山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
前田康子
見過ごした映画のような風に会う壁にもたれて笑っていたら
『現代短歌最前線』でも引用した歌人です。この人は育った家族(両親と兄)、作っていく家族(夫と子供)の歌がすごく印象に残っていたので、この解説に
歌集に個人情報をあまり明かさないタイプらしく、作者像はどこかあいまいな雰囲気がある。
と書かれていてちょっと戸惑ったのですが、よく考えると家族や日常のこと以外、自分のことはあまり詠まれていないことに後で気付きました。
その視点は基本的に現実と地続きであり、大きな詩的飛躍などがあるわけではない。しかしこれはこれで現実のなかに一つのメルヘンを作りだそうとする意志があるように感じられる。
とあります。
りんごどれも軸傾けて静まれば指先までが動悸していつ
こういう日常を優しく詠った歌、それほど現実からの詩的飛躍はないのかもしれませんが、『現代短歌最前線』を読んでいた当時から好きでした。
少年の腕を広げて眠そうな木 その韻律に抱かれたくある
なんかも好きだな。
これは少年の腕が眠そうな木みたいなのかな、それとも眠そうな木が少年の腕みたいなのかな。素直に読めばやっぱり後者だろうか。長いけれども細い腕を広げるようにして枝を広げていて、そこから細い枝が下向きにいくつかしなっているような様子を思い浮かべました。腕を広げているのに眠そう、ってところが、「少年」っぽいですね。「韻律」という言葉ははっきり説明できないのですが、でもはっきり説明できなくても好きな歌です。
解説に
ユニークなのは「母となる私」だけではなく「父となる夫」の姿をリアリスティックに描き出そうとしていることだ。これはなかなか珍しい視点である。親となることは人間の種類そのものを変えてしまうことなのだろうか。
とあり、
分娩の話をすれば箸宙に浮かせて夫は少し怯える
同じようにジーパン穿いて歩いてた夫を置いてはるかな時間を越え来
のように「父となる夫」が詠まれています。
前田康子は夫の吉川宏志の1個年上なんですよね。同じような年齢で一緒に歌を詠ってきて、同じように「ジーパン」穿いて歩いていたのに、私は妊娠して「ジーパン」は穿けなくなり、「分娩」によって母になることであなたを置いていく、という感じがします。
この歌ではまだ「夫」は「父」にはなってない感じですね。「分娩の話」で男の人が怯えるのはどうしてかな。本質的に自分が全く無力なところで起こる出来事だからでしょうか。まあとはいえ、当事者たる女もそこで何かできるかって言ったらせいぜい可能な範囲で体調を整えて妊婦健診に行くくらいしかできませんけど…。
自分の努力による支配がおよばない領域がある、ってことを受け止める時、どうしても「畏れ」が生まれるんだろうなと思いました。
語られぬ無数の愛と死とありて金木犀の幹の血の音 (yuifall)
現代短歌最前線-前田康子 感想1 - いろいろ感想を書いてみるブログ
現代短歌最前線-前田康子 感想2 - いろいろ感想を書いてみるブログ
現代短歌最前線-前田康子 感想3 - いろいろ感想を書いてみるブログ