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現代短歌最前線-穂村弘 感想6

北溟社 「現代短歌最前線 上・下」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

穂村弘

 

 このエッセイの面白さは、穂村弘自身が、自分に「短歌的土壌」がなく、「表現が自閉的」であることを認めていて、それを象徴するエピソードを2つ挙げていることです。これらをすごく興味深く読みました。

 

 1つ目は「百済」というテーマで題詠を行ったエピソードなのですが、その時に穂村弘が詠んだ歌

 

素はだかで靴散乱の玄関をあけて百済の太陽に遭う

 

について、水原紫苑のした指摘がすごい。「あの『百済』は『インカ』と入れ替えても問題なく一首が成立してしまいますよね。そんな題詠ってだめでしょう?」

 ああ、これはぐうの音も出ないですね。ちなみに水原紫苑は(この時の題詠で詠んだ歌かどうかは分かりませんが)

 

「くわんおんはわれのごとくにうるはし」と夢に告げ来し百済びとあはれ

 

と詠んでいます。また、一緒に題詠をしたと書かれている林和清は(この時の題詠で詠んだ歌かどうかは分かりませんが)

 

旅の夜の夢のみぎはに百済より春の潮が巻きもどりくる

 

と詠んでいます。確かに、私のような素人の目から見ても穂村弘の歌は「百済」である必然性を全く感じない。そしてそれを穂村弘はこう書いています。

 

 この歌の『百済』が『インカ』と入れ替え可能な理由は、はっきりしている。それは作者である私のなかで『百済』も『インカ』も全く同じようなものでしかなかったということである。この経験を通して私は、歌には全く誤魔化しようがなく、<私>が現れるということを改めて知らされた。

 

 私は以前穂村弘の『ぼくの短歌ノート』の感想を書いて、その際に題詠のようなことをしてきたのですが、その最後に「殺意の歌」という章があって、

ぼくの短歌ノート-「殺意の歌」 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ

最初に作った歌はこれでした。

 

キャンドルの残り香のごとはつかなる気配となりて殺意揺蕩う

 

 これは自分自身に殺意と呼べるほどの感情がほとんど残っていないこと自体を詠んだつもりだったのですが、でもこの歌は駄目だなって自分でも分かってて、それは何でかと言うと、「殺意」を他の単語に入れ替えても問題なく一首が成立するからです。水原紫苑穂村弘の言う通りだと思いました。この歌の中で「殺意」はリアルじゃないから、例えば「失意」でも「恋慕」でも「別離」でも成り立つ。これはマジで雰囲気短歌だなって思ったし、改めて穂村弘の自己分析に恐れ入りました。そしてそれは結局私が「殺意」というテーマを消化できてないってことなんだよなと。

 

 もう1つのエピソードは、広島で行詠を行った時のエピソードです。広島、ということでやはり原爆に意識が向き、

 

アトミック・ボムの爆心地点にてはだかで石鹸剥いている夜

 

という歌を詠んだ、と。そしてその批判がまた辛いです。栗木京子は「これは結局題詠でしかない」と言い、小池光は「日本人はあれをアトミック・ボムと言えないのではないか」と言っている。穂村弘はそれを受けて、

 

それは作者である私の原爆に対する認識やスタンスが、外国人観光客と大差ないものだったというものに尽きる。基本的にはここで起きていることは『百済』のときと全く同じである。どれだけ緊張して真剣に作っても、いやむしろそうしたからこそ、歌のなかに本当の<私>というものがくっきりと姿を現したのである。

 

と書いています。

 

 私は「穂村弘以降」を生きていて、かつては「百済」「広島」的な何かに対して素養のない人間、自分なりのスタンスを持たない人間、つまりは「短歌的土壌のない人間」は短歌を詠む資格がなかったのだということをこのエッセイから知りました。

 後日北村薫の『うた合わせ百人一首』という本を読んでいたのですが、北村薫歌人ではありませんが歌の読みがすごく深くて、圧倒的な読書量に裏付けされた知識から、「この歌の背後にあるものはこれだろう」という小説や思想を抜き出して教えてくれるんですよね。まあ要はそういう、文学や歴史、哲学といった膨大な文学的素養がなければ読むことのできない歌、詠むことのできない歌があるんだ、というよりも、おそらくかつてはそういうものしか歌として認められてこなかったんだろうというのを実感しました。

 

 穂村弘は『ぼくの短歌ノート』の中で、「口語短歌批判の背景には欲望肯定の匂いに対する拒否感があったのではないか」という主旨のことを述べています。つまりは単に「口語」という文体上の問題ではなく、思想的なものへの嫌悪感であったのだろうと。その後2015年の『桜前線開架宣言』で山田航は、永井祐の短歌が「何かとディスられていた」と書いたうえで、「一見何の思想性もうかがえないように見えるのが、新入社員のようなディスられ方をする理由だった。しかし実際は、確固として揺らがない文体の強さがあり、現代社会のリアルが何よりも詰まっている」と書いています。

