくんだけど、その流れからは「ほんとうに死ぬ」はどうしても不自然な叙述で、「わたし」が主体ではない言葉になってしまう。そこで本当に手が届かない「死ぬ」ということが、生者の側から掴まれていると思いました。
と言っていますが、「自身の体験として報告されていく」という部分、私は「取材対象の体験を再構成して報告している」、つまり取材対象が「わたし」であると思ったし、「生者の側から掴まれている」というのは、ここだけが斉藤斎藤が「わたし」だからだと思いました。上にも書いたように、完全一人称として読まれたければ「ほんとうに死ぬ」はない方がいいはず。でも、この歌の重点はそこだと思っていて、斉藤斎藤は「津波で人はほんとうに死んだんだ」って言いたかったんだと私は思いました。
おそらく斉藤斎藤は震災や津波を実際に体験したというわけではなくて、こういう歌は聞き取りで書いてる。で、聞き取られた事実を再構成して、体験談のように語る。だけどやっぱり、聞き取られた人も斉藤斎藤も生きているから、亡くなった人の気持ちとか事実は全て想像でしかない。歌の「事実性」にこだわればこだわるほど、これらは「事実ではない」ということになってしまう。だけど、ドキュメンタリーとしては、「ある一種の事実である」と言って差し支えない。そういう風に自分では理解していました。
それにしても、『人の道、死ぬと町』については、むしろ「証言、わたし」以外の部分で、短歌の<私性>や原爆詠、笹井宏之の死についての連作の中の短歌以外の部分で語られている内容において、「他者の体験を詠む」こと、あるいは短歌が「事実である」ということへの重みが、斉藤斎藤と私の間に大きい乖離があると感じました。これは、彼が歌人であって私はそうでない、ただの傍観者だからかもしれないし、人間性の問題かもしれないし、哲学の問題かもしれないし、実際のところはよく分かりません。
来週に続きます。