『ねむらない樹 2020 summer vol.5』特集 短歌における「わたし」とは何か?
座談会 コロナ禍のいま 短歌の私性を考える
を読んで、歌の作り手ではなくて読み手の目線で色々考えてみました。
<短歌の「私」記事一覧>
次、しばらく話者は花山周子です。内山晶太の
舌打ちをくれたる人に舌打ちを与えて去りき雑踏のなか
「わたし」の読みについては、
他者への想像力を伴う自己相対化
とあります。これは分かる気がする。
舌打ちをした人にもその人の背景や人生があって、そういう眼差しに立ったときに、こちらからも「舌打ちを与えて去りき」となる。
こう読むと、「舌打ち」が何かの暗号みたいにも感じられますよね。「チッ、この野郎」って意味じゃなくて、何か伝え合っているような。斉藤斎藤の
こういうひとも長渕剛を聴くのかと勉強になるすごい音漏れ
も、これと同じような読み方なのかもしれないなと思いました。
次に山川藍の
「天国に行くよ」と兄が猫に言う 無職は本当に黙ってて
が引用されます。
「無職は本当に黙ってて」という言葉が一人歩きしたらかなり危なっかしい表現だと思うのですが、兄とわたしという限定されたお座敷内の言葉として、つまり「わたし」の範囲の言葉として歌が引き受けていて、安易に言葉を一人歩きさせない。「無職は本当に黙ってて」は世界に対する何かなわけではない。山川さんの歌というのは、そういう、「わたし」の自己完結のあり方が、現在の閉塞しつつ拡散するような言語状況を開放するようなところがあって。
と言っていて、これも、まあ、分かります。ある関係性の中でのみ成り立つ言葉だ、ということですよね。この状況でこの場所でこの「わたし」でなければ意味をなさない言葉、それが自己完結したままで拡散されていく状況、というか。
そう納得する一方で、ほんとに「言葉を一人歩きさせない」なんて作者の力だけでできるか??って思う。無職の人がこの歌を読んでも自分を批判されたような気持にならないってどうして断言できるのか?猫に話しかけんのもダメなのかよ、って、「わたし」の範疇を超えて解釈されることはあり得るだろうし、それを引き受けずに言葉を公に発していいものなのか?短歌におけるポリティカルコレクトネスとか言論統制をする意図で言っているわけじゃないんですが、なんとなく違和感はあります。
というのは、昔の友達でよく軽いノリで「死ねよ」とか言う人がいて、もちろん友達同士の中では笑って流してたんですけど、ある時そう言われた仲間内の一人が泣いちゃったんですね。「お座敷内」にいて、言葉の後ろにあるものを理解してはいても、言葉そのものの力ってやっぱり侮れないと思う。もう15年以上前の出来事ですが、忘れられないもん。また似たような話ですけど、弁護士を通すような結構ガチな揉め事に知り合いが巻き込まれた時、普段温厚な人ですが、時々ほんとうにイライラするのか「ほんと死ねばいいのに」って言ってたことがあって。あんまりいい気持ちではないけどまあイラつきから来る軽口だよな、って聞き流してはいたのですが、例えば裁判沙汰だったら「死ねと発言した」みたいな感じで言質取られることもあるだろうし、それは「お座敷」を離れたところで解釈されるよな、と。
だから、この歌が悪いってことでも、こんな言葉を使って歌を詠んではいけないとも思わないし、この人が無職の人全般への批判をするつもりでないことも、兄という気心知れた身内とのやり取りであることも百も承知ですけど、「死ね」と同じく、「無職は本当に黙ってて」っていう言葉が出てくる人なんだな、とはやっぱり思う。
しかも、花山周子は
そういう、「わたし」の自己完結のあり方が、現在の閉塞しつつ拡散するような言語状況を開放するようなところがあって。
と言っていますが、むしろ現在はTwitterとかで「お座敷内」のつもりで発信した「閉塞した」言葉が、外の人間に「拡散」して炎上っていうイメージの方が強いです。なので、花山周子の言っている「閉塞しつつ拡散するような言語状況を開放する」という状況が具体的に想像できない。
そして、内山晶太の歌と山川藍の歌が同一線上で
