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読書日記 2024年12月25-31日

2024年12月25-31日

森功『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』

・神香うらら『事件現場はロマンスに満ちている』

・神香うらら『事件現場はロマンスに満ちている2』

・C・A・ラーマー(高橋恭美子訳)『マーダー・ミステリ・ブッククラブ』

・サム・キーン(斉藤隆央訳)『アイスピックを握る外科医』

嶽本野ばら下妻物語:ヤンキーちゃんとロリータちゃん』

姫野カオルコ『整形美女』

 

以下コメント・ネタバレあり

森功『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』

 これはドラマの原作ではなく、ノンフィクションのルポルタージュです。『凶悪―ある死刑囚の告発』(新潮45編集部)を思い出しましたが、こっちは殺人までは(多分)していない詐欺集団でした。本文によると地面師の中でも頭が切れる人はごくわずかで、その数人がほとんどの事件に関わっているのだとか。また、実際になりすましをしている人はわりとボロを出していることも多いとも書かれていました。しかしその状況で実際気付けるかというとどうでしょうね…。

 動いている金額が大きすぎるので何となく現実味もなく、こわいなー(でも私には関係ないかな…。いい土地持ってないし)って感じがしてしまう内容でした。闇バイトとかのが怖いよね。身近な感じして。

 

・神香うらら『事件現場はロマンスに満ちている』

 LAを舞台にしたBLです。受がややツンデレ気味なのでそこはうーんって感じですが、でもアメリカ人なので思ったことははっきり言うしぐじぐじうだうだはしてないので読みやすいです。ミステリBLのたぐいかと思ったけどミステリ要素はそれほどでもなかったです。

 

・神香うらら『事件現場はロマンスに満ちている2』

 続き。商業BLって感想書きにくいな…。特に言うことないな。そこそこ面白かったのでそれで十分というか。

 そういえば昔誰だったか顔の綺麗な芸人を女装させてランウェイ歩かせる!みたいな企画をテレビで見て、顔は綺麗でも仕草があまりにも男性すぎてさすがに無理ある…と思ったのでそれ以来どんなに美形でも女装バレないとかないでしょとずっと思っていたのですが、レインボー池田さんの女装がナチュラル過ぎて、女装もあり得るか…と最近は考えが変わりました。とはいえBLの受の女装美しすぎ話に白けることには変わりないんですけど…。結局、リアルかどうかよりも単にそういう話好みじゃないってだけだよな…。

 

・C・A・ラーマー(高橋恭美子訳)『マーダー・ミステリ・ブッククラブ』

 登場キャラクターに全然共感できないミステリだった…。クリスティを中心にミステリ小説を読もう!というブッククラブでメンバーの1人が失踪し、残りのメンバーがその謎を追う…、という話だったのですが、2回しか会ったことない人の人生にこれほど首突っ込む?これってオーストラリア人(というか文化圏が違う人たち)だからこんなに他人のことを気にするのか、それとも小説だから盛ってるのか?ミステリ好きが集まったという前提はあるにせよ、無理やりすぎん?こいつらどんだけお節介で図々しいのだ、と思い話が頭に入ってこなかったです。まあ、その辺に目をつぶれるクリスティ好きなら楽しいのかもしれん。

 

・サム・キーン(斉藤隆央訳)『アイスピックを握る外科医』

 科学と倫理に関するノンフィクション。海賊、スパイ、奴隷制の利用、人体実験、捏造などありとあらゆる卑劣な行為と科学との結びつきが書かれています。知っていることも初めて知ることもあり、オーウェルが著作に書いていた

 

「科学者」とは実際には精密科学の一分野の専門家である。だからこういうことになる。化学者、物理学者等々は詩人や法律家等々よりも政治的に、より知的である、と。そして、実際のところ、こう強く信じている人々がすでに数百万の規模で存在している。

 しかし、この狭い意味での「科学者」たちは、科学的ではない問題に対して、本当に他の人たちよりも客観的な方法で対処する傾向にあるのだろうか? 実はそう考える根拠はあまり存在しない。簡単なテストをしてみよう。ナショナリズムに反対できるかどうかというテストである。「科学に国境はない」とは、漠然としたままよく使われる表現であるが、実際にはあらゆる国の科学的職務に就く者は、作家や芸術家に比べて、より良心の呵責を感じないまま自国の政府を支持するものだ。ドイツの科学者は概してヒトラーに対してなんの抵抗も示さなかった。ヒトラーはドイツの科学における長期的展望を台無しにしてしまったが、それでも合成石油や、ジェット機、ロケット、そして原爆に至るまで、その開発に必要な研究をする優秀な科学者はたくさんいたのだ。そしてそういった科学者なしにはドイツの戦争体制は決して成立することはなかった。

 他方、ナチスが政権を握ったときドイツの文学にはなにが起こったか? この点に関して全てを網羅するようなリストは未だ出版されていないが、ユダヤ人は別として、自主的に国外へ去ったりナチス政権によって迫害された科学者の数は、同様の目に遭った作家やジャーナリストに比べれば遥かに少なかっただろうと想像する。そしてこの事実よりさらに不吉なのは、多くのドイツ人科学者があのとんでもなく怪物的な「人種科学」[優生思想]という思想を鵜吞みにしたという事実だ。ブレイディ教授の『ドイツ・ファシズムの精神と構造』を読めば、科学者たちがその名を連ねた声明を見ることができる。

 

という記載を思い出しましたが、それでもこのようにまとめて読むと気が滅入りますね。あとがきに

 

 アルベルト・アインシュタインはかつてこう言った。「ほとんどの人は、偉大な科学者を作り上げるのは知性だと言いますが、それは違います。人格なのです」。正直に認めると、かなり昔に初めてそのフレーズを目にしたとき、私は嘲った。科学者が心優しいかどうかなんて、だれが気にするんだ? 発見こそ、大事じゃないか。しかし、本書を書き終えた今、私にはわかる。ある面では、科学は世界についての事実の集まりであり、その集まりに新たな事実を加えるには発見が必要になる。だが、科学はもっと大きなものでもある。世界について推理する考え方、プロセス、手だてであり、それによってわれわれは、虫のいい考えや偏見を暴き出し、それをもっと深遠で信頼できる真理に置き換えることができる。(中略)この意味で、アインシュタインは正しかった。人格なくして、科学に未来はなく、倫理にもとる科学者はえてして邪悪な科学を生み出す。

 

とありました。科学は事実の発見ではありますが、同時に解釈でもあります。というか、事実の解釈が科学なのではないか。それが科学者のイデオロギーや人格によって歪んでしまえば醜悪なものになるし、だからこそ人格を保った科学者の解釈を更に他の大勢が検証する姿勢を忘れてはならないのだと思う。

 

嶽本野ばら下妻物語:ヤンキーちゃんとロリータちゃん』

 時々読み返したくなります。面白いよね。映画も面白かったな。しかし『偉大なる、しゅららぼん』といいこれといい、深田恭子がブス枠で使われてんのマジで納得いかん。

 

姫野カオルコ『整形美女』

 2024年の最後に読んだ本これでした。顔が綺麗だろうがブスだろうが“モテ”が自分自身の評価基準というところがもうダメだなという感じの話でした。それ一点で生きてると年取ったら救いようないよね…。