「一首鑑賞」の注意書きです。
170.ほんとうに夜だ 何度も振り返りながら走っている女の子
(平岡直子)
砂子屋書房「一首鑑賞」で永井祐が取り上げていました。
この歌、最初に読んだ時何か強烈に分かったって思ったんですが、すごく久しぶりに読み返して今はもう忘れてしまいました。この状況「分かる」って感じたのに、何が分かっていたのかもう分からない…。
分からないので一から考え直そうと思いとりあえずググったのですが(考えてない)、詩人の文月悠光のエッセイ?日記?がヒットしました。そこにはこうあります。
闇を恐れない。むしろ無邪気に確かめることで「恐れ」を振り切るかのように、少女は走り続ける。
つまりこの「女の子」は「夜」を振り返りながら走っているという解釈です。一方永井祐はもっとドライな読み方をしています。
この、けっこう冷たい感じの韻律が手伝って、「女の子」への感情移入をあまり感じない気がします。
女の子はよくわからないまま何度も振り返りながら、走り過ぎていく。
本当に夜だなと思う。
いつも思うのですが、永井祐のドライな感じの読み方がとても好きです。感情移入しすぎないというか。自分の読み方がウェットだから余計に憧れるんだろうな。
素直に読むと、文月悠光が言うように、①やっぱり「女の子」は追われていて、追っているのが「夜」なのかなぁ、だから何度も振り返って確かめるのかなぁって気もしますが、永井祐の言うように、②夜と女の子は無関係のような気もする。もっと他に読み方があるか考えたのですが、③女の子=夜説もありかな。夜が何度も振り返りながら走っている。②③の場合、女の子がなぜ振り返っているのかはよく分かりませんが。
前回、「情報の不備」って言葉がありましたが、余計な言葉をそぎ落とすことで全てが伝わるようなテクニックもかっこいいけど、情報に不備があることで色んな読み方ができるのも楽しいなと思います。でも、情報が不備すぎると独りよがりでつまらないし難しいですね…。
イヤホンの充電切れてほんとうに朝だ木立のさびしい朝だ (yuifall)