山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
中田有里
昼過ぎにシャンプーをする浴槽が白く光って歯磨き粉がある
この人の歌、最初読んだ時はちょっと意味わからんっつーか、どうしてこれで短歌が成立するのか?ってなんか異次元に迷い込んだような不思議な感じがしたのですが、引用されている歌を全て読み終わる頃には癖になってました。なんか、変にはまってくるんですよね。もっと読みたくなっちゃうというか。なんだろうこの気持ち…。
いちごかグレープフルーツが食べたくてそれを買ってくる想像をする
このシャツもカーディガンもスニーカーもいつかどこかで私が選んだ
みたいな、えっ?そりゃあそうやがな。みたいな歌もある一方で、
マヨネーズ頭の上に搾られてマヨネーズと一緒に生きる
食べ物を食べてしまう 蛍光灯をつけたらまぶしい 布団を着る
どうしてそうなる?みたいな歌もあり、分かりますかね…、何か中毒になるような感じ…。この人ワールドにだんだん取り込まれてくるんですよ…。
一番最初に引用した歌は「今日」という連作の中の一首らしく、「6月24日」の一日の出来事を詠っているようなのですけど、本当に大したことは起きてなくて、例えば
本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある
駐車場の鳩を通って6月の24日の風が吹いてる
みたいな、道路を歩いててあれが見えるとかカーテンのすきまからこれが見えるとかそういうことしか書いてないんですけど、繰り返して読むうちにだんだん胸が苦しくなる感じというか、シュールレアリスムの文学作品の中に取り込まれてしまったような不安な気持ちが呼び起こされます。
そういえば
堀ばたで追いかけられていたカモが今日はアヒルと仲が良さそう
この歌は、『ねむらない樹』の「短歌とわたし」の座談会でも引用されていて、
その時は別に取り立てて好きだとは思わなかったのですが、こうやってまとめて読むと全然違って感じます。つまり、宇都宮敦の言っていた「私と世界」というのは、「世界を解釈せず、あるがままに見る」というということなのかな、ってようやく分かったような気がします。
しかしその反面、これは中田有里ワールドなのではという気がしないでもないな…。
この記事書いてから半年以上経ったのですが、どうしても気になる歌人です。一首と連作でこれだけ印象が違う人もいないと感じたし、歌集があったら読みたいと思ってググったのですがヒットしませんでした。解説によれば詩も書いているそうで、
詩人の田中庸介が編集発行人をしている詩誌「妃」の第15号に、中田の詩が掲載されている。短歌と変わらず、体温の低い文体で淡々と断続的な日常を描いている。もともと詩を最初に作り始め、その後に短歌と俳句も始めたというプロフィールがわかる。どんな表現方法を用いても文体が変わらないというのは、常に問題意識が一定しているという点である種の強靭さであるように思う。
とあります。雑誌ももう手に入らないようでした。
2006年に「今日」で第5回歌葉新人賞次席となった、と解説にあるし、対談などでたびたび作品を引用されている印象のある人なので、いずれ歌集が出ないかなぁと期待してます。
対面に置かれた本にさかさまの文字が縦方向に連なる (yuifall)