2024年9月18-24日
・アガサ・クリスティー(綾川梓訳)『スリーピング・マーダー』
・ベルンハルト・シュリンク(松永美穂訳)『朗読者』
・トルーマン・カポーティ(佐々田雅子訳)『冷血』
・G・ガルシア=マルケス(野谷文昭訳)『予告された殺人の記録』
・ルイーザ・メイ・オルコット(麻生九美訳)『若草物語』
以下コメント・ネタバレあり
・アガサ・クリスティー(綾川梓訳)『スリーピング・マーダー』
ガチのネタバレ書くので注意してください。
これは犯人途中で分かったよね。で、そうじゃないといいなぁ…と思いながら読んでいたのですがそうだったのでがっかりしました。というのもアガサ・クリスティー4作読んだんだけどそのうち3作の犯人が医者なんだもん。なんなら残り1作も共犯的なやつだったし。また医者かぁ…ってなった。何なんですかね。便利だから?頭よさげだしサイコパスっぽいし毒薬とか使いこなしてそうだから?それともたまたま当たりが悪かっただけ?
・ベルンハルト・シュリンク(松永美穂訳)『朗読者』
最初は15歳の少年と36歳女性の恋愛??うーん…、と思ったのですが、途中まで読んで、ああこの年の差は「親世代の人」という意味なのか、と思った。途中で主人公は「ナチの子供世代」と自分を定義し両親世代との葛藤について触れています。両親のみならず愛した女性さえも「ナチ世代」であるということ、更にその女性はナチスドイツの戦争犯罪人だったということで、その葛藤は更に深まります。もっと言うとその女性(ハンナ)は文盲であり、おそらくはきちんとした教育を受けておらず、職業の選択肢に恵まれないままナチスドイツで強制収容所の看守として働くことになり…、と、彼女を戦犯に追い込むことになった状況があり、彼女が戦争犯罪人として裁かれている裁判の中で彼女が文盲であることを察することができたのは主人公だけで…、という、何重にもおよぶ葛藤が示されます。
そもそも最初のハンナとの関係は愛だったのだろうか?というのはよく分からないし(15歳と36歳がセックスばっかりしていて、それを愛なんて呼ぶだろうか?)、彼女を愛したことで自分を罪深いと思うかどうかも私にはよく分からない。もし自分がこの少年の立場だったら、悪い女に騙されたのだと思い込むことで全てを闇に葬ることもできたと思う。でも彼がそうしなかったのは、愛のためなのか、それとも「ナチの子供世代」としての罪の意識からなのだろうか。途中で主人公が強制収容所を見に行くシーンが一番共感できた。どうしても想像力がうまく働かないことも、恥ずかしいと思うことも、それはほんとうに恥の感情があったからというよりも強制収容所を見た後どのような気持ちを持つべきか考えてそのように感じたのだと思ったことも。あと切なかったのはハンナが「ではどうすればよかったのですか。あなただったらどうしましたか」と裁判官に問いかけた場面でしょうか。彼女の立場だったら何ができただろう。どうすべきだったのだろう。分かりません。でも私だったら少なくとも15歳と寝たりはしないなとは思った。戦争犯罪の内容とは関係ないことだけどさ。でも文盲であることや学がないことで戦争犯罪人になってしまったことは因果関係として分かっても、15歳と寝ることは分かんないんだよ…。まあハンナは主人公を17歳くらいと思っていたみたいですが、どっちにしろ未成年なんで。
これ、『百年の誤読』(岡野宏文、豊崎由美)では「恋愛小説ではなくてプレイ小説」って評されてたんですよね。「前半は中年女の童貞凌辱プレイで、後半は大人になったかつての童貞が老女を介護するお世話プレイ」だと。前半はハンナが主人公を見下してて、後半はその立場が逆転しているのだと。最初はこの読み方はちょっと意地悪すぎじゃない?と思ったのですが、でもよくよく考えると確かに本質はそういうことなのかもしれません。結局、ハンナは対等な立場の人間と対等な関係を築けない女なんですよね。文盲のせいなのかもともとの性格なのかは分からないけど、誰かを見下す関係しか築けないわけ。だからハンディキャップを正直に打ち明けて教育を受けるのではなくナチスドイツの協力者として生きる道を選んだし、看守として権利を行使し弱い立場の女の子に朗読をさせたし、寝る相手は自分の言いなりになる未成年の童貞だし、裁判でも弱みを見せるよりも“リーダーだった”と思わせることで終身刑になる道を選んだ。で主人公もその「見下しプレイ」に巻き込まれてるんです。最初ハンナと寝たことで「同学年の男子よりも女の子に慣れている」と優越感を抱くシーンではすでに同級生の男子を見下してるし、でも実際は同年代の女の子と対等な関係を築けたわけでもなく、同級生の女子とも後の結婚相手ともそれ以降の交際相手とも誰ともうまくいっていません。それどころか「セックスをすると女性に甘えさせてもらったように感じるから、彼女に何かを返さなくてはならないと感じる」みたいなこと言ってます。で最終的にはハンナの裁判を見とどけ彼女の文盲に気付いたことで今度は朗読によるお世話プレイに突入するわけですが、ここで見下される側になったハンナは自己イメージをそれに合致させるように変化させ(太って身なりにも気を遣わなくなり匂うようになった)、最後は自殺してしまう。主人公の朗読と服役生活によってリテラシーを身に着けたにも関わらず、その先にあったのは出所後の生活ではなく、“見下される側”となったアイデンティティと死だったわけです。結局、朗読をしてもらうことで彼女が得たものは何だったんですかね。ユダヤ人の若い女の子や主人公に様々な本を読ませ、そうやって得た知識や教養は彼女にとって一体何だったのだろう。また、ナチスドイツには高い教育を受け、高い教養を持つ人たちだっていたはずですが、高い教育や教養によって人間は本当によいものになるのだろうか。