内山さんと山川さんは歌柄がぜんぜん違うわけですけど、歌にそういう一人の人間の個別性を担保できているのも、彼らの歌の孤独さや自己完結といった引き受け方にある気がします。
とまとめられているのもよくわからん。
その後で薮内亮輔の
「正義」とふ青銅の瓶のやうなことば使ひ方は斯うだ叩き付けてつかふ
が引用されていて、この歌、すごく好きなんですが、その一方でこの文脈で「わたし」を論じるうえでどういう意味があるのか分からずこれもまた戸惑いました。
もっと若い世代になってくると、外部に対する怒りみたいなものが強く出てきている気がしていて。
とありますが、これは「世代」の問題なの?孤独から怒りへ、みたいに、世代で分類しちゃっていいもんなの?この辺の議論の内容は抽象的すぎて理解しづらいです。というか、議論の構成とか理論が見えてこなくてよく分からん。私の無知の問題なのかもしれませんが…。
次に川島裕佳子の歌が引用されます。
昇進も人事異動もないただの派遣の私メモ用紙切る
五十二のおじさんが書く報告書校正してる二十八歳
などの歌で、
概括的に他者も自分も捉えてしまうような世界の中で歌っている。すごく変わってきた感じがします。
と花山周子は言っています。次に斉藤斎藤に話者が移るのですが、すでに触れた「一人称、三人称」の内容から、この歌にも言及されます。
口語だけど三人称的というか、「わたし」が作品世界の内側にいない印象を受ける。
と言っています。私もこれらの歌については2人の読みにすごく共感する。口語や文語に関係なく、自分を遠くから見ている感じ。他人も自分も「スペック」「コスパ」とかで見る目線というか。それを、斉藤斎藤は
その要因のひとつが、韻律やリズムだと思います。一首のなかを生きるわたしが、感じたり迷ったりしながらつぶやくのがゼロ年代の口語短歌だとすると、川島さんや柴田さんは、歌を書き始めるときには作者のなかで結論は出ていて、その結論を定型に嵌めてる感じがする。川島さんの歌の三句「ないただの」には句またがりと句割れがありますが、リズム見合う作中主体の心の動きが見当たらない。その見当たらなさに少し抵抗があるんです。
と分析していて、そういう読み方があるんだ!ってびっくりした。句またがり、句割れを心の動きと同化させる発想が全然なかった。要は、最初から書きたいことは決まってて、定型、と言っても五七五七七じゃなくて三十一字に嵌めているんだろう、ということだろうか。この書き方は自分もそういうところあるなってちょっとどきっとしました。一首の中で生きる、心の動きを表す、ってあまり考えたことなかったです。
次、
メンズエステで脇毛に悩む人たちに講演していたすごい初夢 (小坂井大輔)
が引用されていて、斉藤斎藤はこれについて最初に
私だったらこの歌は、「講演してた」と書きますね。
と言っていました。私は(個人的に心惹かれる作品でなかったというのもあって)この歌をあんまりきちんと一字一字読んでなかったので、普通に「講演してた」って書いてるんだと思ってて(だってそうすれば七字じゃないですか…)、斉藤斎藤の指摘で見直したら「講演していた」になっていたので、ここをわざわざ字余りにしてまで「していた」にした意味って何なんだろう?と考えました。斉藤斎藤は、続けてこう書いています。
私だったらこの歌は、「講演してた」と書きますね。舌足らずにはなりますが、四句を七音にすることで、四句と結句のあいだにみじかい休符が発生する。すると、「講演してた」までは夢を見ていて、四句と五句のあいだで目が覚め、結句で作中主体が「すごい初夢だったなあ」と振り返っている歌になる。一首のなかを生きるわたしが発生するんです。でもこのリズムだと、話者は出来事の外側にいる。「おもしろい初夢」という大喜利の回答が、フリップに書かれているような印象を受ける。
おおー。すごい。こういう読み方見れて嬉しいです。短歌ってこう読むのか、って教えてもらった感じ。一文字の有無で規定されるリズムの違いで、これほどまでに変わった印象になるのかー。これは、世代的「私性」の問題というよりも、短歌の読みにあたって、すごく参考になる意見だなーと個人的には思いました。
来週に続きます。