山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
細溝洋子
鳥の群れいっせいに向きを変えるとき裏返さるる一枚の空
速達を出してそこだけ早くなる時間の帯を思うしばらく
この人の比喩表現が好きです。一枚の空が裏返される、って、なんて詩的な言い回しなんだろうか。こういう言葉を持っている人に憧れます。「他人から見た自分」というようなちょっとメタな視点の歌が多いなって思ったのですが、こういう表現を見ると、世界そのものを俯瞰して見ているような感じも受けます。
地下駅の鏡に映る一瞬が見知らぬ人にとってのわたし
こういうことは私もよく思うんだよなー。全然知らない人と一瞬行き交ったときに、この人にも今まで生きてきた人生があって、今私はこの人の人生に通行人として登場したなって。
「はい?」という口癖指摘されてより私はわたしの言葉見張りき
こういう歌、すごく分かるなあって思う。自分の人生の中の「あるある」みたいなこと、どれほど言葉にしないで受け流してきたんだろうって考えさせられます。
窓から窓へ紙飛行機を飛ばすように少し無理して伝えたいこと
約束は美しくない花束のようで やっぱり渡せなかった
相聞歌かな?と思われる歌も散見されるのですが、あまり幸せそうではありません。幸せそうな恋の歌といえる歌は引用歌の中には見られませんでした。「窓から窓へ紙飛行機を飛ばすように」という比喩面白いですね。
俺という一人称を持たざれば伝えきれない奔流のある
「俺はなあ」つぶやいてみる川風に力が沸いてくる気がして (前田康子)
を思い出しました。女性は「俺」という一人称を持たなくて、そのために伝えきれない思いがある。そのことはすごく、分かる、と思う。私は短歌では自分でない誰かになりたくて、時々「俺」という人称で歌を作ったりしますが、それは自分のナマな気持ちではないなって分かって書いてます。自分のナマな気持ちをそのまま歌にすることってあまりないけど、それでも、多分私にとって「俺」は遠い一人称という感じ。「俺」「僕」「私」「わたくし」を自由に使いこなせる場合(一般的には男性である場合)、やっぱり出力も変わってくるだろうなあとは思います。
よく「俺女」って黒歴史的に揶揄されるのを聞きますが、やっぱり思春期の一時期って自分を探してたり、「俺」じゃないと表しきれない感情もあるんじゃないかって気もします。
少年になってあなたを抱きたいよ、ねずみの胴を掴むみたいに (yuifall)