「一首鑑賞」の注意書きです。
79.紙飛行機はいちまいの紙に戻るだろう このしずけさが恋であるなら
(白水ま衣)
砂子屋書房「一首鑑賞」で染野太朗が紹介していた歌です。
知らなかった歌人の知らなかった歌にこうして出会えてよかったなぁ、って思わせられるような歌です。
この「いちまいの紙」は、紙飛行機をただほどいて伸ばした、折り目のついた紙なんだろうか。それとも、時間ごと巻き戻してまっさらになったいちまいの紙なんだろうか。最初、「しずけさ」という単語からの連想で、全くのまっさらの紙に戻る様子を思い浮かべました。逆回しの映像みたいに、どこかに落ちている紙飛行機がふわっと浮き上がって、後ろに飛んで行って、誰かの手に戻って、いちまいの紙に戻されて、その折り目のないまっさらの紙が箱の中にしまわれる、というイメージです。
だけど、「恋であるなら」とあるから、やっぱりまっさらの紙には戻れないんじゃないかな、とも感じました。「このしずけさが恋」なのかもしれないけど、そうであったとしても、恋だったなら決して恋を知る前には戻れないでしょう。そうだとすると、映像はその先です。落ちている紙飛行機が誰かに拾われて、そっと折り目をほどかれて、いちまいの紙に戻る。だけど、そこには消えない折り目が刻まれているっていうイメージです。
だから、多分、これは届けようとしていない恋なのではないだろうか。ただ心に刻まれるだけの、届かない、以前の、届けない恋。もしかしたら、終わった恋なのかもしれません。別れた相手への思い、あるいは、打ち明ける前に終わってしまった恋。
秘めた恋であってもそうでなくても、「情熱的」というイメージがつきまとう「恋」について、これほど静謐で美しい歌があるんだなぁ、ってどきどきしました。他にも
清潔なロビーのようなこのひとの心に落とす夜のどんぐり
なんて好きです。
どんぐりがロビーを汚せないように、あなたの心を動かすことはできない、でも、私の存在だけは分かって、というか…。そんな言葉だと野暮きわまりないですね。正しい解釈なのかも分からないし…。
「どんぐり」って言葉のセンスがとても好きです。「夜のトマトジュース」じゃ全然ダメだしなー。清潔なロビーだもん。ピンバッジとかだとどうだろう。もしくは片方だけのイヤホンとか…。
夕暮れの空のプールで 恋じゃない、そう決めたから ざわめきの中 (yuifall)