山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
山崎方代
いつまでも転んでいるといつまでもそのまま転んで暮したくなる
この人はなんとなく山奥で放浪しているようなイメージが強く(イメージです)、解説にもあるように種田山頭火と似た空気を感じます。この歌読んでて『三年峠』って昔話思い出しました。転んで暮らせばいつまでも楽しく長生きできるかも。
この人の歌は愛唱しやすくて、けっこう有名なものも多いのではないかな。私がぱっと思い浮かぶのは
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております
こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり
あかあかとほほけて並ぶきつね花死んでしまえばそれっきりだよ
私が死んでしまえばわたくしの心の父はどうなるのだろう
ですね。やわらかい口語で飄々と詠われているのですが、内容はけっこうディープです。
今までこの人のプロフィールをほとんど知らなかったのですが、解説によれば
1914年生まれ、1985年没。出征先のティモール島で右目を負傷し、失明。左目もかなりの弱視となった。戦後は傷痍軍人の職業訓練で教わった靴の修理を生業に、妻子も定住先も持たず放浪しながら生活した。
ということみたいです。こういう人は生き様がすでに一つのストーリー感ありますよね。自分を戯画化し、自分の名前を詠み込む、という行為はその一環なのかもしれません。
夕日の中をへんな男が歩いていった俗名山崎方代である
早生れの方代さんがこの次の次に村から死ぬことになる
みたいな歌を、解説では
自分自身を歌の世界の登場人物の一人として据えて、徹底的なまでに自己戯画化を進めている。ここでの「山崎方代」はイメージの中で消費されるキャラクターである。あえてそういう詠み方をとったのは、「消費」というのが戦後という時代の行動原理でありまた病理でもあるということを感じ取っていたからこそのシニカルな方法論だったのではないかと思える。
と書いています。すごい読み深いな…。
紹介されている歌、どれも好きなのですが、やっぱりやわらかい言葉で淡々と詠われる死の歌が心に残ります。
そこだけが黄昏ていて一本の指が歩いてゆくではないか
もう姉も遠い三途の河あたり小さな寺のおみくじを引く
地上より消えゆくときも人間は暗き秘密を一つ持つべし
この人の歌集読んでみたいな。他にもしみじみと思い浮かべたくなる歌がたくさんありそうです。
またねってきみが言うのは嘘じゃないだって大人で、だから、それだけ (yuifall)