これほんと分かんないんですよね。だから「なんでも知ってるAIはすごいし正しい」なんてありえないでしょと思うし、本を読み教養をつけないと駄目みたいな説教臭い話(レイ・ブラッドベリの『華氏451度』とか)は好きじゃないんだよなぁ。
・トルーマン・カポーティ(佐々田雅子訳)『冷血』
実際に起きた事件がモデルで、ある意味ノンフィクションなのですが、被害者一家は非現実的なほど完全なる善人側として描かれておりそこに全く葛藤はなく、スポットが当たっているのは加害者側です。ここで面白いのは、被害者が全くの善人で無辜の存在として描かれているにも関わらず、加害者が完全な悪ではないことです。つまり人間は、世界は、単純な善悪二元論では理解できないということを考えさせられます。こういうノンフィクションものを読むといつも思うのは、彼らの point of no return はどこだったのかということです。この事件に関して言えば、単純に考えるとディックが刑務所の同房者からクラッター一家の情報を得てしまったことがリーサルなポイントだったのかなと思うのですが、それ以前に刑務所に入るようになった人生とか、ペリーとの出会いとか、ペリーの生い立ちとか、そういうものがとても複雑に絡み合っていて、おそらくクラッター一家の情報を得なかったら他で似たような事件を起こしていたと思われ、だからそこが真の point of no return でなかったことは明白です。正直ペリーに関して言えば生育環境が悪すぎるのでどこからやり直せたのか全く分からないし、ディックは逆に生育環境が別に悪くないのでどこで間違ったのかよく分かりません。いずれにせよ同じ生育環境でも同じようなメンタリティにならない人は無数にいるはずで、一体どうしてこうなったのか、どこに引き返せるポイントがあったのか、分からない。こういう人たちのことをよく知れば人間はよくなるのだろうか。本当にいつも思うんですよね。一体何が人間を彼(あるいは彼女)たらしめるのだろうか。外因によって人はよい方向に変わることができるのだろうか。ちなみにこの話の中では、アメリカの田舎が舞台なので、キリスト教の思想がかなり濃厚に影響している気配は感じます。
また、これはノンフィクションですがトルーマン・カポーティが書いた小説でもあり、とにかく言葉の使い方や描写が「いいなぁ」って思うシーンがとても多かったです。終わり方もよかった。
・G・ガルシア=マルケス(野谷文昭訳)『予告された殺人の記録』
本当にたまたま一緒に買っただけなのですが、『冷血』と同様実際起きた事件をモデルにした小説でした。まあ、ガルシア=マルケスなんでファンタジー風味でもあるし(アウレリャノ大佐出てくる)、『冷血』よりもはるかにシュールな話です。とにかく構成がとてもよくて、読み切った後呆然とします。
何が起こるかは最初の方でほとんど全て示唆されていて、誰が殺されるのか、誰が殺すのか、理由は何なのかは中盤までにほぼ分かります。そしてそれがなんというかかなり驚きの展開で、犯人は「俺たちはあいつを殺す」ってどこだりで言いまくっているのでそのことをほとんど街じゅうの人が知ってるんですよね。何なら被害者宅に全てを書いた書簡を出してもいます。しかし知っていて冗談だと思っている人、この理由なら殺されても仕方ないと思う人、半信半疑ながら止めようとして酔い潰そうと酒を飲ませる人、噂を聞いたあとで被害者となる人物を目撃して「ああ、結局無事だったのか」と思い込む人、本気で助けようと被害者を探し回る人、噂を知らずに被害者を連れまわす人、被害者が死んでもいいやと思い話を伝えない人などが複雑に入り乱れ、結局被害者に話が伝わらないまま彼は殺されてしまいます。こんなことあるのか…という。ストーリーとして面白いという以上に、実際にあった事件と思うとかなり驚きます。結局彼が本当に殺されるべき人物だったのかどうかも最後までよく分からないし。こっちの方の point of no return もよく分かりません。というのは、共同体全体の殺人だからです。
ガルシア=マルケスワールドに浸った後、解説を読むと小説と現実の橋渡しがされていてそれもまたとても読み応えがありました。面白かったです。
・ルイーザ・メイ・オルコット(麻生九美訳)『若草物語』
面白かったけどこれは子供の頃に読むものかもしれない。今読んでも「かわいいなー」とか「アニメにしたら映えそう」みたいなしょうもない感想しか浮かばないわ…。とにかく、あらゆる姉妹モノ創作の原点がここにありますね。しっかり者で見栄っ張りの長女、ボーイッシュで短気な次女、おしとやかで内気な三女、おませでわがままな末っ子という。
やっぱりジョーとローリーのラブストーリーに多くの女の子が期待を寄せたようなのですが、この2人は結局友情で終わるみたいですね。これはなー、確かに、この2人のshipper になる気持ちは分からないでもないのですが、ジョーがローリーの前で“女性”になっちゃうのは違うんじゃ、という思いもあり、行き止まりの青春を感じます。続編の内容はWikipediaで見て、あらすじだけ読むと続編ない方がよかったのでは?と思ってしまいますが実際読んだらどうなんですかね。もし現代のアニメや漫画だったらめっちゃ荒れそうと思った。最大人気カプ爆破!みたいな。
もっとまじめに、フェミニズムとかそういう観点からも読めますが、そういうこと考えるの今めんどくさいのでやめときます。