本当は『現代歌人ファイル』の記事更新しようと思っていたのですが、なんか急に書きたくなったので。
『ねむらない樹 2020 summer vol.5』特集 短歌における「わたし」とは何か?
座談会 コロナ禍のいま 短歌の私性を考える
を読んで、歌の作り手ではなくて読み手の目線で色々考えてみていた過去記事の続きです。
<短歌の「私」記事一覧>
あれからなお色々考えていたのですが、最近、文体模写のうまい人の小説を読んで(まあ例えて言うなら神田 桂一、菊池 良の『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』みたいなやつです)、すごい面白かったけどやっぱりそれは二次創作だよな、って思ったんですね。もちろん、二次創作として世に出ている作品なので、その作品自体に全く瑕疵はないのですが。
短歌の「私」⑭の記事で、
私生活を切り売りし、事実と本心を「自分の(統一された)文体」で描く者だけが「歌人」であるなんてロジックには疑問を感じます。
とか書いたけど、やっぱり、文体模写では駄目なんだなーってしみじみ感じました。例えば漫画だと、原作に絵柄を似せてストーリーもすごく原作を読み込んで二次創作して、「野生の公式」とか言われていてもまあ公式ではないよな、というか、それは100を1000にする楽しみなのかもしれないけど、ゼロから100を生み出す創作とはやっぱり全然違うよな、と。
しかし、短歌における「文体模写」「二次創作」って、定義が難しいです。以前書いた「二次創作短歌」みたいに、
二次創作短歌について色々 - いろいろ感想を書いてみるブログ
明らかに原作ありきでキャラクターに扮して作る短歌は「二次創作」でしょうが、文体やモチーフそのものを拝借する場合ってどうなんだろう。
例えば私自身だと、色々なアンソロジーを読んで色々な短歌を作ってみたりしていて、文語だろうが口語だろうがほとんどはむしろ私自身の文体なのですが(誰かに似せる方が難しい)、例えば奥村晃作とかしんくわとか今橋愛とか望月裕二郎とか、すごく特徴のある文体やモチーフに似せて詠もうと試みることもあり、そうやって作った作品も載せたりしていますが、やっぱりなんか変だな、うまくないな、って思う。こういう系統の歌を詠むのは私には難しいな、と思います。そもそも文体やモチーフを模写できない系統というか。
しかし一方で、ものすごく文体が特徴的というわけではないけど歌がうまい人(吉川宏志とか、永田和宏とか、他にもたくさん)の文体って、どうすれば模写になるんだろう。むしろ模写できるくらいだったら普通に歌うまくない??って気がする。
あと、モチーフの「二次創作」というのもなぁ。前に例に挙げた笹井宏之の
三日月の凍る湖面にアントニオ猪木の横顔があらわれる (笹井宏之)
は、選者が笹井公人であることを意識した「二次創作」的、「文体模写」的短歌だと思ったから斉藤斎藤は批判したんでしょうが、同時に『人の道、死ぬと町』ではこうも書いています。
笹井さんが歌のなかでなんにでもなれるということと、どんな文体でも書き分けられるということを結びつけて論じる向きがあるけれど、それはすこし違うと思う。そもそも笹井さんは、そこまでは器用ではなかった。
たとえば、「佐賀新聞」二〇〇八年十一月十三日付の
われはつねけものであれば全身に炎のやうに雨は匂へり (筒井宏之)
この歌について、読者文芸欄選者・塘健は、「けものであれば」の「で」の用法が曖昧でなまぬるい、と評し、
われついにけだものなれば全身に炎のごとく雨をまとへり
と添削例を示す。シャープな添削だ。
しかし、「で」の生ぬるさこそが、笹井宏之なのではないか。
塘の改作では、「われ」は完全に獣と化している。しかし筒井の原作では、「であれば」が仮定条件のようにも確定条件のようにも読めることで、「われ」は人のような獣のような、どっちつかずの存在にとどまれている。文語のわれは、なんにでもなることができない。笹井の歌に、やはり口語は不可分である。
確かに、
みんなさかな、みんな責任感、みんな再結成されたバンドのドラム (笹井宏之)
トンネルを抜けたらわたし寺でした ひたいを拝むお坊さん、ハロー (笹井宏之)
もうそろそろ私が屋根であることに気づいて傘をたたんでほしい (笹井宏之)
などなど(他にもたくさんある)の口語短歌に比べたら、「私は○○」という断定調ではありません。
この、「で」の生ぬるさこそが笹井宏之ではないのか、というのはどういう意味なんだろう。(笹井宏之の文体ではない)文語だからこそ「で」が曖昧で生ぬるく、だから(口語とは違って)何にもなれないのだ、という意味なんだろうか。それとも、「で」の生ぬるさこそが笹井宏之の文体である、ということなんだろうか。
私は、この添削後の「シャープさ」はうまいけど、やはりそこからは笹井宏之らしさが削られているように感じるし、もし「で」の生ぬるさこそが笹井宏之の文体であるなら、読み方によって「けもの」にも「ひと」にもなれるその生ぬるさも笹井宏之だったのかもしれない、とも思います。
この解釈はすごく悩んで、しかも私は前にも書いたのですが笹井宏之の
冬ばつてん「浜辺の唄」ば吹くけんね ばあちやんいつもうたひよつたろ (笹井宏之)
みたいな文語短歌も好きなので、口語じゃなきゃ、とは思えないんですよね。また、「アントニオ猪木」は確かに笹井宏之的なモチーフではないのですが、誰かの歌に影響を受けて自分の詠めるモチーフの範囲を広げようとする試みは悪い事ではないと思うし…。文語もそうですけど。それとも、まだそういう試みにとどまっているうちは半人前で「歌人」ではないということなんだろうか。
うーん、でも、
傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出でゆく (薮内亮輔)
などを詠んで多くの歌人を魅了したと言われる薮内亮輔が
言葉つて野蛮だけれど鎮魂のなかにちんこがあるのだけは好きだ (薮内亮輔)
とか詠んだり、岡井隆の作風を丸パクして
この歌は岡井すぎると言はれをりほの暗き花の暗喩のあたり (薮内亮輔)
とか詠んだりしてるというのも知って、色々なことがますます分からなくなりました。パクリ?二次創作?文体模写?それとも、それがこの人の個性なの?
上に、「口語だろうが文語だろうが私自身の文体」と書いたのですが、そもそもそこが統一されていなかったら「私自身の」文体として認められないのだろうか。でも、私は多分この先もずーーっと、好きな時に好きな文体(口語体とか文語体とか旧かなとか新かなとか)で作り続けるのをやめない気がする。思い立って連作を詠んでみよう!とか思わない限り。
まあ、私は歌人でないのでその辺はいいのですが、短歌の「私」のことはこれからも考えていくんだろうなーと思ってます。優れた評論もたくさんあるようなので、読んでみたいです。