「一首鑑賞」の注意書きです。
137.夜に降った雨が上がっている朝にバス停の屋根をはみ出して並ぶ
(鈴木ちはね)
砂子屋書房「一首鑑賞」で永井祐が取り上げていました。
この人の歌は、東郷雄二『橄欖追放』で
なんとなく知らない車見ていたら持ち主にすごく睨まれていた (鈴木ちはね)
が「ワンダー」から「シンパシー」へ、という文脈で取り上げられていたので覚えています。あんまり「くびれ」のない歌。そのまんまっていうか。
冒頭の一首も、言うなればそのまんまです。多分永井祐が取り上げていなかったら私は全く引っかからない歌だったと思う。そういう意味で、まだまだ自分一人で読むよりも、誰かのガイドがあった方がいいなぁって思いながら短歌を鑑賞しているんですが。
永井祐は「おしゃれな歌」と評しています。
昨日の雨のことを言わなかったら、この「はみ出して」に特に違和感はない。
雨のことを言うから、「はみ出して並ぶ」が微妙な具合になって。変なところをくすぐられる感じする。
わたしはすごくぐっとくるセンスです。
歌の形を見ると、口語の歌としてとてもきれいに出来ているように見えます。
助詞の省略がないことに気がつく。
(中略)
語彙的には美的な雰囲気はないけれど、歌の造形として見てよい形をしているように思える。
そして何食わぬ顔でひゅっと投げられる変な球のように「バス停の屋根をはみ出して並ぶ」が決まっている。
言われてみれば確かに、「夜降った雨が上がっている朝に」と、「夜に」の「に」は取った方が定型になりますが、そうはしていません。同じように下の句も、助詞を省いて「バス停の屋根はみ出し並ぶ」にした方が定型です。そういう読み方ってあまりしないので勉強になります。
しかし、この歌の歌意はなんとなく分かるんですが(雨だったら「はみ出して」いると濡れるけど今はそうじゃないみたいな)、こういう歌に反応するアンテナ?みたいなものが、私は磨かれてないなって思う。「一首鑑賞」コラムでも人によって好みはありますが、永井祐はこういうガチガチの現代短歌から文語の近代短歌も含めて色んな雰囲気の歌をピックアップしてきていて、私ももっと色んな歌を面白いって思えるようになりたいなと思いました。
ところで「並ぶ」「はみ出す」から斉藤斎藤の
女子トイレをはみ出している行列のしっぽがかなりせつなくて見る (斉藤斎藤)
を連想したのですが、この歌では「せつなくて」と(ちょっとよく分からないながらも)感情的な要素が入っています。これは「ワンダー」?それとも「シンパシー」?直接的に意味が伝わらないので、シンパシー的な表現ではないように思えます。
雨の日のバスの匂いを思いつつバスの隣の歩道を歩く (yuifall)