 穂村弘以前の世代は「戦争、貧困、学生運動フェミニズムなどの体験をそれぞれに経て」おり、「短歌的土壌」があった。穂村弘はそれがなく、バブル期に青春を過ごして「感受性の中に欲望の肯定を織り込まれている」世代で、穂村弘以降の短歌界を作った。そして『桜前線開架宣言』で山田航は、永井祐や内山晶太が「現代のライフスタイル」を表現している、と書いています。『桜前線開架宣言』は70年代生まれ以降、「穂村弘以降」の歌人のアンソロジーで、世代はさらに下がって「ロスジェネ」「ミレニアル」「ゆとり」「さとり」世代になっています。

 こうやって時代の先端をいく歌人が批判されながら変えてきた流れを俯瞰して見るのはとても面白いですね。「ロスジェネ」以降日本はずっと不景気なのでそういった意味合いで大きなパラダイムシフトは起きてませんが、今後はIT技術やAIの普及によってまた短歌に対するスタンスが大きく変わるブレイクスルーが起きるタイミングがあるのかもしれないと思いました。そのうちまた「〇〇以降」って言われるような歌人が現れるのかな。

 

 ただ、穂村弘の著作などを何冊か読んできて、この人に「短歌的土壌がない」という印象はあまり受けません。短歌の解説や「読み」が抜群にうまいし、良作を評価する目も持っていると思う。それは『桜前線開架宣言』後に登場した若手歌人も同様で、対談やエッセイなんかを読んでいると、多くの人が過去の歴史や作品を踏まえた上で自作しているという印象があります。

 これは、短歌に関わっていく過程で結局「短歌的土壌」を知らざるを得なかったということなんだろうか?短歌の「場」を経験することで徐々に培われた感覚なのか、それともたくさんの歌を読んだからなのか、もともとそういう素質があったからこそ今があるのか、どっちなんでしょうね。やっぱり歌人同士でコミュニケーションを取っているうちにそうなるのかなー。

 これは私の個人的な葛藤なんですけど、やっぱり「作る」だけじゃなく「読む」ためにももっと他者と対話すべきなんですよね。以前、結社に入ったり歌を賞に投稿したり、そこまでして自分の歌をブラッシュアップする意味を感じない、とか書いたんですが、そうじゃなくて鑑賞力を鍛えるために外へ出た方がいいのかなって思ったりもしました。

 

 穂村弘はこの『現代短歌最前線』の随筆の最後にこう書いています。

 

小高賢は私たちの世代の感受性とそれに根ざした表現の自閉的な特質に関して「みずからが選択した他者性に向けての発話行為」(「<私>の構造と読み」『かりん』2000年1月号)という見方を示している。このニュアンスは充分理解できるのだが、私は表現の現場においてはそのようなレベルでの「選択」は少なくとも意識的には不可能だと思う。(中略) だからこそ作歌を通じて明らかになる未知の<私>が、読みによって他者の<私>を潜るという双方向のコミュニケーションが意味を持つのだろう。

 

 サブカル系ストーリーの一形態として「セカイ系」ってありますけど、ニューウェーブ以降の短歌にはなんとなくそういう感じを受けます。「ぼく」あるいは「ぼくときみ」が社会なしに直接「セカイ」と連結しているというか。それがおそらく「世代の感受性」「表現の自閉的な特質」ってことなのだろうと思います。

 だから、ここで小高賢が言いたいのは、「<僕-セカイ>ではなく、<僕-他者-セカイ>という発話をしてくれ」という意味なのではないだろうか?と考えたりもしました。

 一方で穂村弘が言う「作歌を通じて明らかになる未知の<私>が、読みによって他者の<私>を潜るという双方向のコミュニケーション」というのは「僕が歌に詠んだ、自分自身にも見えていない<私>を読み取ってくれ」ということで、「表現の現場においてはそのようなレベルでの「選択」は少なくとも意識的には不可能だと思う」というのは、「僕は「セカイ系」という手段でしか<私>を表現できない」ということの肯定に聞こえます。

 

 最後に自分でも「百済」「広島」の題詠やってみたけど、「広島」はともかく「百済」は全然ダメですね。私も穂村弘と同様、「百済」と自分の距離感が全くつかめていません。てか自分にとって「百済」が何なのか全くわからん。これだから歴史や文学の素養のないやつは(笑)。

 

 

手を合はせ菊馨るとき我が身にも薄き百済の血は巡るらむ (yuifall)

やはらかき風がセイヨウタンポポを揺らし爆心地に夏巡る (yuifall)

 

 

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