「一首鑑賞」の注意書きです。
169.夜空とか映画館とか指先が見えなくなると会いたく思う
(仲田有里)
砂子屋書房「一首鑑賞」で永井祐が取り上げていました。
仲田有里の短歌は出会うたびに好きだと感じるので、多分本当に好きなんだと思う。この歌読んで、COLTEMONIKHAの『ドミノ』という歌の歌詞を思い出しました。
夕方切ない夢を見た
体のどこかが溶けるような
この部分、2番?の歌詞は
真夜中 不思議な夢を見た
心のどこかがハレツしそう
になってたんですが、「心のどこかがハレツしそう」よりも「体のどこかが溶けるような」の方が切迫感を感じて好きだったんですよね。「心のどこか」よりも「体のどこか」の方が物理的にダメになっちゃうみたいな気がするし、もう二度と絶対に取り戻せないような気がするから。
この「指先が見えなくなると」も、なんか気持ちの問題じゃないというか、物理的に指先が目に映らなくなる感じ。夜空とか映画館とかで指先が暗闇と繋がってしまう感じです。だから会いたくなるのかもしれない。でも会えないんだろうなって思う。指先がなかったら電話もかけられないし、「今会いたい」って思って今会えるんだったら多分こんな風には感じないと思う。
鑑賞文、全体が面白いのですが一部を引用します。
けっこう不思議なところのある歌だと思います。
「夜空」で指先が見えなくなるのかな、とか、手が全部見えなくなったらどうなのかとか、疑問も浮かんでくる。
そのへんの情報の不備(?)によってむしろ、歌がするっと流せないものになっている。
で、そういう情報の不備によって「読ませる」ということもたぶん短歌のテクニックみたいなものになってしまっていると思うのですが、意外とテクっぽいのとテクっぽくないのは見分けがつくような気がします。
そして、これはやはりあまりテクっぽくないように感じる。
訥々とした感じっていうのが、文体に写せてるように思える。
「情報の不備」って言い方面白いですね。短歌は短いから基本的にどの歌も情報には不備があると思うんですが…。でも、やっぱり私もこの歌は「テクっぽくない」と思う。ほんとに「指先が見えなくなると」なんだと思う。そういう感覚って自分の中にあってもうまく捕まえられなかったり自覚できなかったりするので、言葉にされると「そうだよね」って思います。
全然本題とは関係ないのですが、ずっと永井祐のコラムを読んでいて、誰かの文章と似ている…と考えていたのですが、この回で気付きました。東海林さだおですね。東海林さだおの「丸かじり」シリーズのテンションと似てます。あの文体、いいな…。
輪郭の硬さをきっと愛してるきみを異物と思う薄闇 (yuifall)