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「一首鑑賞」-125

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

125.「俺はなあ」つぶやいてみる川風に力が沸いてくる気がして

 (前田康子)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で都築直子が取り上げていました。          

sunagoya.com

 女性歌人が詠んでいる「俺はなあ」です。鑑賞文には

 

一首の読みどころは、<わたし>が女性であることだ。男性作者による<わたし>が「俺はなあ」とつぶやいてもおもしろくない。一読して私も「俺はなあ」とつぶやいてみたくなった。いや、大声でいってみたくなった。どんなに気持ちがいいだろう。思えば昔から、男の子たちは「僕」「俺」が使えるのに、女の子は「あたし」しか使えないのがつまらなかった。

 

こうあります。

 

 本当にすごい勝手なんですけど私は前田康子の歌は夫や子供を詠ったものを多く知っていて、『現代短歌最前線』のエッセイとかもあって一種「家庭の女」みたいなイメージもあったので、「俺はなあ」にものすごくどきっとしました。ああ、違うんだ、って思った。家庭があろうがなかろうが一人の人なんだって。当たり前のことなんですけど、「俺」に強くそう感じました。今ここにいる私は一人の自由な人間だ、って宣言されているような気がしました。書いていて、すっごく自分の中のジェンダー固定意識に嫌気がさしたのですが、でもこの「力が湧いてくる」にはそういう意図があるんだろうなと。

 ほんと、妻や子供を詠む男性の歌にはあまり「家庭の男」って思わないのになんでだろう。いや、黒瀬珂欄とか含めて男性作者が妻子を詠った歌に「家庭の男」を感じる時もあるんですけど、多分その2者は全然違うんだよね。「家庭の女」は昭和の専業主婦のイメージで、「家庭の男」は令和初期のイクメンのイメージなの。こういう固定観念、我ながら嫌になってしまいます。何だかよく説明できないのですが申し訳ないような気持ちになってしまいました。

 

 一方、そういうジェンダー観を外して読めば、普段は「私」あるいは「僕」という一人称を使っている人(男女問わず)が、「俺はなあ」とつぶやいてみることで力が湧いてくる、とも読めます。それはそれで悪くないような気がします。まあ、どうしても「俺」の「男性的な」イメージからの「力が沸く」は否めないですけど…。

 

 鑑賞文を書いている都築直子は女性です。ちょっと長く引用します。

 

女性作者にとって、一人称の問題は大きい。短歌と無縁なうちは「つまらない」で済んでいた私も、短歌を作りだしてすぐ一人称の壁に突き当たった。「われ」などという時代がかったことばを、素面で口にしたり書いたりしろというのか。「あり得ない」が、当時四十代だった入門者の実感だ。「わたし」なら抵抗ないが、3音ある。1音でも短い語を使いたい短歌において、一人称くらいは2音に抑えたい。もしも私が男だったら、悩むことなく「僕」「俺」を使っていただろう。

 

<わたし>の気分によって「われ」「僕」「俺」を使いわけられるのだから、一人称に関して男性作者は得である。しかし、みんなが使えば歌語になるのが、短歌のことばというものだ。女性作者たちが盛んに使ったので、歌のなかの「僕」「俺」は女性の一人称として定着しました、といえる日が近い将来やってこないだろうか。

 

 私はあまり何の衒いもなく「われ」「私」「僕」「俺」のいずれも使いまくるタイプなのでその点真面目に考えたことがありませんでした。最近のJ-popなんかでも、ジェンダー色を消したいような歌の場合、女性シンガーが「僕ときみ」、男性シンガーが「わたしとあなた」を使うようなイメージもあります。英語だと I と you で済むのになー、と思うこともありますが、逆に英語だと割とはっきりと he, she という代名詞を使ってくるので(日本語詩では「彼」「彼女」って英語詩ほど頻繁に使わない感じがします)、どちらがジェンダー的に曖昧かというのは簡単には論じられないのかも。「彼」「彼女」がはっきりと性別を指定している一方、「私」「僕」「俺」あるいは「あなた」「きみ」「お前」は実のところ一切性別を指定してはいないですからね。わりと有名なミステリ作家の叙述トリックで「一人称と一般的に想定される性別が一致していない」というものもあるし…。

 

 それにしても、前田康子のこの歌といい

 

逆立ちしておまへが俺を眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと (河野裕子

 

といい、「女性歌人が何らかの意図を持って<俺>という一人称を用いて詠んだ歌」と読まれているうちは「この人(あるいは作中主体)の一人称」としては認識されていないですよね。他に女性歌人が「俺」を使った有名歌って何があるんだろう。その中で、「女性が<俺>を使っている」ではなく、「作中主体の一人称が<俺>」である、あるいは「作者がたまたま<俺>という一人称を使って詠みたい歌だった」と詠まれている歌はどれほどあるんだろう。

 ちなみに私が<俺>を使う場合は基本的に後二者ですが、それでも前田康子のこの歌を読んで上述のような感想を抱いたので、感性としてはまだまだと言わざるを得ません。

 

 

You’re so fuckin’ special, I wish I was special, but I’m a creep (Radiohead ‘Creep’)

「でも俺はキモい変人」「けど僕はただの虫けら」「だけど私は…」 (yuifall)

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