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ぼくの短歌ノート-「日付の歌」 感想

講談社 穂村 弘著 「ぼくの短歌ノート」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

 日付の歌

 

 日付と言えば!これは忘れるわけにはいかないサラダ記念日!

 

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 (俵万智

 

 短歌に興味のない人だってこの歌は知ってるはずってくらい有名ですよね!でもこの解説読むまで「しちがつむいかは」が字余りだって意識してなかった…。そうだね、確かに…。そして

 

「字余りになるにも拘わらず、敢えてこう詠まれているからには本当にこうだったにちがいない」という読者側の錯覚を誘う。

 

という解説に納得しました。おおー、そうか。解説付きの本っていいなー、ほんと。

 まあ、私はどうしても『サラダ記念日』というと『カラダ記念日』(筒井康隆)を連想してしまう不届き者であって、

 

「この刺青いいわ」と女(スケ)が言ったから七月六日はカラダ記念日

 

を思い出して笑ってしまうのですけど…。繰り返しますけどめっちゃ面白いですこの本。

 

 ところで

 

元旦に母が犯されたる証し義姉は十月十日の生れ (浜田康敬)

 

という歌ですが、ここでの「義姉」っていうのは父親の違う姉ということでしょうか?だって母親は一緒なんですよね?母親が一緒ということは、兄の妻とか妻の姉とかではないはず。だからこそこんな「犯されたる」って悪意ある感じの表現になってるってことなのかな?それとも単純にこの「義姉」の「母」って意味?

 この歌よく「悪意」という単語と共に紹介されているのを見るのですが、個人的にはちょっと笑えます。そんなこと想像してるんかい!って(笑)。童貞拗らせてんなwって感じのノリじゃないんか(笑)?岡野大嗣の「それを混入事象と呼ぶ日」みたいなブラックユーモアかなと思うんですが…。ていうか相手が義理の父親であれば、ぎりぎり「悪意」も分からんでもないけど、単に「義姉」の両親、ということであれば、それこそ人の誕生日見て何考えてんだこいつは(笑)、くらいなもんだよなー。

 そもそも本当に元旦にできた子なら出産は9月下旬くらいなはずであり、10月10日だとけっこうな過期産だし…。妊娠出産のメカニズムが分かっていない義務教育の敗北感が…。笑っちゃだめなのかな…。解説には

 

時代の変化に伴って「元旦」の聖性そのものが希薄化したためだろう。

 

とあるので、自分自身に元旦にセックスなんてあかんみたいな感覚がないのが理由なのかもしれませんが…。

 

 そう考えると、解説にもあるように、現代において共通認識となりうる日付の意味合いって大分薄れてて、日付って「サラダ記念日」みたいに個人的なものになっちゃってるのかなと。それでもやっぱり、8月6日、8月9日、8月15日(それに3月11日や1月17日もかな)は、使われると怯んじゃいますけど。そのテーマに関係あれば重く受け止めるし、関係なければ、なんでわざわざその日付を選んだんだろう、って。

 

 ちなみにですけど、この歌をもし嫌だな、って感じるとしたら、私はですけど、この歌から発されている?「悪意」そのものというよりも、多分十月十日生まれの人たちが「とつきとおか」という無知による偏見によって嫌な思いをしたことがあるんじゃないか、っていう連想が一番嫌なのかもなって気がします。この歌では「十月十日」から連想させられる「とつきとおか」という言葉の意味合いをもちろん意識的に利用しているので、それを無知と偏見、と言っているわけではありません。そうではなく、以下はこの歌の感想というよりもこの歌をきっかけに色々考えさせられたことなのですが、「試験管ベビー」とか「とつきとおか」とか、事実ですらないのに独り歩きしている言葉、そういう人口に膾炙した嘘を無自覚に発することの、言葉への無責任さ、それによって傷つく人がいるという想像力の欠如を連想させられて嫌だなって思うのかもしれません。そういった無自覚の「悪意」が。

 

 

停電を告げる書面を眺めつつ何を燃やそう六月四日 (yuifall)